暴風と共に、雨が叩きつけるよう、降っている。
波瑠の居る、後宮の住人達は、雨風に怯え、部屋に籠っていた。それほど、勢いが激しかったのだ。
にもかかわらず、何故か、波瑠の部屋は華やかで、見たこともない、料理がずらりと並んでいる。
どれも、高級な食材を使ったものと、一目でわかる料理の数々に、波瑠は、圧倒されていた。
隣では、王が、これでもかと、朗らかに笑っている。
これか、これが、この悪天候の原因か、と、思わず勘ぐってしまうほど、王、清順は、ご機嫌に見えた。
さて、どうすべきなのか。この料理は、一体、何を意味するのか。
波瑠が、考えあぐねている側で、答え合わせとばかりに、王が重い口を開いた。
「近頃食が細いと、聞いた。ひとまず、王妃の国の料理を用意させた」
国の、料理って言っても、それは──。
「……こんなんじゃ……、こんなんじゃない……」
波瑠の頬を涙が伝っていた。
泣くまい、泣いたら、敗けだ。なんとなく、そう気負って、こちらの世界で暮らして来たのに、毎晩、王には、勝てない。
挙げ句……。
同じ境遇の、光琳と出会え、自分の身に起こっていることを、そして、誰にも聞けない、ここの事を、丁寧に教えてもらえて、味方ができたと思ったら、すっかり、騙されていた。
踏んだり蹴ったりだ。
そう、思っただけなのに、波瑠の瞳からは、勝手に涙が溢れていた。
「家に帰りたい!でも、帰れないんだもん!」
「確かに、国元は、多少、遠くはある。しかし、何も、泣くほどの……。今日のところは、これで、機嫌をなおしてくれ。国元の料理だ。遠慮なく食するといい」
「だから、違う!こんなんじゃない!あたしの住んでた国は、今の世の中じゃないんだもん!!千年後だよ!やっぱり、帰れる訳ないよぉ!!」
「ん?」
王は、瞬間黙るが、直ぐに、なるほどなるほどと、頷くと、
「医学書に記されておった。身籠れば、些細なことで心が乱されると。こうゆうことか……」
などと言い、波瑠をしげしげ眺めた。
その王の視線が、波瑠の気分を逆撫でる。
「勝手なこと言わないでよ!」
波瑠は、とっさに叫んでいた。
「私は、王妃様でも何でもない!
私は、波瑠だよ!王様さえ居なかったら、琦《ぎ》国王、清順《せいじゅん》さえいなかったら、私達は、奴隷扱いされず、父さんと母さんと、幸せに暮らせてたはずなのに!!!なんで、千年前の世界に来ちゃったよのぉ!元の場所へ、家へ、帰りたい!帰りたいよぉ!!」
胸に貯めていた物を全て吐き出し、波瑠は、わっと、と声をあげて泣き崩れる。
床にひれ伏す状態で、手がつけられないほど大泣きする波瑠の姿に、王も含め、皆は、呆然とした。
と、言うよりも、王妃、であるべき波瑠が口走った事が、まるで理解できない。
ただ、これは時折見せていた王妃の苛つきとは異なる物だと、誰しも気がついた。しかし、理解できない以上、どう対処すればよいのか戸惑うばかりで……。
そこへ、波瑠の大泣きする声をもかき消す勢いの女官達の悲鳴が、部屋の外から流れて来た。
何事かと、女官達が、恐る恐る部屋の扉を開けたところ……。
「きゃー!水がっ!」
「浸水してるわっ!」
「誰かーー!!」
回廊は、水浸しになり、部屋から女官達が飛び出して来ていた。
皆、寄り添い、流れ込んで来ている水におろおろしている。
水は、どうやら、立ちすくしている回廊のみならず、部屋の中へも入り込んでいるようで、女官達は、慌てて飛び出して来た様に伺えた。
足元を濡らしながら、どうすればと、立ちすくんでいる女官達の叫びで、場は騒然となっている。
その騒ぎと共に、波瑠の部屋にも、じわじわと水が染み込んで来た。
「これは、なんと!」
異変に気が付いた王は、驚き、当然、波瑠の部屋の女官達も、叫び声をあげた。
「浸水してる!皆、貴重品をまとめて!」
波瑠が叫んだ。
しかし、動揺しきっている皆には、波瑠の声など聞こえていないようで、キャーキャー騒ぐだけだった。
きっと、この大雨のせいだろう。だから、浸水したに違いない。そう、波瑠は、理解したが、それにしては、回廊に面している部屋だけが、騒がしい。
宮殿自体が、浸水しているなら、王がいる波瑠の部屋へ誰かが危険を知らせに来るはず、いや、宮殿全体が、大騒ぎになるはず。
どこか、違和感を感じた波瑠は、ふと、気が付いた。
「そうだ!池!池が溢れたんだ!」
回廊は、中庭に面している。そして、大きな池が設えられている。
その庭は、王妃の観賞用に造られた庭であり、王妃が散歩を許されている庭であり、ともかく、王妃の為に造られたものだった。
「どいて!」
波瑠は、確かめるべく、部屋の外へ出た。
あっ、と、皆が、叫び、波瑠を止めにかかるが、すでに波瑠は、回廊に立ち、外の様子を確かめていた。
庭といえる場所全体が、水で溢れていた。
あきらかに、池の水が氾濫し、その水が、回廊、そして、それぞれの部屋へ流れ込んでいるのは、あきらかだった。
「……大雨のせい、なんだろうけど……これじゃ、どうにもならない……」
今更、池の水を汲み出す訳にも行かない。当たり一帯は、じわじわ確実に水位を上げている。
雨が止み、水が引くのを待つしかない。その間、浸水していない部屋へ避難した方が良いのだろう。
「早く、貴重品をまとめて!逃げるのよ!」
波瑠は、再び叫んだ。
「王妃よ!これは、一体!」
追って部屋から出てきた王が、問いかけてきたが、どこか他人事のような素振りに、波瑠は、苛立ち、王を非難する。
「見てわからないの!王様だったら、皆を避難させなさいよ!」
ああ……と、王は、これまた、弱々しい返事をした。
突然現れた王と王妃に、騒いでいた女官達は、ひっ、と、息を飲み、浸水している回廊へ平伏した。
臣下として、礼を尽くしているのだろうが、わざわざ、水の中に這いつくばる皆の姿に、波瑠は、話が通じない相手なのだと理解する。
「いったい、どうゆうことだ!すぐに、調べさせろ!」
王、清順の、これまた、どこかずれた言葉に波瑠は、呆然とした。
これで、良く政を行えるものだと……。
「どうぞ、王妃様の仰る通り、皆様、早くご避難ください!」
ザブザブと、水音をたてながら、浸水している庭を突っ切り、誰かが現れた。
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