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王城の大広間へと続く回廊。
重厚な石造りの壁に、二人の足音が規則正しく響く。
私は、自身の腰に回されたアルベルトの手の感触を、冷徹なまでに客観的に分析していた。
ドレスの薄い生地越しに伝わるその掌は、驚くほど体温が低い。まるで血の通わぬ死体のよう……
けれど、腰を支えるこの強靭な腕力こそが、今の私に必要な『盾』なのだ。
「……準備はよろしいですか、エカテリーナ。いえ、『妻』とお呼びすべきでしたか」
大扉の前で立ち止まったアルベルトが、慇懃に
けれど鼓膜を逆撫でするほど冷ややかな声で囁いた。
私は、手に持った扇の端で自分の唇をなぞり、挑戦的な笑みを浮かべる。
「ええ、完璧よ。……さあ、皆様に教えて差し上げましょう。これからは、私に触れることは、狂犬の牙に触れることなのだと」
衛兵が重々しい音を立てて扉を押し開いた瞬間
室内の華やかな喧騒が、まるで物理的に叩き切られたかのように凍りついた。
漆黒の行進
会場にいた数百人の貴族たちが、一斉に息を呑み、モーセの十戒のように道を開ける。
そこに現れたのは、祝福されるべき新婚夫婦などではなかった。
返り血を思わせる深紅のドレスを纏い
男たちの破滅を吸い尽くしたような美貌を誇る私、エカテリーナ。
そして、その隣で感情を去勢された漆黒の瞳を湛え、周囲を威圧するアルベルト。
二人の歩みは、まるで地獄の門が開いたことを告げる死神の行進だった。
「あら、皆様どうしてそんなに静かなのかしら? 私たちの結婚が、そんなに意外だった?」
私は扇を優雅に広げ、周囲の令嬢たちに嘲笑を向ける。
かつて私を「行き遅れの悪女」と陰口を叩き、失脚を待ち望んでいた伯爵令嬢が
アルベルトの冷徹な視線と目が合った瞬間、悲鳴を押し殺して後退りした。
その際、彼女が手にしていたクリスタルグラスが床に落ち、鋭い音を立てて砕け散る。
「失礼いたしました。妻が少々、皆様を驚かせてしまったようで」
アルベルトは一見すると、どこまでも礼儀正しい完璧な紳士として振る舞っている。
だが、その口元に浮かぶ微笑は研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、一切の温もりを通さない。
彼は砕けた硝子の破片を、高価な靴の裏で淡々と踏みつけ、震え上がる伯爵令嬢を見下ろした。
「もし、彼女の言葉が癪に障ったという方がいらっしゃれば、後で私にお申し付けください。……人目を忍ぶ場所で、一対一で、じっくりとお話を伺いましょう」
丁寧な言葉遣いの中に隠しきれない、剥き出しの殺意。
会場全体が、氷水を浴びせられたような静寂に包まれる。
誰もが理解した。
この男は、【妻】を守るためなら、この場の全員を屠ることすら躊躇わない【夫】
その事実が、狂気的な真実味を持って全員の脳裏に刻み込まれた。
◆◇◆◇
ダンスの合間、熱気に当てられたふりをして
テラスへ逃げ出した私たちは、ようやく仮面を半分だけ剥ぎ取った。
冷たい夜風が私の髪を揺らし、アルベルトの無機質な、彫刻のような横顔を照らす。
「お見事だったわね。皆、蛇に睨まれた蛙のように惨めに震えていたわ」
「貴女のその慇懃無礼な挑発のおかげですよ、エカテリーナ。おかげで当分は、私たちに触れようとする無知な羽虫も現れないでしょう」
私は彼を労うことも、感謝を述べることもない。
ただ、得られた利益を淡々と確認するだけだ。
アルベルトもまた、私を抱き寄せるような素振りは微塵も見せず、ただ冷たく月を見上げていた。
「まあ、こんなの序章に過ぎないわ。本番はこれからでしょ?」
「ええ。契約通り、私は貴女の盾であり続けましょう……」
「ふふ、その代わり、私は貴方の〝大掃除〟を手伝う。それだけでしょ?」
「もちろん、それ以外の感情などこの地獄には必要ありませんから。貴女も、私も」
アルベルトの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるような空虚さを孕んでいた。
私は、彼の黒髪の隙間に覗く
あまりにも綺麗な
そしてどこか欠落を感じさせるうなじを見つめる。
(この男は、本当に何も感じていない。……私と同じ。鏡を見ているみたいで吐き気がするわ)
互いの喉元にナイフを突きつけ合っているような、冷え切った共犯関係。
けれど、風に揺れたアルベルトの瞳の奥に、ほんの一瞬、説明のつかない暗い揺らぎが見えた気がした。