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第154話 重なった中枢
【異世界・昇降環内/降下中】
落ちる、とは少し違った。
床が消えるわけではない。
身体が浮くわけでもない。
それでも、足元の輪の光が強まるたびに、立っている位置だけが“別の深さ”へずれていく。
雨音は、もう聞こえない。
代わりに、低い耳鳴りみたいな振動が、石の輪の内側を満たしていた。
ハレルは、主鍵の熱がいつもと違う揺れ方をするのを感じていた。
進め、ではない。
右でも左でもない。
“そこではない”と“そこに近い”が交互に来る、嫌な熱だった。
サキのスマホの表示が何度も跳ねる。
《LAYER SHIFT》
《UNSTABLE》
《PATH NOT FIXED》
「……ずれてる」
サキが息を詰めて言う。
「下に降りてるっていうより、途中で別の線に引っ張られてる」
セラが低く返した。
「そうです」
「だから、“着いたように見える場所”を信用しないでください」
視界の端で、石壁が一瞬だけ白い壁に見えた。
次の瞬間にはまた石へ戻る。
ハレルは反射的にそちらを見そうになって、主鍵の熱で止まった。
「見るな」
アデルの声が飛ぶ。
「正面も信用するな。鍵を優先しろ」
ヴェルニが、珍しく軽口を挟まなかった。
紺の髪を濡らすはずの雨はもうないのに、輪の光の中でその輪郭だけが青く見える。
リオは右手を握り、低く息を吐いた。
副鍵が、ハレルの主鍵とセラの声、そして塔そのものの深さへ応じるように明滅している。
「……強い方に寄る」
リオが言う。
「そうです」
セラが頷く。
「静かな方は、たいてい行き止まりです。
あるいは、戻れない方です」
その直後、輪の外側に“出口”が見えた。
石の床。
開いた回廊。
静かな白い灯り。
安全そうな道だった。
サキが思わずそちらへ顔を向ける。
「出口……!」
だが、ハレルの主鍵が強く熱を発した。
違う。
あそこは違う。
セラが即座に言う。
「見ないで」
「それは“降りたように見えるだけ”です」
出口は一拍だけそこにあり、次の瞬間には崩れた。
石でも、白い壁でもなく、ただの暗い穴に変わって消える。
ヴェルニが舌打ちする。
「本当に性格悪いな」
アデルが低く返した。
「だから最深部なんだ」
輪の光がさらに強まる。
今度は、床の感触そのものが一瞬だけ消えた。
サキが息を呑む。
ハレルは主鍵を握り、リオは副鍵へ意識を集める。
セラは石床の紋様ではなく、そのさらに奥の“流れ”を見ていた。
「次、止まります」
セラが言う。
「でも、そこで降りないでください。
一度、鍵の反応を見ます」
次の瞬間、輪が大きく脈打った。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー地下三層・昇降環内】
現実側の昇降環は、もっと無機質だった。
金属の輪。
白い表示。
床と壁の境目に埋め込まれた機械的な構造。
だが、その中で起きていることは、異世界側とほとんど同じだった。
下降表示は出ている。
それでも、誰も“ただ下に降りている”とは思えなかった。
白い表示の数字が、一瞬だけ意味不明な文字列へ変わる。
輪の外側に映る壁が、普通の地下壁と白い処理室の壁を交互に切り替える。
耳の奥に、低い機械音とも耳鳴りともつかない振動が満ちる。
日下部が端末を睨みながら言う。
「直降下じゃない」
「層の間を滑ってる」
城ヶ峰は手すりにもたれず、ただ正面を見ていた。
「分かるように言え」
「地下の階層を降りてるんじゃなくて、対応点の“深さ”へ引かれてるんです」
日下部が早口で返す。
「だから、止まって見える階も信用できない」
木崎はカメラを構えたまま、輪の外を見ていた。
レンズ越しだと、よりはっきり分かる。
白い壁。
普通の地下壁。
社員用通路。
そして一瞬だけ、石造りの回廊みたいなものまで映る。
「……向こうが混ざって見えてる」
木崎が低く言う。
佐伯が息を呑んだ。
「石の……塔?」
村瀬も、白くなった顔で頷く。
「一瞬だけ。
でも、ありました」
日下部がその言葉に反応する。
「やっぱり噛んでる。
向こうの下降と、こっちの下降が同期してる」
その直後、輪の外側に“開いた通路”が見えた。
きれいな地下保守通路。
照明も正常。
避難標識まで見える。
隊員のひとりが反射でそちらへ体を向けかける。
木崎が即座に言った。
「動くな!」
その声に全員が止まる。
次の瞬間、見えていた通路は、白い平面に潰れて消えた。
城ヶ峰の声が低く落ちる。
「見えた出口を信用するな。
そのまま維持」
輪の表示がさらに白く点滅した。
日下部の端末に、異世界側から短い跳ねが入る。
《STOP SOON》
《DONT STEP YET》
「向こうも同じだ」
日下部が言う。
「止まる。でも、まだ降りるなって」
城ヶ峰は短く頷く。
「従う」
機械の輪が、さらに下へ沈んだ。
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア最下層手前・中継層】
昇降環は、一度止まった。
石の輪の光がゆっくり弱まり、六人の足元へ固い感触が戻る。
だが、セラの言った通り、すぐには誰も降りなかった。
目の前に広がっていたのは、長い石廊下だった。
天井は低い。
壁には古い魔術紋。
術灯の明かりは淡く、静かで、いかにも“下に着いた”ように見える。
むしろ、ここまでの不安定な移動の後では、安心してしまいそうなほど整っていた。
だが、主鍵の熱は弱い。
副鍵の反応も薄い。
違う。
セラが静かに言う。
「降りないでください」
「ここは最下層ではありません」
ヴェルニが目を細める。
「見た目はそれっぽいけどな」
「それっぽく見せるための層です」
セラは即答した。
「静かすぎる」
その言葉の直後、廊下の奥の術灯が一つずつ点いた。
淡い光。
そして、石壁の端に、人影が並ぶ。
兵士。
術師。
治療班。
知った顔に見えた。
サキが小さく息を呑む。
「……え」
ハレルの背中も冷えた。
その中には、一瞬だけ教頭に見える影もあった。
学園に残っているはずの顔。
ここにいるはずがない。
リオが低く言う。
「顔を使ってるだけだ」
セラが強く頷く。
「降りないで」
石廊下の先にいた“誰か”が、こちらへ手を上げた。
「早く」
教頭の声に似た響き。
だが、熱のない声だった。
ハレルの主鍵が、今度ははっきりと拒絶した。
違う。
あれは違う。
アデルが一歩前へ出る。
「起動を維持」
「まだ下がある」
セラは石輪の中央へもう一度手をかざす。
「ここは捨てます」
石の紋様が再び光り始める。
廊下の奥の“人影”が、一斉にこちらへ歩き出す。
顔は似ている。
でも歩き方が、誰一人として本人ではなかった。
「来る!」
サキが叫ぶ。
「動くな!」
アデルの声と同時に、輪が再起動する。
人影が輪の縁へ届く寸前、六人の足元がもう一度深さへ沈んだ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー最下層手前・中継層】
現実側の輪も、一度だけ停止した。
金属の輪の外に見えたのは、整いすぎた地下保守区画だった。
白い壁。
正常な照明。
開いた通路。
緑色の避難案内。
いかにも“ここが下層の安全な入口です”と言わんばかりの顔。
だが、日下部の端末の反応は弱い。
佐伯と村瀬の記憶とも、微妙に違う。
そして、木崎のレンズ越しには、照明の奥に石の壁が二重写しになっていた。
「……違う」
木崎が低く言う。
「そうですね」
日下部もすぐ答える。
「反応が浅い。ここは中継層だ」
その時、通路の奥に人影が現れた。
設備保全課の社員。
警備員。
避難誘導中だった若い警官。
それぞれが、普通の顔で立っている。
「下は危険です」
社員証を下げた男が言う。
「こちらへ」
村瀬の顔が青くなる。
「あの人……さっきの」
若い社員に似ている。
だが、目が合わない。
視線の焦点が、どこにも留まっていない。
木崎は即座にカメラを向けた。
レンズ越しにはっきり分かる。
顔は本物に近い。
でも輪郭の端が、少し遅れている。
借り物の顔だ。
「偽物だ」
木崎が言う。
「ここで降りたら終わる」
城ヶ峰は短く命じた。
「維持。再起動を待つ」
日下部の端末へ、異世界側から跳ねが入る。
《FALSE FLOOR》
《KEEP GOING》
「向こうも同じ層を見てる!」
日下部が言う。
「やっぱりここは違う!」
通路の奥の“人影”が、一歩だけこちらへ寄る。
若い警官の顔が、城ヶ峰の方を見て、静かに笑った。
その笑いは、人間のタイミングではなかった。
「再起動します!」
日下部が叫ぶ。
金属の輪が再び白く発光する。
通路の“顔”が一斉に近づいてくる。
だが届かない。
次の瞬間、輪はもう一段深い方へ落ちた。
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア最深部手前】
二度目の降下は、最初より短かった。
視界のずれ。
耳鳴り。
石の感触。
その全部が一瞬で重なり、次の瞬間には“深さ”そのものが変わっていた。
輪の光が落ち着く。
足元が止まる。
今度は、空気が違った。
静かではない。
むしろ、何もないのに圧がある。
音が少ないのに、沈黙ではない。
そこに立っただけで、“自分が見られている”感覚がある。
セラが、初めて少しだけ息を詰めた。
「……近い」
ハレルの主鍵が、今度は強く熱を持つ。
進めでも、止まれでもない。
“ここだ”という熱だった。
アデルがゆっくり視線を上げる。
「降りるぞ」
誰も反対しない。
六人が輪の外へ足を出す。
そこは、円形の石室だった。
壁には古い観測環。
床には巨大な魔術紋。
天井は高いのに、圧迫感がある。
王都の塔の最深部――観測核の間。
だが、それだけではない。
石室の中央、巨大な紋様の中心に、白い線が薄く浮いていた。
石の魔術紋の上へ、現実側の処理線が滲み出たように重なっている。
サキが息を呑む。
「……混ざってる」
セラが低く言う。
「ここが、重なった中枢に近い場所です」
ヴェルニが周囲を見回し、珍しく声を落とした。
「笑えないな、これは」
アデルも何も返さない。
その必要がないほど、空気が答えだった。
そして石室の正面奥。
暗い円柱の影の向こうに、“もう一つの部屋”へ続く裂け目のような通路が見えた。
主鍵と副鍵は、その奥を指していた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー地下最深部手前】
現実側も、二度目の降下を終えた。
金属の輪の光が弱まり、足元に固い床が戻る。
今度の空気は、明らかに違っていた。
白い。
だが白いだけではない。
冷たい。
だが機械の冷たさだけでもない。
人間の管理空間と、観測処理の中心と、別の位相の空気が、一つに押し固められている。
日下部が、息を呑んだまま端末を見る。
「……ここです」
城ヶ峰が輪の外へ一歩出る。
その先は、円形の制御室だった。
壁一面の白い監視卓。
床の中央に広がる巨大な円。
それを囲む基盤塔の細い柱。
そして、床の白い円の上に薄く重なる、石の紋様の影。
佐伯が掠れた声で言う。
「向こう……」
村瀬も、強張ったまま頷く。
「こっちに映ってる」
木崎はレンズ越しに中央の円を見た。
ガラスでも金属でもない。
白い処理線の上に、石造りの観測環が重なって見える。
「……本当に重なってるな」
その部屋の奥にも、もう一つ先へ続く通路があった。
半開きの白い隔壁。
そこから先だけ、空気の圧がさらに強い。
日下部が低く言う。
「中枢の中心は、あの先です」
城ヶ峰は短く頷いた。
「なら、行く」
誰も反論しない。
異世界側も、現実側も。
ようやく、“顔の下”ではなく、“重なった中枢の手前”まで来たのだ。
◆ ◆ ◆
雨はもう届かない。
代わりに、二つの世界の下で、同じ圧が満ちていた。
塔とタワーの最深部。
石と白。
守りの顔と、会社の顔。
その全部の底にある、重なった中枢。
そこに、次の一歩が待っていた。
#異世界