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忘れられない言葉がある。「お前は海みたいだな」
それは、神聖ローマがいなくなってしまうほんの少し前のこと。
夜ご飯の時間になっても部屋に戻ってこない神聖ローマを呼んでくるよう、ローデリヒさんに頼まれた時のことだった。
屋敷の近くには見つからなくて、周りがよく見えなくなるくらいに暗くなった頃、屋敷から少し離れたなだらかな丘で神聖ローマを見つけた。
「晩御飯の時間だよ、神聖ローマ」
彼は弾かれたように振り返った。
「……………イタリアか。わざわざすまないな。戻ろう」
「なにを見てたの?」
神聖ローマは答えなかった。ただ、丘の向こうに広がる景色を何も言わずに険しい目で見つめた。
「このずっと向こうに、海が、あるんだな…」
それから聞こえないほど小さな声で付け足した。
「お前は、海みたいだ」
どういうこと?と尋ねても彼はなにも答えなかった。
「戻るぞ」
それだけいって、踵を返して歩き始めた。暗くてよく見えなかったけれど、少し赤くなっていた気がする。
それからすぐ、神聖ローマは戦いにいってしまった。
「真剣に俺とローマ帝国にならないか?二人で世界で一番強い国を作ろう」
彼の手を取って一緒に走っていけばよかったのに。
ーーーーーあの時、手を取らなかったのは。
ローマ爺ちゃんのことを思い出したから。大きくなりすぎたら滅んでしまう。
別れの日の朝。
「900年代からずっとお前が好きだったんだぞ」
嬉しかった。だから、僕も、好きだよと、言えばよかったのに。そう言えなかったのは何故なんだろう。
そういえば、あの子は行かなかったかもしれないのに。
何かが、彼と共に行くという答えを阻んだ。そして、その残酷な選択が自分を生かし、あの子を殺した。
手を取れば、自分もローマ爺ちゃんと同じになると、どこかで分かっていたのかもしれない。
「何百年たってもお前が世界で一番大好きだぞ!」
頬に触れたぶっきらぼうでやさしげな唇。
その熱が離れ、彼は旅立った。
絶対、また会える。お菓子を作って待っているから。
帰ってきたら、言えなかった気持ちを必ず伝えるのだと、その時はそう信じられた。
けれど、直感か、国としての生存本能が出した答えに間違いはなかった。
ーーー神聖ローマは、帰ってこなかった。
それども、きっと彼はどこかで生きていて、いつか帰って来るのだと信じて待ち続けた。
信じることしかできなかった。
それなのに。
「神聖ローマはもういない」
ずっと、そうでなければいいと知らんぷりをしていた終わりの言葉は唐突に襲ってきた。
あの子の最期は爺ちゃんと同じだったのかな。
傷だらけで、病気になって、弱っていく。
泣き喚いて嘘だと、叫びたくなるような悲しい最期。
この世界が選んだ国と選ばなかった国。
どうして、俺が残されて、あの子や爺ちゃんは選ばれなかったんだろう。
俺たちが選ばれた代わりに、消えていった国がある。初めからいなかったみたいに地図から、跡形もなく消えてしまった。
成長していく度にほんとは嫌だった。
誰かから、大切ななにかを奪っているんじゃないかって。
ーーー地図から段々消えていくあの子から大切なものを奪っているんじゃないかって。
あの子が消えたと言われた時、自分の大きくなってしまった体を見て思ってしまったんだ。やっぱり、神聖ローマから奪い続けてきたんだと。
自分だけではなく、みんながそうで、そうやって当たり前に大きくなった。
生き続けたい思うのは国の、人の本能で、時に戦い、争い、奪うことは仕方のないことだと分かっていても、どうしても、あの子がいなくなってしまったことは受け入れられなかった。
お菓子を作って待っていれば、神聖ローマはいつか帰って来ると思ってたのに。
帰ってきたら、「好きだよ」と伝えるつもりだったのに。
気づいたときにはすべてが遅すぎたんだ。
そして、新しい国が、お前が生まれた。
その容姿の特徴を聞いた時、間違いなくその新しい国は神聖ローマの体に新たな人格が宿ったものだと確信した。
でも彼と同じ顔をしたその子と会うのが怖くてずっと会うのを避けてきた。
だって、もしその顔を見てしまったら、自分はきっと彼の名前を呼んでしまう。返事が二度と帰ってこない、その名前を呼んでしまう。
同じ顔をした存在が、待ち続けた彼の不在を何よりも強く教えるのが怖くて、お菓子を作って待っていても、彼は決して帰ってこないということを残酷に告げる瞬間から逃げていた。
でも、そんな小さな反抗は無力で、運命は容易く、そして無慈悲に二人を引き合わせた。敵同士として、銃口を向けられる相手としての再会の瞬間、日の光を受けるあの子よりも淡い色をした瞳には、あの日の俺はいなくて、敵としてしか映っていないんだろうと思った。
大きくなれなかったあの子とは違って、強く、逞しく育った。それはとても嬉しいことだよね。
ーーーそう、お前も俺と同じで、与えられて育ったんだね。
あの子が国を与えた彼が、今度は新しく生まれた国に全てを与えようとしている。
そうして、全てを与えた後、彼も消えてしまうかもしれない。
そうならなければ、いいのに。
最初は敵同士だった俺たちは、やがて友達になって、お前のいろいろなことを知るようになった。
お前のしかめっつらも、照れたような微笑も、怒った顔も全部、あの子とそっくりなんだ。
あの子はここにいないのに、ここにいるみたいで。
それでも、お前にはあの子の記憶は何も残っていないから。
いつしか、分からなくなったんだ。
お前のことが好きだって思うのは、本当にお前が好きだからなのかな。
消えずに残っているあの子の名残を愛しているんじゃないかと、分からなくなってしまった。
「900年代からずっと好きだったよ」
言えずに残った言葉が、自分の想いを分からなくする。
あれからずっと、俺たちはいい友達だけれど、結局一度も好きだとか、愛してるとか言えたことはない。
だって今、俺が好きなのは、あの子なのか、お前なのかまだ答えが分からないんだ。
そして。もしお前も俺のことを愛してくれてるとして…それがお前の想いだと、誰も言えない。
俺も、ギルベルトもローデリヒさんも、エリザベータさんも、お前に大切なことを隠してる。
だから、お前が自分の真実を知る日は来ないのに、お前が知らなければ俺たちは前に進めないんだ。