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もやもやした闇の霧を抜けた先に広がっていたのは、見覚えのある学校の正面玄関と、その前に見える車回し、そして二階で本校舎と繋がる小さな図書館棟だった。
けれど空を見上げれば、そこに見えるのは幾何学的で不思議な模様。角ばったコンクリートのような物質がふわふわと宙に浮かび、互いにぶつかっては一つに繋がったり、離れたりを繰り返していた。
振り向けば校舎全体を黒い靄が覆っており、今しがた出てきた窓のあたりだけ、その靄が僅かに薄れて向こう側の廊下がぼんやりと見えるようになっている。
「これは……」
思わず口にすると、シモハライ先輩も同じように校舎を見上げながら、
「たぶんだけど、校舎全体に何か魔法が掛けられているんじゃないかな。それか、夢の主が意図的にこういう世界を作り上げたか。だから廊下がループしていたんだ」
「でも、だとしたら、どうして窓からは出られるわけ? 中途半端じゃない?」
と訊ねる榎先輩に、シモハライ先輩は答える。
「答えを用意しているからこそ、その中で迷い続ける僕らの姿を見て楽しんでいた。そういう可能性もあるよね」
「つまり、どういうことですか?」
シモハライ先輩の言っていることがよく判らなくて、わたしは首を傾げた。
「最初から出口は用意してあるのに、それに気づかず迷い続ける姿を見ている方が笑える、ってことだよ。全く出口をなくしてしまうと、出られないのは判っているわけだから、そのぶん見ていても面白くないでしょ?」
でしょ? と言われたって、ますます解らない。そんなことをして、いったいどういう意味があるというのだろうか。何が面白いというのだろうか。笑えない。全然笑えない。
けれど、事実として、わたしたちはこの校舎から抜け出すことができた。それで十分だ。
あとは、どうすればこの夢から目覚めることができるか、なのだけれど……
シモハライ先輩は小さくため息を吐いて、
「逆に言えば、この夢の主は、常に僕らを監視しているのかも知れないってことだ。迷っていた僕らを笑いながら。けれど、校舎から抜け出すことのできた僕らに対して、そいつは次に何をしてくると思う? 何を考えていると思う?」
そんなことを聞かれたって、わたしに解るはずもないし、考えたくもなかった。とにかくこの夢から目覚めたい、ただそれだけだ。どうして私がこんな目に遭わなければならないのか、誰がわたしをこんな夢に閉じ込めたのか。でも、今はそんなこと、どうでも良かった。一刻も早く、ここから抜け出せるのであれば。
「とにかく、こんなところで考え続けても仕方なくない?」
榎先輩は言って、腰に手を当てて小さくため息を吐いてから、
「とりあえず、校舎の周りを見てみようよ。また何かあるかもしれないでしょ?」
「そうですね。そうしましょう」
「……はい」
わたしは答えて、先に歩き出したシモハライ先輩と榎先輩の後ろをついて歩いたのだった。
いつ夢魔が現れてもすぐに逃げ出せるよう、警戒しながら。
校舎の周りはとても曖昧なつくりになっていた。
まるで校舎以外には興味がないかのように、線がぼやけていたり、歪んでいたり、体育館やプール、倉庫、それらはドアこそ見受けられるものの、まるで紙に書いた絵のようで開けることはおろか、取っ手を持つことすらできなかった。
「この夢の主、校舎の中はそれなりにちゃんとしていたのに、グラウンドからこっちはあまり興味がないみたいだね」
シモハライ先輩の言う通り、それはまるで少し絵の上手い小学生の書いた写生のような感じで、とりあえずこの程度でいいだろう、とどこか開き直ったような印象を受ける。
「いかにも、魔法使いらしいつくりだね」
シモハライ先輩のその言葉に、榎先輩は苦笑して、
「まぁ、それが魔法使いだから」
ふたりのそんな様子を、わたしは怪訝に思いつつ、
「それ、どういう意味ですか?」
訊ねると、榎先輩が答えてくれた。
「ほら、魔法使いって、すごく適当な人が多いでしょう?」
「そう――ですか?」
解らない。そんな印象、全然ないんだけれど。
「魔法使いはさ、基本的に自分の興味のあることにしか、本当に興味がないんだよ。享楽的、というのもおかしいかも知れないけれど、ほら、見ての通り」
シモハライ先輩はグラウンドを中心としてクラブ棟、体育館、体育倉庫、プール、そして講堂を順番に指差して、最後に校舎に身体を向けて、
「……この夢の主は、どうやら校舎以外の場所にはあまり興味がなかったみたい。ということは、少なくとも、こちら側に答えはないってことだと思う」
思う、って言われても……困る。
けれど、解らない私はそれに対して、何も言うことなんてできなくて。
「戻りましょう」
「うん」
先輩たちは頷き合い、そしてわたしたちは再び車回しのところまで戻ってきた。
グラウンド側と比べてみれば、確かにこちら側のつくりはとても現実に近くて、細かくて、校門から外は幾何学模様に埋め尽くされているけれど、反対側の方は――
その時、榎先輩が唐突に「あっ!」と声をあげ、
「いま、誰かいた!」
その反対側の方を指差した。
「えっ」
「本当ですか?」
シモハライ先輩もわたしもそちらに顔を向けてみたけれど、人影なんて見えなくて。
「うん、あっちに歩いて行った!」
わたしたちは榎先輩を先頭に、校舎裏へと走り出した。
そこは大型ごみの収集場になっており、その向こうは鬱蒼と生い茂る森になっていた。森と収集場の間には金網フェンスが設けられており、その片隅は大きく抉られ、人ひとり通れる穴が開いている。
「……あの中でしょうか?」
訊ねるわたしに、シモハライ先輩と榎先輩は互いに顔を見合わせ、頷き合う。
どうやらふたりは何かを知っているようだ。いったい、何を知っているのだろうか。
「どうしたんですか? この先に、何があるか知っているんですか?」
するとシモハライ先輩はこくりと頷き、
「この先には僕たちの、秘密基地があるんだ」
「秘密基地?」
なにそれ、こんな森の中に?
「いわば放課後の部室、かな」
どう見ても鬱蒼と生い茂る木々ばかりで、この先にそんなものがあるようには到底思えなかった。木々に覆われて薄暗いし、不気味だし、ここを進むには勇気が必要だと思った。
「そう、こんなところに」
とシモハライ先輩は頷いて、それを引き継ぐように榎先輩が口を開いた。
「ここはさ、学校になるずっと昔、もともとあたしのひいお爺さんが住んでいて、魔法の研究室がこの先にあったんだ。あたしたちは、今その研究室を、放課後のたまり場として使ってるってわけ」
「でも、だとしたら、さっきの人影は」
「……真帆かも知れない」
シモハライ先輩はそう言って、じっと森の闇を見つめた。