テラーノベル
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「よし、出発じゃ!」
松吉の号令とともに、全員がバンに乗り込んだ、正宗がエンジンをかけ、低いエンジン音が静かな辺りの空気を震わせた
「みんなシートベルトしてよ!つかまりたくないからね!」
正宗がシートベルトの装着をみんなに進める、桜はシートベルトを締めながら深呼吸をした
ジンさんに会うのが怖い・・・でも行かなければ、それだけははっきりしていた、正宗がギアをドライブに入れた、まさにその時だった
「お待ちなさい!」
凛とした声が辺りの空気を切り裂いた、全員が一斉に振り返ると旅館の玄関に、フネが立っていた
いつもと変わらぬ旅館の留袖に、きっちりと結い上げた髪、女将として三十年間、この旅館を守り続けてきた女の佇まいがそこにあった
「ママ・・・」
桜が窓を開けた車の入り口から乗り出した、しばらく桜とフネは睨み合った、出発する前にひと悶着あるなと覚悟したバスの一行はみんなゴクリッと唾を飲みこみ、緊張感は一気に高まった
「わ・・・私、行くから!どうしてもジンさんに会いたいの!止めてもムダだからっっ!」
先手を打つように言った桜に、フネはゆっくりと歩み寄った、その表情はいつもの女将の顔だった、隙のない凛とした感情を内側に押し込めた顔だった
「誰がお前を止めると言いました、わたくしも行きますよ」
フネはそう言って、一泊は出来そうな鞄を肩にかけた、沈黙が落ちた、松吉が目を丸くした、米吉が口をぽかんと開けた、すず江とみや江は顔を見合わせたて正宗はバックミラーの中でフネを凝視した
そして桜が一番驚いていた、みんな一斉に言った
「「「「ええ?」」」」」
「騒々しいこと、聞こえませんでしたか?娘の不始末を最後まで見届けるのが親でしょう?駄目だとは言わせませんよ」
フネは涼しい顔で後部座席の桜の横に乗り込んだ
「で、でもフネちゃん……旅館は?」
みや江が恐る恐る尋ねた
「そうよぉ~!女将は30年間もこの旅館を休んだことがなかったわ」
すず江も言った
「だから一日くらい休んでも平気ですよ」
涼しい顔で平然と前を向いているフネを、桜は信じられない気持ちで見ていた
三十年間この旅館を守り続けた母・・・
雨の日も、雪の日も、娘が風邪をひいた日も、夫である松吉がぎっくり腰になって寝込んだ日も、母はこの旅館の玄関に立ち、客を迎えていた
この旅館を空けることなんて母が死ぬ時だと桜は思っていた、そんな母が自分のために一緒に大阪まで来ようとしている・・・桜の心の中に温かいものが広がった
でもこれだけはわかっていた、この人は絶対「娘が心配だから」などとは絶対言わないだろう、そんな言葉は山田旅館の女将、山田フネの辞書にはないのだ
フネの横でフフフと小さく松吉だけが静かに笑っていた、長い間、連れ添った夫婦の間に余分な言葉はいらなかった
「さあ!今度こそ出発じゃ!」
松吉が声を張り上げた、正宗がギアを入れ、バンがゆっくりと動き始めた
「ちょっと待って!飴ちゃん忘れたわ、部屋に置いてきてしまって」」
みや江の声にブレーキがかかった
「そんなものはどこかで買えばええじゃろ!」
誠一郎がすかさず言い返した
「明石のサービスエリアに寄ったらどう?あそこに美味しいおうどん屋さんがあるのよ!」
「それいいわね!みんなで食べましょうよ!」
みや江、すず江が目を輝かせた
「明石といえば蛸だぜ、蛸のかき揚げが—」
「寄りませんよ!」
盛り上がる、みや江、すず江と誠一郎に正宗が叱咤した
「ジンさんが韓国へ行ってしまうんだよ!のんびりうどんなんか食ってる場合じゃないでしょう!クラちゃんの気持ちを考えてよ、出発しますっっ!」
「……明石、ちょっとだけなら」
「寄りません!」
米吉のつぶやきも正宗にさえぎられた、バンが動き出しても車内ではまだ、くぐもった声があちこちから漏れていた、飴ちゃんのことやうどんのこと、にぎやかな声が幾重にも重なり、まるで観光旅行バスのようだった
後部座席の一番後ろに桜とフネが無言で並んで座っていた、気まずい母と娘は何を話せばいいのか分からず、車に揺られていた
窓の外を景色が流れていく・・・山が、田んぼが、夏の光の中で次々と後ろへ消えていく
―ジンさん―
・.。. .。.:・
桜は心の中で、ただその名前を呼び続けた
―行かないで―
・.。. .。.:・
まだそこにいて・・・私が行くから、もう少しだけ、もう少しだけ待っていて
じわりと涙が溢れてくる
伝えなければならないことがある、ずっと言えなかった言葉がある、それを言わずに終わったら、きっと一生後悔する・・・そんな予感が、胸の奥で静かに燃えていた、そっと桜は涙を流した
そんな桜を静かにフネが横目で見ていた
バンは高速道路へと滑り込み、明石海峡を猛スピードで渡る・・・その姿はまるで海の中にバンが突っ込んで行くようだった
コメント
3件
フネさん✨️娘のホントの気持ちを知りたかったのかな😭フネさんも一緒に桜ちゃんがジンさんを思う気持ちを見届けて✨️ 明石の蛸は無事解決したら皆で行こー(笑) 急いでー!!
どうか無事に着きますように。 桜ちゃんの気持ちがジンさんに届きますように。
フネさんきっとジンさんを助けて2人の仲をを後押ししに来てくれたんだよね✨️ そうだと信じたい😭🙏 ジンさんの家族を乗せた希望のバス🤩✨️ とにかく大阪へ急げ〜🚍️💨 飴ちゃんもうどんも蛸も帰りに寄れたらいいですね😂