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湯船の中で、お互い背を向け合い、それぞれの体に体を預けるようにして、僕と葵はしばしの間言葉を発することはしなかった。
僕達二人が生んだ、静寂。気恥ずかしさはあるけど、不思議と気まずさは感じなかった。むしろ逆に、心地良さまで感じてしまう。
「――なんだかさ、懐かしいね」
沈黙を最初に破ったのは葵だった。
「そうだね、懐かしい。小さい頃はよく一緒にお風呂に入ったりしてたもんね」
「そうだよねえ。なんか遠い昔のことのように思えるよ。あの時は恥ずかしいとか、そんなこと全く感じなかったのにね」
「僕は少しだけ感じてたけどね。高学年になった頃から」
「あははっ! うん、知ってる。気付いてたもん、私。憂くんって、意外とエッチなんだなあって。そう思ってた。女子ってさ、男子の視線に敏感なんだよ? どこを見てるのかなんてすぐに分かっちゃう」
「……だから一緒に入るのやめたじゃん。嫌な気持ちにさせてたらごめんね」
「大丈夫だよ。ちょっと寂しかったけどね。それにさ、知らないでしょ? 女子の方が男子なんかよりもずっとエッチなんだってこと」
「え? そうなの? でもさっき、『恥ずかしいとか感じなかった』って言ってたじゃん」
「それとこれとは全く別だよ。恥ずかしくなくても、エッチなことはいつも考えてたよ?」
意外だった。葵の口からそんな言葉が出てくるなんて。でも、よくよく考えてみたら当たり前なことなのかもしれない。女子の方が精神年齢の成熟度は男子よりもずっと早いと聞いていたから。
でも、僕はそれを聞いて、葵のことをより意識してしまうようになってしまった。水着越しの葵の背中の感触が、僕の感情の速度を加速させる。
少しずつ冷静になってきてたけど、それだけのことで一瞬でひっくり返ってしまった。まるで、オセロだな。一度隅を取られたら、ちょっとした一手で状況が一変してしまう。
それで理解した。僕は今、完全に後手に回ってしまっているんだということを。別にそれが問題だとは思わない。だけど、『全て受け止める』とか言っておきながらちょっと情けないな、と。そう、感じた。
換気扇の無機質な稼働音が、やけに大きく聞こえて仕方がない。
「ねえ憂くん? 背中、洗ってあげようか?」
「……いいよ、自分で洗えるから。僕だって、もう子供じゃないんだからさ。それくらいできるよ」
「そっか。憂くん、もう子供じゃないんだ」
「なんだよ今さら」
「だって、私はまだ子供だから。成長できてないのかもね。いつまで経っても大人になれないでいるの」
「十分大人だよ」
葵はかぶりを振った。
「全然違うの。今日だって、憂くんがもし帰っちゃったらどうしようとか、寂しくなっちゃうとか、そんなことをずっと考えてたし」
以前、葵が言っていた言葉を思い出した。
『本当はね。落ち着かないんだ。誰もいない家に帰ってくるのが。静かすぎて』
あの時の葵からは、いつものポジティブさを全く感じなかった。
でも、理解できた。あれは、寂しさ、心細さ、寂寥感。それら負の感情がいっぱいに詰まった、いつもの葵ではない、もう一人の『子供の葵』としての言葉だったんだと。
――仕方がないな。本当に。
「じゃあ、お願いするよ」
「え? 何を?」
「さっき言ってたこと。背中、洗ってくれるんでしょ」
背中合わせでも、顔を見なくても、僕には分かった。
葵が今、目を細めていることが。
『第28話 葵と秘め事【3】』
終わり