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雄大さんのご両親に、結婚を認めて頂けて嬉しかった。
本当に。とても。
同時に怖くなった。
出来るはずがないと思っていた結婚が現実的になり、私の抱えている秘密がより一層大きく重くなる。
出来ることなら、このまま隠し通したかった。
卑怯でも、そうしたい。
けれど、それは、私を黛から守ってくれた雄大さんに対して、酷い裏切りだ。
上機嫌でベッドに入る彼に、私は意を決して言った。
「雄大さんに、話しておかなきゃいけないことがあるんです」
「なに?」
私は彼に背を向けて、ベッドに腰かけた。
「義父が亡くなった時のことで……」
「那須川勲さんのことか?」
「はい」
「黛が『不審死』と言っていたが、そのことか?」
私はゆっくりと振り向いた。
知ってた……の――?
黛が黙っているはずがないのは、少し考えればわかることだった。
「いつから……」
「馨から話してくれるのを待ってたよ」
「そんな……。ずっと黙ってたらどうするつもりだったの!?」
「痺れをきらして聞いてたかもな」と言って、雄大さんは微笑んだ。
雄大さんは、どうしてこんなに優しいの——。
涙が、溢れそう。
けれど、堪えた。
ちゃんと話をしなければ。
「義父が肺がんを患っていたことは話しましたっけ?」
「ああ。けど、亡くなったのは自宅の階段から落ちたからなんだろう?」
「はい……」
「それのどこが不審死なんだ?」
雄大さんの目を見て言う勇気がなくて、私は再び背を向けた。
「第一発見者は私、ってことになってるんですけど——」
息が苦しい。
三年経った今も、『あの時』のことは鮮明に覚えている。
口になどしたくない。
けれど、いつまでも逃げていられない。
私は大きく息を吸った。
実際にはどれだけの酸素を取り込めたかは疑問だが、肺が満タンになるほど吸ったつもり。
「桜が……いたの……」
「え?」
自分でははっきりと言ったつもりだけれど、雄大さんの耳には届かなかった。だから、私は顔を上げて、背筋を伸ばしてもう一度言った。
「お義父さんが死んだ時、桜が一緒にいたの——」
「じゃあ、どうして馨が第一——……」
気がついたよう。
雄大さんは言葉を閉じた。
婚約を破棄されても、何も言えない。
私は、罪を犯した——。
誰かを傷つけたわけじゃなくても、何かを壊したわけじゃなくても、私は罪を犯した。
「元彼の共犯は現場の偽装、か」
「え——?」
「お前が元彼と会った日、聞いた」
そうだ。
雄大さんは、あの時の昊輝との会話を聞いていた。
『馨の共犯者になったこと、俺は後悔していない』
「私がお義父さんを見つけた時、もう冷たくなっていた。階段の上には桜がいて、じっとお義父さんを眺めていたの」
「ショックだったんだろう」
「そう……だと思う。けど、私は桜が疑われるんじゃないかと怖くなったの。だから昊輝に頼んで——」
「桜は現場にいなかったように偽装したのか」
私は頷いた。
昊輝は何度も言った。
『現場にいたからというだけで、まだ十五歳の義娘が疑われることなんてない。だから、ありのままを警察に伝えるべきだ』
けれど、私は聞き入れなかった。
『馨自身が妹を疑っているのか?』
『お願いよ、昊輝————』
私は、一つ目の願いを口にした。
昊輝はそれ以上、何も言わなかった。
あの瞬間。
私は昊輝ではなく桜を選んだ————。
「桜が義父を突き落とした」
心臓が耳の中にあるような錯覚を起こした。鼓動が耳鳴りのように脳に響く。
「黛はそう思っているのか」
私は項垂れるように頷いた。
「それで、『不審死』か——」
「けど、検視では事故だと判断されたわ。打ちどころからして、階段を下りようとした時に痛みに蹲り、そのまま身を屈めて落ちたんだろう、って」
「それは結果論だろう?」
「……」
「結果は事故死でも、お前には桜が義父を突き落としたと疑われるのではと恐れる理由があったんじゃないのか?」
「桜は——」
声が、震える。
「義父と仲が悪かったから……」
「それだけのことで、死期の近い、しかも義理とはいえ父親を突き落としたりするか?」
「それ……は……」
うまく、言葉が出てこない。
「怒られるの覚悟で聞くけど——」
雄大さんが私の肩を少し強めに抱き寄せた。それから、私の目を見た。真っ直ぐに。
「桜と那須川勲さんは親子以上の関係だった、ってことはないのか?」
「え————?」
「下衆の勘繰りだってことはわかってる。けど、お前の様子を見てると、それくらいの秘密を抱えてる気がするんだよ。それに、桜は黛が初めての相手じゃなかった、って言っていたろう?」
「それは……ない……と思う」
すぐに、『それはない』と断言しなかったことを悔やんだ。
雄大さんを納得させる言葉が、頭の中で渦を巻く。
「お義父さんの病状では、そんなことは出来なかったはずだもの」
「だったら——」
低い声が脳を刺激し、ハッとした。
「病気じゃなければ可能性があったってことか?」
「え——?」
「今の言い方だと、お義父さんと桜に肉体関係がなかったのは病気のせいだ、って聞こえるぞ」
迷いがあるせいだ。
はっきりと否定し、私の家族を貶めるようなことを言うなと怒れば、雄大さんに嘘をつくことになる。
嘘はつきたくない。
けれど、全てを話す覚悟もない。
それを、雄大さんに見抜かれている。
「それに、最初に桜のことを話してくれた時に言ったろ。『妹は実の父と義父にとても可愛がられて育った』、『裕福な年上の男に優しくされたら、桜は簡単にその気になる』って。それは、血の繋がらない父親に対しては例外なのか?」
なんて、言えばいいのだろう。
昊輝の顔が脳裏に浮かぶ。
驚きと混乱と、疑念と嫌悪に満ちた表情。
『嘘だろ……』
昊輝は目の前の事実を受け入れられず、呟いた。
雄大さんの反応が怖い。
「痴情のもつれ、なんて安っぽい言葉は使いたくないけど、その可能性はないのか?」
「それは、ない」
雄大さんに、軽蔑されたくない。
けれど、彼との結婚を望むのであれば、黙ってはいられない。
「桜は那須川勲の実の娘なの」
「は——?」
「母は再婚する前、勲と付き合っていたの。けれど、当時の勲は大学を卒業したばかりで、九歳も年上の子持ちの母と結婚するつもりなんてなかった。だから、祖父が亡くなる前に二人を別れさせたんです。だけど、母が結婚してからも、二人の関係は続いていた」
「——そして、桜が生まれた」
私は頷いた。
「その頃は私もまだ母の不倫を知らなくて、桜は義父の子供だと疑わなかった。けれど、義父が亡くなる少し前に気がついたんです。母と義父の血液型からは、桜は生まれない。……そして、母から勲を紹介されて、桜の実の父親だとわかったんです」
「勲と桜は知っていたのか?」
「桜は知りません」
「じゃあ……」
雄大さんの言いたいことはわかる。私は、それだけははっきりと否定しなければと思った。
「けど、勲は桜が実の父親だと知っていました。だからこそ、とても可愛がっていた。桜も……勲を男として見ていたなんてことはありません」
「そう信じたいだけじゃなくて?」
もう一度、頷く。
「桜の好きな人は……他にいたから……」
「初めての相手? 知ってたのか」
更に、頷く。
「勲が桜を可愛がっていたのなら、二人の仲が悪かったのは、桜が勲を嫌っていたってことか?」
更に、もう一度。
「桜は恋人にお金を渡していたんです」
「金?」
「はい。それを勲に咎められて、小遣いを減らされて、桜は勲を嫌うようになりました」
「反抗期……じゃなく?」
「もう少し、質が悪かった。それから、勲は桜に厳しくなりました。常に命令口調で、桜の意思を全て否定した。たまに会う私にも同じように。けれど、私はその理由をずっと知らなくて……」
知ったのは、勲が亡くなった時だった。
『パパが悪いのよ! お金をくれないから』
桜は、階段上で言った。
「桜と勲の確執が明るみに出て、桜が勲を突き落としたんじゃないかと疑われるのが怖かったのか」
違う。
怖かったのは、私の感情。
長年抱いてきた、私の中の醜い感情。
それを隠したかった————。
「馨は、桜がやったと思っているのか?」
『思ってない』と言えばいい。
言えばいいのに、口が開かない。
雄大さんに嘘はつきたくない————。
黙って俯く私の肩に置かれた手は、温かかった。首をかしげて、頬ずりした。
「ごめんなさい」
「何が?」
「黙っていて」
「軽々しく言えることじゃない」
雄大さんのもう片方の手が私を抱き締める。背中に感じる彼の温もりに、涙が出た。
ずっと、こうしていたい……。
私の願いは、それだけだった。
「別れてからも元彼と連絡を取り合っているのは?」
「私を心配して——」
「それだけか?」
「……うん」
「元彼と縁を切れないのは、婚約を解消した負い目からか? それとも、元彼が裏切らないためにか?」
昊輝は唯一、全てを知っている人間だから——。
言えるはずがない。
だって、全てを知られてしまったから、別れたんだもの……。
雄大さんとは、ずっと一緒にいたい。
その為なら————。
「どっちも……かな」
「……そうか」
雄大さんはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、私を抱き締めてくれていた。