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晴友Side
目の前でブルブル震えるのは、子ネコじゃなくてただの人間の女だ。
しかもトロくてグズでドジな、しょうもないやつ。
「は、は…晴友くん…こ、こんにちは」
ちまっとした身体が近づいてきて、おずおずと頭を下げた。
勤務時間が始まったばかりだってのに、緊張して頬はもう真っ赤で、小さな手が不安げにエプロンを握りしめている。
こいつ―――立花日菜がここにアルバイトとして入ってきて2週間は経つけれど、いまだに俺に打ち解けないどころか、こんな調子でビクビクしてばかりいる。
ま、そうだろうな。
俺、こいつのこと怒ってばっかだし。
「おつ。今日こそしっかりやれよ」
「…はい。今日もよろしくお願いします」
やわらかそうな髪が、華奢な肩で上下に動いた。
…あー。
なんかムカつく。
もうすでにイライラしてくる。
怒るなってのも無理な話だろ。
「日菜ちゃん、おつー!」
「きゃっ」
そこへ、日菜に後ろから女が抱きついてきた。
俺らと同じホールの、瀬川美南(せがわみなみ)だ。
美南は俺や拓弥と同学年。
まぁ気が強くてぎゃーぎゃーうるさくて、なにかにつけ俺に難癖をつけてくる。
特に日菜が来てからは、日菜が大のお気に入りになったらしくて、俺の指導が冷たいだの意地悪だの、先輩面して言いたいことを言ってくる。
「こーらー晴友っ」
「なんだよ」
「あんた、今日こそは日菜ちゃんにやさしくしなさいよっ。ほんといつまでたってもイジワルな先輩なんだから」
「はぁ?るせぇな。俺がどう指導しようが勝手だろ」
「あーまたそんなこと言ってぇ。しょーこさぁん!晴友ったら今日も日菜ちゃんにイジワルするつもりなんですよーっ」
どうしてまたそこで姉貴に告げ口するんだっ。
美南のバカでかい声を聞いた早々キッチンから出てきたのは、俺の姉貴の祥子姉だ。
美南以上にうるさくて、おまけに怒らせるとめちゃくちゃ怖ぇ店のボスだ。
「晴友。あんたまだ日菜ちゃんにやさしくしてあげてないの!?私がキッチンに引っ込んでいるのをいいことに、あんたって子はほんとにもう、いつまでもイジメっ子なんだから」
「誰がイジメっ子だ」
そりゃ中学まではケンカ三昧で迷惑かけたけど…。
「今はもうケーキ作り一筋だぞ」
「ケーキ作りだけ達者になってもねー。ホールに出ている以上は後輩の指導もキチンとしてもらわないと。なにせうちは味だけじゃなくサービスも売りなんですからね」
姉貴は数年前に身体を悪くして休養している親父に代わってこの店を経営していた。
古臭いカフェを、流行のスイーツやドリンクを取り入れて雑誌にしょっちゅう紹介されるくらいの人気店に生まれ変わらせた手腕は認めるが、なにせ口うるさくて、めちゃくちゃ気が強い。
姉貴といい美南といい、店の女たちはうるさくて面倒くさい。
その点でいうと、日菜はちがった。
おっとりしていて口答えしない…のはまぁいいとしても、それだけに、グズでおどおどしていて…全然頼りない。
そんな態度を見ていると、どうもイライラして落ち着かなくなってくる。
そのせいなのか、どうしてもあいつから目が離せない。
そんな自分にまたイライラして、ついキツイことをしたくなる…。
…イジメっ子だと?
イジめてるつもりなんて、ないんだけど?
そんな悪循環に、この2週間苦しめられてきた。
ったく。
なんなんだ、このもやもやする気持ちは。
あの日からずっとこんなだ。
あいつが面接に来た日。
あの日から、ずっとこの気持ちが消えない…。
※
『…おまえ、いつも来るやつだよな』
あいつがバイトの面接を受けに来たとき、心底驚いた。
あいつは俺を見た途端、顔を真っ赤にしてうつむいた。
まじかよ…嘘だろ…。
正直言うと、俺の胸は高鳴った。
店にバイトに来るやつは…自慢するわけじゃないか、十中八九、俺か拓弥が目当てだ。
俺らに気があって、一緒に働いて、あわよくばカップルになりたい、って下心丸出しで来る。
日菜が客としてきたとき、いつも話するのは俺だったから、(てか俺がいつもサービスとか接客してたから)、
だから勘ちがいしちまったんだ。
こいつはもしかして、俺のことが好きなんじゃねーかって。
そう勘ちがいしてしまったために、この後、死ぬほどダセぇ気分を味わった。
『おまえさ、どうしてここでバイトしたいって思ったわけ?』
思わず俺はあいつの細い手首をつかんでしまった。
「俺の…なんだよ…?」
だって、正直ずっと前から気になってはいたから。
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