コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
何も出来なかった。
走り去る貴方をすぐに追いかけた。でも、すぐに暗闇に見失った。森や鳥達が導く様に行く先を教えてくれなければ、貴方の元へ辿り着くことも出来なかっただろう。
いや、辿り着かない方が良かったのかもしれない。
レオンスが凶行に出たのは、明らかにアンブローズ様が私を庇ったからだ。本当は誰よりも怯えていた筈なのに、貴方は恐怖で体が動かない私を護ってくれた。
だから、こんな事になった。
「道連れだな。まさか、刻印の核がそんな呪術だったとは…よくもまぁ、巧妙に隠していたものだ」
お兄様はそう言って彼から手を離した。その表情からはいつも以上に何も読み取れない。
「解呪は…」
「何か鍵になるものがあるようだ。だがそれが何かは分からない。レオンス以外にはな」
ふぅと息を吐くお兄様の瞳には疲労が滲んでいて、お兄様なりに鍵を探そうとしてくれたのだと分かる。けれど見つからなかった。それが全てなのだろう。
「日沈までの命だと思いなさい」
王族としてたかが一介の呪術師に注ぎ込めるものは此処までだと、そう言外に告げられている。 けれど、何も言わずに部屋から出て行ったお兄様はきっと私が諦められないことを知っている。知っていて一人にしてくれたのだ。
だから私は、貴方の生に縋り続けることが出来る。
「…アンブローズ様」
呼吸は止まっていない。ただ、その瞳が開いていないだけ。ともすれば眠っている様にしか見えないだろうが、その透ける様に白い肌には黒い茨が夥しく這っている。
その手を取って、きつく目を閉じる。
息を整えて、魔力を練って、茨をすり抜けるように…そして、鍵を差すように。でも、鍵穴が無くてはどうしようもない。探っても探っても見つからない。焦らないで、落ち着いて…。
もう何度目になるだろう。行く宛のない魔力を引き上げては瞼を上げる。当然、アンブローズ様は眠ったまま。
全部した。私に出来る事は、何だってした。何度も何度も魔力で探っては焦燥感に駆られて、薬も魔術も持てるものは全て試して、それでも貴方は目を覚まさない。
日はもう随分と傾いてしまっている。
「…もう私を、見てはくださらないのですか」
紫色の瞳はいつだって木漏れ日に優しく輝いて、私がどんなに無茶をしても仕方ないなと言って微笑んで、誰よりも真摯に私を心配しては、誰よりも私を思い遣ってくれた。
今何より思い出されるのは、ランタンの小さな灯に照らされて揺らめくあの日の瞳。
『お前…本当に俺のことが好きなのか?』
私は答えられなかった。きっと図星だった。役に立って恩を返したいと思った。今度は私が貴方を護りたいと思った。…それってきっと、単なる情だ。
でも、それでも。
開け放たれた窓越しに、紫色の空からそよそよと風が入り込む。貴方の閉じられた長い睫毛がほんの少しだけ風に揺れる。
伸ばした指先が、その瞼に微かに触れた。
その瞬間、喉に突っかかって出なかった筈の答えが呆気ない程するりと口に出た。
「あぁ…同じくらい、愛もあったのです」
恩を返したいと思うのと同じくらい、貴方の側に居たいと思った。貴方を護りたいと思うのと同じくらい、貴方の笑顔が欲しいと思った。これってきっと、情でも、恩でも、憧れでもない。
「アンブローズ様。目を、開いてはくださいませんか。私、伝えたい事があって…」
手の中の貴方の手はさっきよりも冷たい。もし私の命を差し上げられたら、どんなに良いだろう。でも、私の命は私一人のものではない。それがこの血を持って産まれるという事だ。それに、アンブローズ様は私の命を貰ったって喜ぶどころかむしろ怒るだろう。…怒ってくれたらいいな。
あぁ、日が沈む。
「あの時、ちゃんと言えればよかった」
頬に温かい感覚がつたう。拭っても拭っても止まってくれなくて、貴方の手を無造作に濡らしてしまう。
その手を引いて、指先にそっと口付けた。
「貴方のことを、本当に…本当に、愛しています。だからどうか…」
どうか、この想いを告げさせて。
そう祈るように告げた瞬間、一陣の風が吹き抜けた。柔らかくて、温かくて、でも目が覚めるような存在感のある風。私の髪先を遊ばせて、そのまま通り抜けていく。
その感覚があまりにも優しくて、あまりにも私の魔法達に似ていて、思わず顔を上げた。
日が沈みきるほんの一瞬の輝きの中、その風に乗ってアンブローズ様の茨がほろほろと崩れ消えていく。貴方の長い睫毛がふるりと震えた。
「あ、アンブローズ…様」
声が震えて上手く出ない。でも、その小さな声は時が止まったかの様に静かな部屋にはよく響いた。
「…あぁ、呼んだか」
その人はいつでも綺麗な紫色の瞳をしていて。
咄嗟に体が前に出て、勢い余ってそのまま貴方の胸元に飛び込んだ。それでもいい。貴方が温かいままならば、息をし続けているのならば、その瞳を再び開いてくれるのならば、それで。
恥も外聞もなく貴方の体に抱き着いて、貴方のシャツを涙で濡らす事も厭わず、心の奥底から際限なく湧き上がってくる言葉達をただ吐き出した。
「あのね、私、貴方のこと、本当は…」