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一行はガレイン半島の西海岸をなぞるように北上すべく、ヴィンゴロ山系の南西に横たわる竜の背連山を目指している。神々を半島から追い返した最初の戦いで勇猛果敢に戦うも両足を切り落とされた比較的低い山々で、秋の初めにはほとんどが雪冠をかぶるガレインにおいて未だ紅と金の衣に装っている美しく豊かな土地だ。雲一つない晴れた空の青と混じり合い、逃げるでも追うでもない比較的穏やかな旅路を美々しく彩っていた。
ソラマリア以外は交代しながらユビスの背で休み、日中はほとんど滞りなく突き進む。何度か休むように勧められたが、ソラマリアは断った。その代わり本当に休息が必要な時は申し出ることを約束する。ユカリの魂は新たな魔導書を感知せず、日が沈むまでには麓の街にたどりつけそうだった。
山から吹き降りてくる凍てつく風を真正面に感じ、冬の訪れを粟立つ肌に感じる。
「そういえば」と隣を歩くユカリが言葉を切る。「魔法少女狩猟団は私を殺す以外にも目的があるってことだよね?」
少し先を歩くベルニージュがソラマリアとユカリを見比べるように振り返る。
「ソラマリアさんが狙われた件のこと? まだ分かんないよ」とベルニージュは否む。「単純に、ユカリを抹殺する上で最大の障害だと見なしているのかもしれない。実際の最大の障害はワタシだから見誤ってるけどね」
「あ……」と呟き、ユカリが気まずそうに眉を寄せ、ソラマリアの方を見る。ソラマリアは首を横に振る。
「ユカリが気にすることではない。私の――」
「わたくしたちの意思ですわ」ソラマリアの言葉を遮ってレモニカが答えた。「ユカリさまに出会えて、優秀な魔法使いと、それに救済機構の内部事情に詳しい元護女と旅をして、この世で最も強力な魔法道具と遭遇できるのは、わたくしの呪いを解く近道に違いありませんもの。当然、危険性は承知の上ですわ」
「グリュエーよりソラマリアの方が救済機構所属歴は長いよ?」とユビスの背に揺られるグリュエーが遠慮がちに言う。
「もちろんソラマリアにも頼っていますが、昔のことですもの」とレモニカは付け加える。
「でも第五局の焚書官を使い捨てにしているのは気になるね」とベルニージュは話を戻す。「使い魔の魔導書の性質を考えると、使い魔に命じる場合は人間の体を依り代にする理由がない。鋼の体なら頑丈だし、木の体なら身軽になれるはず。当人が使い魔の力を借りたいならともかく」
「そうなの?」とユカリが疑義を呈する。「戦う者を貼るにしても、たとえば私に貼るよりソラマリアさんに貼った方が強くなれるんじゃない?」
「それはそうだけど、その場合……」と言って今度はベルニージュがソラマリアを振り返る。「あの焚書官に特別なところはあった?」
ソラマリアは焚書官時代を思い返しつつも、首を横に振る他なかった。遠い過去、ヴェガネラ王妃に出会う前の人生はどうにも色褪せて見え、記憶も朧気だが、仲間の能力や特性に関してはよく覚えている。
「いや、特には何も。身体能力は第五局の僧兵としては十分だったと思うが」
もちろん戦う者にも知っていることを全て明かすように命じたが、これまでの使い魔と同様ほとんど何も知らないも同然だった。第五局についてさえ、情報は制限されていた。
「となると、他に考えられるのは……」とベルニージュが一人、思考に絡めとられていく。
「ともかくもう分断されないように、極力固まった方が良いよね」とユカリは提案する。
そうするに越したことはないが、ユビスの足の速さを利用しないということにもなる。状況次第では難しいことだ。ソラマリアはそう考えたが、ユカリ自身、何も絶対の規則のつもりで言ったわけではないだろうから口出しはしない。
「あぁ」と何度目かのうんざりしたようなユカリの嘆きを聞く。
全員で立ち止まり、ユカリへ視線が集まる。
「今度は何を仕掛けてきた?」とソラマリアは慰めるような声色で問う。
「前後に一枚ずつ、ですね」ユカリは行き先の山々と来し方の野原に目をやる。「やっぱりソラマリアさんの言う通り、私たちのことを推し量ってるんでしょうね」
「うーん。荷を下ろして追いかけるのも面倒だね」とベルニージュが呟く。「前回は追い付けなかったし」
追いつく前に戦う者の気配に気づいて引き返したのだ、とソラマリアは聞いていた。
「同じ手を使えば無駄に自信を与えることになるだろう。迷わせ続けるためにも別の対策を打とう」
「何か考えがあるの?」とレモニカに問われ、ソラマリアは頷く。
「片方に私が一人で向かいます。もう一方は気配の動き次第で判断してください」
「何を言っているの?」とレモニカは呆れる。「それは考えなしというのよ」
「ユビスほど足は速くありませんが、退く判断も加味すれば私の方がより危険性は低いでしょう。それに私は既に一度、一人で封印を確保していますよ」ソラマリアはユカリの何か言いたげな表情に気づいて先んじる。「もちろん、私たちのためでもあります。次の使い魔が解呪の熟練者じゃないとも限らない」
レモニカが助けを求めるようにユカリに目で訴える。しかしユカリはソラマリアを支持した。
「私は止めないよ。ソラマリアさんなら安心できる。魔導書は一冊持ってますよね?」
「ああ、えーっと、クヴラフワで手に入れた、何だったか――」
「『偶像異本』ですね」とユカリが前のめりに教えてくれる。
不承不承レモニカも納得した。
決してたどり着くことはないと分かっていても、それでも目的地を目指して旅を続けるようなものじゃないかな、とベルニージュは償いをそのように説明した。
背後から迫る魔導書の気配の元へ向かっている時に、ソラマリアはそんなことを思い出した。ただ真っすぐに道を戻ればいいとユカリに説明され、おおよその距離も把握している。しかしソラマリアには魔導書の気配が分からない以上、今もそこにいるかは知りようがない。そろそろ諦めて戻ろうかという距離まで来た。その時、無邪気な妖精の好む古い街道と交差する川に架けられた、道よりも古い石橋で、再び第五局の焚書官に巡り合った。先の襲撃者と似たような格好だが一回り体格が大きい。
「おお、こっちに来たか。あたしは運がいい。一つ聞いてもいいかな?」とその焚書官は剣を抜き放ち、野太い声で問う。
「聞くだけ聞こう」とソラマリアも抜刀しつつ応じる。
「君が大陸一の剣士っていうのは本当?」
「そう呼び称されたこともあるというだけだ。実際のところは知りようもない」
「それじゃあ弟子なんかも沢山いるんだろうね?」
「いいや、師も弟子もいないな。剣術を教わったことも教えたこともない」
師を自称した者はいたが。
「え? 何も? 恩寵は? フォーロックは?」
ソラマリアは真っすぐな眼差しを向けつつ答える。「それが何か分らない」
「剣術の流派だよ……。これは予想外だね。まあ、でも楽しみだ。あたしも剣士として色々と斬ってきたけど、君みたいなのは初めてだから」
「私と戦いたかったのか?」
「ああ、そうだよ。とはいえ、もう知ってるだろうけど、あたしは命令下だから正々堂々とはいかないけどね。申し訳ないが、あらゆる手を尽くさせてもらうよ」
剣士の使い魔が姿勢を低く、獣のように駆けてくる。速い、がソラマリアに見切れないほどではなく、工夫のない真っすぐな突撃とも言える一撃を受け流す。勢いのままに背後へと走り抜ける使い魔を目で追う。その先に、動く土塊人形と一匹の狐がいた。
「何故ついて来たのですか!? 下がってください!」
土塊人形が身の内から剣を引きずり出し、剣士の使い魔の薙ぎ払いを受け止める。その魔術から戦う者だと分かる。
「前々から君とも戦いたかったんだ」と剣士の使い魔は途切れることのない雷を伴った嵐の如く戦う者に斬りかかる。
「俺様はそうでもない」と土塊人形の使い魔は言葉と剣に応じる。「戦いなど、目的を果たす手段の一つに過ぎないからな」
「道具が目的を持つだなんて滑稽だと思わない?」剣士の使い魔はせせら笑う。
「魔法少女はそれを否定した」
「あれも道具の一つよ」
追いついたソラマリアが剣士の使い魔の背後から斬りかかるがかわされる。そして魔性の剣士は見咎められた罪人の如く街道を離れ、振り返ることなく走り去る。
ソラマリアはその背中を丘陵の向こうまで見送ると、相変わらず狐の姿のレモニカと向き直る。が、言葉は出てこない。その行動を咎める理由が思いつかなかった。こういう場合、危険性を説くのがソラマリアの定石だった。しかし魔導書を使って身を守る以上に安全な方法などそうはない。それを否定するなら初めからこの旅を許すべきではなかったという話になる。
「……あぁ、えっと、追わなくていいのか?」と戦う者が気遣わしげに問いかける。
「どのような命令を受けたかにもよるけれど」と狐の姿の王女は言葉を返す。「貴方と同様に、ユカリさまかその仲間の誰かを最低一人討ち取れという命令だったなら、あれは戦略的撤退ね。命令遂行のための一時的な措置であれば命令に反することにはならないのでは?」
「なるほど」と土塊人形は感心した様子で剣士の使い魔の走り去った方を見つめる。「いや、俺様には分からん。思いつきもしなかった。なるほどなあ」
「だとすれば、出しゃばってしまったわね」狐がソラマリアの方へと近づき、レモニカの姿へと戻る。「二対一では勝てない。そう判断させてしまったのよ」
レモニカと目が合い、ソラマリアはよく考えずに頷く。
「ん? ってことはあいつ!」戦う者が声を荒げる。「ソラマリアの相手をするより、俺様を倒してレモニカ嬢を討つ方が容易いって判断したのか?」
「事実だろう?」とようやくソラマリアも口を開く。
「うるせえな!」
「と、いうよりは背中に守る者がいる方が討ちやすいと判断したのよ」とレモニカは推測する。「こうしていても皆と合流してもいつまでも姿を現さないわね」
「こちらから追うしかありませんね」とソラマリアは呟く。
「いいえ、その必要はないわ。こうしましょう」と言ってレモニカは戦う者に向き直る。「皆の元へ戻れ。駆け足」
戦う者は何も言い残さず、乗り手のいない逸れ馬のように再び街道を走って戻っていった。
「どういうおつもりですか?」
「足手まといのいる貴女なら倒せる、とあの剣士の使い魔は判断するはずよ。そしてその判断と命令が行動を促すはず」
ソラマリアは溜息を呑み込む。ラーガもリューデシアも、そしてヴェガネラ王妃も無理を求めるきらいがあった。その無理を通してきたことこそが、ソラマリアの誇りだった。
はたしてレモニカの狙い通り、剣士の使い魔はのこのこと戻ってきた。きっとこれまでも旅人が休むために腰掛けて来たのだろう磨り減った岩にレモニカは座っていた。守るべき主を背に、ソラマリアは使い魔と対峙する。
「守る者があっても私は戦う者より強いぞ」そう言ってソラマリアは切っ先の狙いを定める。
「全員斬れば魔導書は全て手に入るだろう?」
剣と剣がかち合う。大陸一と謳われた剣士と大陸に存在する全ての剣術を修めた使い魔が激しい戦いを繰り広げる。雷光の如き刹那の一閃、豪雨の如く連なる猛攻。使い魔の知るありとあらゆる魔性の剣術がソラマリアを襲う。
離れた場所の大木が剣の影に切り裂かれ、長い年月を風雨に耐えた石橋が剣の閃きに叩き切られる。一振りの剣が同時に幾重も振り下ろされたかと思えば、一方で刃を振りもせずに切り裂く。
「いずれも魔法に通じた一握りの剣豪が生涯をかけて修めるような秘術なのだけど、確かに君という存在は出鱈目だな」息も切らさず魔性の剣士は一息に言った。
「そんなものを複数修めている奴に言われたくないな」
「努力と犠牲の賜物だよ」
そう言うと剣士の使い魔は数歩下がり、悠長に構える。ソラマリアは真正面から受けて立つ。
使い魔のまるで弓を引き絞るような体勢から放たれるのは音をも貫く鮮烈な一突きだった。ソラマリアはその軌道を弾いて反らし、返す刃で焚書官の肉体を上下に両断する。それでも命令のままに戦おうとする上半身を左右に両断する。なお動き続ける左半身の心臓を一突きにして、ようやく封印を探り当てた。
レモニカに凄惨な光景を見せてしまったことに気づく。
罪なき王女は残照に似た血溜まりを見つめて物思いに耽っていた。伏せた眼差し、僅かに紅潮した頬、手を重ねた佇まいに狼狽した様子は無い。まるでそれを常とした者のような姿にソラマリアは虚を突かれる。
もしも母を失わず、呪いも浴びなければ、このような旅をする必要もなく、埃っぽい街道の道端で血溜まりを見つめることもなかったのだ。
「何か見当はずれなことを考えているわね?」顔を上げたレモニカが薄い笑みを浮かべて指摘する。「何かしら? 惨い光景を見せたことに罪悪感でも覚えているの?」
「いいえ、そのようなことは」
「そうかしら?」レモニカは霧の奥を見つめるようにじっとソラマリアを覗き込む。
レモニカ王女が呪われず、ヴェガネラ王妃が生きている。それが罪のなかった世界だ、とソラマリアは考える。償うことが、そのありうべき世界に近づけることだとすれば、レモニカの呪いを解くことに加え、ヴェガネラ王妃が娘に与えたであろうものを与えなければならないはずだ。
ソラマリアはラーガに教えられたことを思い出す。ヴェガネラ王妃が子供にだけ与えた、加護でもある予言をソラマリアもまた授かっている、とのことだった。
『闇の内に豊かなる娘は光に抱かれ眠りにつく』
ならばソラマリアは姉だ、とレモニカに揶揄われたが、あるいは姉代わりを務めることも償いになるのかもしれない。
ソラマリアは可笑しな考えに苦笑する。
「さあ、早く戻りましょう。ユカリたちの方も上手くやっていると良いのですが」
本当の妹も守れなかった者に姉の代わりなど勤まるものか。