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【最終章 Stand by me, Stand by you】
ジンの会社「WaveVibe」の30階、社長室・・・
窓の外には大阪の街が広がり、晴れた日には遠く六甲の山並みまで見渡せた、この景色を初めて見た朝のことを、ジンは今でも覚えている・・・
彼は社長室にある自分の私物をダンボール箱に一つ、一つ詰めて、社長室を片付けていた
片付けというのは不思議なものだ、物を箱に詰めるという行為はただの作業のはずなのに、一つひとつの物が手を止めさせる・・・
これはあの時、これはあの日・・・記憶というのは形のないくせに、物にだけは確かに宿っている
五年間この社長室で生きてきた、韓国から一人で渡ってきた自分が父の夢を背負って、血の滲むような時間をかけてここまで登ってきた
デスクの引き出しを開ける、ペン立て、付箋、名刺入れ・・・
一つひとつを確認して、処分するものと、韓国へ持って行くものを分ける、感情を挟む隙間など何処にもなかった、黙々とただ手を動かしていれば何も考えずに済む、そしてこのまま何も考えずに韓国行きの飛行機に乗り込んでしまえば、あとは飛行機が自分の体を母国へ運んでくれる、そしてこの物語はジ・エンドだ
なのに手が止まったのは、デスクの端に目が行った時だった
ハマーバックスの空のカップがポツンと置いてあった、見るなり桜の顔を思い出す、毎朝、出社前にハマーバックスに寄って、ジンの分のカフェラテを買って出社する彼女・・・
飲み終わったカップを捨て忘れてそのままデスクの隅に置いてしまっていたのは、ほんの数日前なのに、どうしてこんなに何年も前のように思わせられるんだろう・・・
それだけ偽装婚で彼女と一緒に過ごした日々は、彼女の夫として彼女の家族と一緒に過ごした数日間は、ジンの人生の中で最も凝縮されて色鮮やかに、輝いていた日々だった・・・
優しい桜の父と祖父・・・親切な親族のみんな・・・恋のライバルだろうと闘志を燃やした正宗でさえ良い人だった
今ジンは自分の人生の中で大切な何かを奪い取られたような気分だった・・・でもこうするしか選択がなかったのも事実だ、彼女を守るためには・・・
.。 .:・.。. .。.:・
「いやぁ~、素晴らしい眺めですねぇ~ここは」
背後から、のんびりとした声がしたが、ジンは振り返らなかった、ビザ入国管理局の厳しい審査官「浜崎」がジンの社長椅子に深々と腰掛けていた
革張りのジンの体に合わせて誂えた椅子は、WaveVibeが東証に上場した翌年、初めて自分へのご褒美として買った高価なビジネスチェアーだった、そこに浜崎は足を組んで、いかにも居心地よさそうに収まっている
トレードマークの中折れ帽を右手の人差し指でくるくると回して、退屈な午後を持て余す男のような、ゆったりとした所作で窓一面に広がる景色を感慨深く眺めていた
「大阪の街が一望できるなんて贅沢ですね、私なんか小汚い移民局の光が刺さない事務室で、来る日も来る日も犯罪者まがいの外国人を相手にしてましてね~もう、うんざりですよ」
ハッハッハと自分の冗談に笑ってジンの反応を見たが彼の返事はなかった
ジンは黙々と段ボール箱に本棚からビジネス書を一冊ずつ抜いて詰めていた、韓国語のもの、日本語のもの、英語のもの・・・父から譲り受けた古い経営書や背表紙が擦り切れてりファイルなど少し長く見つめてから箱に入れていた
「本当にいいオフィスだ」
浜崎は続けた
「五年で外国人の方がこの日本でここまで作り上げたとは、たいしたものです、私もいくつかの会社の調査をしてきましたが、これほどの規模に短期間で成長させた例は、そう多くない」
中折れ帽を人差し指でくるくると回す
「実に惜しいですねぇ」
ジンの手が一瞬だけ止まったが、次の瞬間にはまた動いていた、浜崎は社長椅子ごとわずかに向きを変えて、黙々と作業を続けるジンの背中を静かに、しかし注意深く見つめていた
浜崎は思った、三十年近くこの仕事をしてきて偽装婚を見破った案件も10や20では効かない、悪行や打算で動く人間を、彼は数え切れないほど見てきた
しかし自ら偽装婚を暴露した例は無い、なぜかこの男は憤慨するでもなく、嘆いてもいない、ただ、黙って片付けている・・・自分が蒔いた種の始末を感情を殺して一人で片をつけようとしている
浜崎は自分の中折れ帽をまだくるくると回しながら、無言でジンを見つめた
窓の外では、大阪の街が午後の光の中に広がっていた、雲の影がゆっくりとミナミの街並みを流れていく・・・
そして浜崎は三十階の絶景を眺めながら、二人とも静かに何かを考え続けていた
コメント
2件
浜崎さんも思うところあるのよね! 偽装はダメなことだけど、ジンさんは 本当は誠実、真面目な人柄なのよー😭
浜やん🥸もさ、ジンさんは一味違う人って思うでしょ? ビザ更新怠ったのはダメなんだけど、犯罪どころか日本で世のため人のため、めちゃめちゃ頑張ってるの😭