「お主達は……」
木々の間を、天狗の声が響きわたる。
「はい、大納言様の御屋敷から参りましたが、どうやら、はめられたようで、困っております」
天狗の問いに、晴康が、落ち着いて答えた。
「大納言様の!と、いうことは!タマは、元気かのぉ?!上野様のお噂も、とんと、お聞きせぬなぁ……」
へ?!
髭モジャと、晴康は、固まり切る。
どうして、天狗が、タマ、そして、紗奈の名前を口走る?!
「いやぁー、あの、干鱈《ほしだら》が、うまくてのぉ。タマが、時々、上野様にもらったと、お裾分けしてくれてたのじゃ」
「お裾分けって、……天狗って、干魚、食べるの?」
晴康は、首を傾げ、
「……女童子は、天狗にも、知られておるのか?!」
髭モジャは、驚きから、馬から転げ落ちた。
あいてて、と、腰を摩りながら、立ち上がる、髭モジャに、
「も、もしや、そなたは!その、髭モジャ具合は!髭モジャ殿かっ!!!」
天狗は、何故だか、弾けきり、座っていた、木の枝から飛び降りた。
「でかいな……」
思わず、晴康が、呟く。
天狗の身の丈は、生えている、杉の木々を越えるのではなかろうかと思えるほどだった。
「いやー!あの、髭モジャ殿にお会いできるとわっ!聞きましたぞ!先日も、三条の御屋敷のボヤ騒ぎにて、大活躍だったと!」
ワッハッハと、天狗は、大笑いするが、たちまち、周囲に突風が巻き起こり、皆は、飛ばされそうになった。
「ああ、すまぬ、すまぬ。人との加減が、いまひとつ、つかめぬのじゃ」
平謝りされても、相手は、天狗。そして、あの、秋時を誘きだそうと、守満《もりみつ》と仕組んだ、三条通りの屋敷のボヤ騒ぎを語るとは……。
「天狗殿、その話は、一体、どのように、どこまで!」
髭モジャも、一大事と、腹を据えて、天狗に食ってかかった。
「ああ、ご安心を。あの真相は、闇の者にしか知れ渡っておらぬ」
「や、闇の?!」
「ああ、髭モジャ、また、やっかいな事になりそう。闇が、出てきたよー」
半ば、泣きそうになっている、晴康へ、天狗は、にこりと笑うと、言った。
「皆、そなたらの、みかた。あの件は、誰も口外せぬ。いや、まあ、むしろ、感謝しておるのじゃ。何しろ、あの、三条の屋敷の者は、邪道も邪道、否、蛇、じゃな!」
己の欲の為に、闇を、好き勝手に使う。始めは、皆、人の世の混乱を喜んでいたが、三条の屋敷が、あまりにも図に乗りすぎた。
闇の世界にも、それなり、掟や、筋がある。
三条屋敷は、その様な事も、無視をして、闇を使いたい放題。挙げ句、琵琶法師を抱え込み、怒れる闇からの襲撃を跳ね返す結界まで、用意した。
「わしらは、都にすら、近寄れんようになった。そして、三条のやつらめ、おのれらが起こした事を、わしら、闇のせいにしやがり……」
「ならば、髭モジャは、皆から見れば、後光が差しているわけだ」
「晴康様、後光は、また、世界が、違うのではなかろうかのぉ」
何か、ワシは、引っ掛かるぞ?と、顔をしかめる髭モジャに、晴康は、言った。
「そうか、三条様か。やはり、不味いな。守近様よりも、上位に付かれておられるし……宮中でも、絶大なお力を発揮されている……当然、黒い噂は、絶えないけどね」
それだけ、おそれられている、人物なんだよと、晴康は、いいかけ、その口を固く結んだ。
「晴康様!もしや!」
髭モジャも、悟ったのか、晴康へ責めぎ寄る。
「……かも、しれないね、なにがしか、私の身の上に起きていることも……」
さてと、と、小さくはあるが、どこか、深みをおびた声がする。
「ここまで来れば、話は早い。天狗殿、力になってくださいますな?」
親分猫が、髭モジャの懐から、顔を付きだし、天狗へ、向かって、睨みを利かせた。
「ああ、もちろんじゃ、都あっての、闇の世界。それが、やつらの身勝手さによって、我らの居場所が危うくなっておる」
天狗も、相当、腹に据えかねるのか、キリリと顔を引き締め、誰もが、恐れ悲鳴を上げるであろう、形相を作った。
「先におる男どもは、雑魚ゆえに、こちらで、片付けておくぞ。皆様は、都へ」
と、言ったとたん、地面を蹴って、空へ飛びたった。
「髭モジャ、とにかく、屋敷へ、戻ろう!話は、それからだ!」
「はい!飛ばしますぞ!しっかり、お掴まりを!」
髭モジャが、馬に飛び乗り、胴を蹴ろうとした瞬間、待ってくれ!と、若君が、叫んだ。
「俺も行く!爺さんだけじゃ、無理だ!」
言って、馬の尾尻にしがみついた。
「親分猫様、よろしいですね?」
晴康が言う。
「かまわぬ、何せ、相手が、相手じゃ。猫の手も、借りたい、とは、この事でしょう?」
と、親分猫も頷く。
よしっ!よろしいか!
髭モジャの一声で、馬は、嘶き、山を駆け降りて行く。
背後から、うわああーーー!と、男達の叫びが、響いて来た。
「さっそく、天狗殿は、やってくださいましたか」
ふふふと、晴康は含み笑い、手綱を握る髭モジャへ、言う。
「髭モジャ、これは、御屋敷だけの話にはならないよ。やはり、猫の手を、呼び戻すべきだな」
髭モジャも、こくりと、頷く。
「それが、よろしい。なにしろ、天下の、女童子、紗奈殿、じゃからのぉ」
ほっほっほ、と、親分猫が、髭モジャの懐で笑った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!