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「えへへっ。本当に子供の頃に戻ったみたい」
鏡越しに映る葵の笑顔。それを見て、僕はやっと胸を撫で下ろした。やっぱり葵は笑顔が一番似合っている。
この笑顔を守るためなら、僕はなんだってできる気がした。思い上がりでもなんでもなく、そんな感情が、心の奥底から溢れんばかりに自然と湧いて出てきた。
僕にとって、葵は唯一の宝物だから。
「本当だね。懐かしさを通り越して、御伽話でも読んでる気分になるよ」
「御伽話? 憂くんってお爺ちゃんにでもなりたいの?」
「なんでそうなるんだよ。お爺ちゃんになりたい高校生とかいるわけないだろ」
「だって、御伽話ってあれでしょ? 玉手箱を開けたら煙がもくもく出てきてお爺ちゃんになっちゃうやつ」
なんだろう。これってボケなのかな? それとも天然なのかな? 葵の中では御伽話イコール浦島太郎なんだろうか? ツッコミたいけど、今の嬉しくて幸せな時間が壊れちゃいそうだから言わないようにしよう。
「御伽話で言うと、葵はかぐや姫かなあ。僕にとって」
「かぐや姫ってあれだよね? 何かを助けてあげたらお礼に米俵を玄関先に置いて、親切なお爺ちゃんが家から出られなくなっちゃうやつ」
家から出られなくなるとか、なんなの? お爺さん監禁されちゃってるじゃん。全くお礼になってないって。しかも、別の物語が混ざってない? たぶん『笠地蔵』と『鶴の恩返し』かな。まあ、ひとつ分かったこと。これ、ボケでもなんでもない。本気と書いてマジなやつだ。
うん。スルーするとしよう。
……ん? 今、何かを思い出しそうな気が。デジャブとでも言えばいいのだろうか。以前もこんなやり取りをしたことがあったような……。一瞬だったけど、そんな記憶の残滓が頭をよぎったんだ。
しかし、その理由はすぐに分かった。
「ねえ憂くん? 今、私の言ったこと、ボケなのかなんなのかって考えてたでしょ?」
「え!? な、なんでそう思ったの?」
「憂くんって顔に出やすいからねー。覚えてないの? 確かあの時って、私達が幼稚園生の頃だったかな?」
「幼稚園……ああ!! 思い出した!!」
そうだ、そうだった。幼稚園生の頃に葵と一緒にお風呂に入った時に交わした会話と全く同じなんだ。だからデジャブ感を覚えたんだ。
「もーう。憂くんヒドいなあ、忘れちゃってただなんて。私にとってすっごく大切な思い出なのにさあ」
「ご、ごめん葵! もう忘れたりしないから! お願い! 許して!」
鏡越しから見える葵はプクリと膨れっ面。あー、機嫌悪くさせちゃったかなあ。と、思ったんだけど、葵は「あははっ!」と笑った。
「怒ってなんかないって。不機嫌にもね。本当に心配性だよね憂くんって」
「謝らないの。いいじゃん、これからもっともっとたくさんの思い出を一緒に作っていくんだから」
「――そうだね」
「それじゃ、背中洗ってあげるね。あ。そうそう。決して後ろを向かないでくださいさい」
「それこそ、鶴の恩返しの『決して戸を開けないでください』みたいなんだけど……」
僕がそう言ってる間に、葵はスポンジにソープを付けて、それを泡立て始めた。そして僕の背中を優しく洗い始めた。
「憂くんの背中、大きくなったね」
「うーん、どうだろう。昔と比べたら大きくはなってるに決まってるけど、僕って小柄な方だしなあ」
「大丈夫! これからどんどん大きくなってくから。背中だけ」
「背中だけ大きくなるとか、どんなクリーチャーだよそれ」
そんな冗談を交わしながら、葵は僕の背中を洗い続けた。それで、昔のことを思い出した。いつも葵と背中の洗いっこをしてた時のことを。
優しくて、温かな時間が経っていった。この時間が一生続けばいいのにと、そう思わずにいられなかった。
けど――
「あ、葵?」
僕の背中いっぱいに、柔らかい感触が伝わってきた。スポンジじゃない。
僕は咄嗟に鏡を見た。
そこには、スクール水着をお腹の辺りまで下ろし、僕の背中に胸を押し付ける葵の姿があった。
涙を溢しながら。
「うう……ヒグッ……ううう……」
「ど、どうしたの葵!」
「やだ。やだよぉ。憂くんとずっと一緒にいたいよぉ。憂くんと付き合ってから、好きって気持ちがどんどん大きくなっていって……グスッ……もし憂くんが私から離れていっちゃうかもしれないと思うと、私……」
「な、なんでそんなこと思うのさ! 僕が好きなのは葵だけ――」
「知ってる。知ってるよそんなの。でも、そんなのどうなるかだなんて分からないじゃん。竹ちゃんが憂くんに告白したって聞いてから、ずっとそんなことばっかり考えちゃうんだもん」
「だから、竹田さんには断って……」
「違う。これから他にもそういう時があるかもしれないじゃん。竹ちゃんだって、これからどうするのか分からないし。それに、私よりも魅力的な人がいたら、憂くんだってその人のことを好きになっちゃうかもしれない。それが、すっごく怖い……」
葵は胸だけじゃなく、顔も背中に押し付けながら泣きじゃくる。怖い、か。そっか。不安にさせちゃってたんだ、僕は。
「気付かないで、ごめん」
「ゆ、憂くんが謝ることじゃないよ。私が臆病なだけなの。分かってるのそれは。だけど、怖いの。不安なの。お願いだから、私とずっと一緒にいてよ憂くーん……」
ずっと一緒にいて? 何を言ってる。どれだけ長い間、僕が葵のことを好きでい続けたことを知ってるくせに。
そんな簡単に離れるわけがないじゃないか!
「ゆ、憂くん……?」
気付いたら、僕は涙を溢す葵の方に向き直り、両手で彼女の肩に手を置いた。
そして、叫んだ。
「葵以外の女の子を好きになる? バカにするな! 葵に対する僕の気持ちはそんな簡単に壊れるようなものじゃない! どれだけ長い間、葵のことを好きでい続けたのか分かってるだろ!」
自然と出た、心からの叫びだった。
「僕は葵の笑顔に助けられてきた。ずっと、ずっと助けられてきた。だから、今度は僕の番だ! その笑顔を守り通す! お前以外の女の子のことを好きになるわけがないじゃないか!」
「本当? 本当にずっと一緒にいてくれるの?」
「当たり前だ! だから、胸で僕のことを誘惑しようとかしな……あっ」
「あっ? ああああー!!!!」
大声をあげながら顔を真っ赤にし、葵は焦って両手で胸を隠した。
しまった。興奮しすぎて頭から完全に抜け落ちていた。葵が胸を露わにしていることを。
「ご、ごめん葵!!」
急いで再度背中を向けたけど、時すでに遅し。鏡越しに見る葵の顔は真っ赤っかのまま、僕のことをギラリと睨み付けていた。
「――言ったよね? 『決して後ろを向かないでくださいさい』って」
「み、見てない! 見てないから! だから安心して! その……湯気! 湯気で全然見えなかったから!」
「ふーん、そうなんだ。湯気ねえ。換気扇付けてるから湯気なんかないはずなんだけどねえー」
「そ、そうだよねえー。あー、アレってなんだったんだろうね、あははっ」
「……まあ、いいけど。憂くんだし。見られてもいいと思ってるし」
「え? 今何て言ったの? 声が小さくて聞こえなかったんだけど……」
「いいの、聞こえなくて。それじゃあ私、先に出るね」
言葉を置いて、葵は先に浴室から出て行った。で、僕はと言うと、今にも倒れてしまいそうだった。
「女子の胸、初めて見ちゃったよ……」
葵の胸が脳裏に張り付いてしまい、頭から離れない。
今夜、僕は平常心を保てるだろうか。
『第30話 葵と秘め事【3】』
終わり
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