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【5年後】
市役所の社会福祉課は午後の陽光に照らされて、穏やかな喧騒に包まれている、書類の束が積まれたデスク、電話のベル、相談に訪れた市民の声・・・
その中で晴美はまるで指揮者のように忙しく立ち振る舞っていた
5年前の誘拐事件という暗い過去を乗り越え、彼女は国家試験を受けて公務員になっていた
長女の正美10歳、長男の斗真8歳、そして次男の晴馬5歳、3人の子供達を育てながら、彼女は福祉課の主任として、母子家庭や生活困窮者の支援に心血を注いでいた
5年前、あの誘拐事件・・・晴美自身が恐怖と絶望の淵に立たされた経験は、彼女に他者の痛みに寄り添う深い共感力を与えていた
「林田主任!(晴美の旧姓) 昨日はほんと楽しかったです!」
突然明るい声が後ろから聞こえた、振り向くと晴美より二歳年下の後輩、『山口信二』がニコニコと近づいてくる
彼は、爽やかな笑顔と少しはにかんだ仕草で黒ぶち眼鏡がトレードマークだ、晴美は書類から目を上げ、柔らかい笑みを浮かべた
「あらぁ~、山口君! ごめんなさいね、昨日はうちの子供達と夜遅くまでオンラインゲームに付き合ってもらっちゃって! あの子達、加減を知らないからいい加減に断らないと疲れちゃうわよ!」
晴美の声は軽やかで、どこか彼に対して母親のような温かさに満ちていた、昨夜、信二は晴美の家に招かれ、子供達と人気のバトルロイヤルゲームで盛り上がったのだ、正美の冷静な戦略、斗真の猪突猛進なプレイ、晴馬の無邪気な応援――3人の個性がぶつかり合う中、信二はすっかり彼らのペースに巻き込まれていた
「いえいえ、いいんですよ! ほんと、林田主任のお子さん達、みんないい子で! 正美ちゃんのあの頭脳戦、斗真君のガッツ、晴馬君のあの応援の声! 僕、大好きです!それに晩御飯までご馳走になっちゃって・・・厚かましかったかなって・・・」
信二の少し大げさなその口調に晴美は思わず笑った
「ふふふ♪ ただのカレーライスよ、それじゃぁもし山口君さえよかったらまたうちに来て、子供達の相手してあげてよ、ほんとあの子達がハマってるゲームが山口君があんなに上手だなんて、びっくりしちゃった! 山口君、完全にうちの子達のヒーローよ!
信二は顔を真っ赤にして言う
「ヒーローだなんて・・・いやぁ、そんなぁ・・・」
―本当は林田主任のヒーローになりたいんだけどなぁ―
信二は2年前に福祉課に配属されて、すぐに晴美に心を奪われた、自分より年上の彼女は、仕事ではキビキビと指示を出し、市民の相談には驚くほど丁寧に耳を傾ける
誘拐事件という壮絶な過去を背負いながら、3人の子供を育ててキャリアを築く彼女の姿は、信二にとってまさに憧れそのものだった
「あっ、いけない!」
晴美が時計を見てハッとした
「3時から峯又さんとの面談だった! ごめんね、山口君、ありがと! またね、バイバイ!」
彼女は書類を抱えて軽やかな足取りで相談室へ向かう、背中には疲れを知らないようなエネルギーが宿っていた、信二は少し寂しそうに手を振ったが、すぐにデスクに戻り、自分の仕事を始めた
―今は全く相手にされていないけど、いつかちゃんと気持ちを伝えたい、絶対この恋を実らせるんだ―
彼の胸にはそんな決意が静かに燃えていた