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茫然自失、とはこういう状態のことを言うのだろうか。
手の中のスマホに表示された、待ちに待ったあきらからのメッセージに視線を落とす。
『恋人が出来たので、友達に戻ろう』
何度も見た、文章。
この四年、何度も受け取ったメッセージとよく似ている。
いつもは、そのメッセージを見て、ため息をつき、あきらの肌を思い出し、今度は何か月の我慢かな、なんて考えるだけだった。
『恋人が出来たので、他人になろう』
それが、いつものメッセージ。
だが、今回は違う。
激しい動悸、呼吸困難、心臓を握りつぶされそうな痛み、こみ上げる苛立ち、悲しみ、そして、何かの間違いではと縋るような願い。
それは、いつもと違う一言に、いつもとは違う一文が添えられていたから。
『結婚も考えてる』
結婚――!?
ちょっと待て、いつの間に男なんて――。
その上、結婚!?
意味がわからない!!
手当たり次第に暴れたい衝動に駆られたが、落ち着くように自分に言い聞かせて、大きく深呼吸をした。
この数か月で、あきらとの距離が縮まったと思っていた。
OLCの飲み会に、二人で行った。
恋人のように外では会わないと言っていたのに、電器屋に行った。
元カレに会った日は、俺のところに来た。
踏ん切りがつかないだけで、気持ちは確実に俺にあると思っていた。
嫉妬に駆られて泣かせてしまったけれど、謝って、ちゃんと気持ちを伝えたら、わかってくれると思っていた。
なのに――!
俺は部屋を飛び出した。
時刻は二十二時を過ぎたところで、俺は駅で客待ちするタクシーに乗り込んだ。
全力疾走したせいで、行き先を告げた後は座席の背に身体を預け、肩で息をしていた。ようやく呼吸が整い、ふうっと前屈みになって、自分がいかに慌てていたかに気付く。グレーのスウェットに黒のダウンコート、足元は裸足に革靴。なんとも間抜けな格好だ。コートのポケットには、財布とスマホと家の鍵。
あれだけ慌てていて、ちゃんと施錠してきた自分に驚きだ。
同様に、玄関ドアを開けたあきらも驚いていた。
「龍也……」
俺は強引に玄関に押し入ると、後ろ手でドアを閉めた。
「なんだよ、あれ……」
「そのまんま、よ」と、あきらは顔を背けた。
「あきら!」
「――いつも通りじゃない!」
「どちらかに恋人がいる時は他人、じゃなかったか? どうして友達だよ!?」
「それは――っ」
打ち間違いなら、良かった。
けれど、あきらの反応からすると、わざとだ。
わざと、『友達に戻ろう』と打った。
あれは、俺への決別宣言だ。
「好きだ!」
苛立ちとか嘆きとか懇願とか、色んな感情に突き動かされて出た言葉は、実にシンプルなものだった。
「好きだ!!」
戸惑うあきらの腕を掴み、引き寄せた。力いっぱい、抱き締める。
「好きだ」
そう繰り返しながら、気の利いた言葉を考える。
「この前はごめん。二度と、あんなことはしないから」
「龍也……」
「だから――っ」
「――ごめんなさい」
必死過ぎて熱くなる俺とは相反して、あきらは低く落ち着いた声で言った。
「龍也の気持ちを受け入れる気もないのに、優しさに甘えた私が悪かったの」
聞きたくない……。
「ごめんなさい」
聞きたくない。
「だから――」
聞きたくない!
「友達に戻ろう」
ずっと、友達以上になりたかった。
大和さんや陸さんより、近い存在になりたかった。
セフレでも他人でも、友達よりずっといい。関係を変えられるから。
だけど、友達は違う。
あきらは『戻る』と言ったけれど、俺はあきらを友達として見たことなんてない。だから、無理だ。
『友達』になんてなれるわけがない――。
「嫌だ」
絞り出すように、呟いた。あきらを抱きしめたまま。
今、手放してしまったら、二度とこの腕に抱けないような気がした。
「俺は、あきら以外なんて――」
「――今までだっていたじゃない、彼女。だから――」
「――いなかった」
「え?」
「この四年間、あきら以外抱いてない」
「え――?」
最悪のタイミングだ。
この四年、合コンなんかに参加はしても、恋人を作ることはなかった。だけど、あきらは俺と割り切った関係だと思っていたし、あきらが恋人と別れるのを待つだけだなんて重すぎて、言えなかった。
坂上さんに『待つ』と言われて、らしくなく感情的になった。
あれは、あきらが恋人と別れるのを待ち続けた自分と重ねたから。
俺があきらを待ち続けたように、誰かが俺を待ち続けるなんて、気の毒でしかない。
だって、俺はきっと、あきらを待つことをやめられない――。
「俺にはずっと、あきらだけだ」
理屈じゃない。意地になっているわけでもない。
ただ、あきら以外を愛せないだけ。
好きで好きで、あきら以外の女には興味も持てなくて、あきらが俺の作った飯を食ってくれるだけで嬉しくて、迷惑そうな顔をしながらも部屋に招き入れてくれるのが幸せで。面倒臭そうに拒んでみても、俺のキスに唇を開いてくれて、火がつくとSっぽく俺を攻めてみたりして、他の男に中出しされるのは嫌がるくせに、俺にはゴムを着けなくていいと言うあきらが可愛くて堪らなくて。
そういうの全部、『友達』じゃ知れなかったことで。
だから――。
「友達になんて、なれない」
「龍也」
「友達だったことなんて、一度もない」
「龍也!」
「友達にだけは、なりたくない!」
「――ごめん」
俺の身体だけ真冬のオホーツクにワープしたみたいに、凍りついた。
こんな時、相手のことなんてお構いなしに、自分をさらけ出して、何なら泣き喚いて、縋れたらどんなにいいだろう。
けれど、あきらの声に、決意みたいなものを感じて、これ以上感情を押し付けて、困らせて、嫌われたくないとか、考えてしまった。
いや、言い訳だ。
臆病なだけだ。
これ以上拒絶されて、嫌われて、惨めになるのが怖かった。
こんなんだから、四年もセフレなんて関係から踏み込めなかった。
指先の血の気が失せて、あきらを抱き締める腕の力も抜けて、だらんと腕を下ろした。
あきらが一歩後退る。
俺から顔を背け、俯き、両手を胸の前で交差させ、自分の肩を抱いて。
ふっと、千堂課長の言葉を思い出した。
『泣きの一回ってありだと思うか?』
ありですよ。
だって、ここで足掻かなきゃ、きっと後悔しか残らない――。
「俺じゃ……ダメか?」
「……」
彼女の固く閉じた唇を見ていたら、絶望を押し退けて怒りが顔を出した。
「――そんなにっ! 子供が重要か? 俺は確かに子供が好きだし、早く結婚したいと思ってた。だけど、誰でもいいなんて思ったこと、ない! 当たり前だけど、好きな女と結婚したいんだよ。子供だって、好きな女との子供が欲しいんだよ! だから――!」
あきらの横顔に涙の筋が見えた気がして、ハッとした。振られた腹いせに怒鳴り散らすなんて、最低だ。
俺は大きく息を吐き、吸った。
そして、出来るだけ冷静に、穏やかに言った。
「俺が欲しいのは子供じゃない。あきらだけだ――」
ずずっと微かに鼻をすする音がして、ようやくあきらの唇が開いた。
「龍也が悪いんじゃない。私の問題なの。私がっ――! 龍也といると、子供を産めないことが辛くて堪らなくなるの。私が……産みたかったのに……って……龍也の……こ……ども……」
自分で自分を抱き締めるあきらがやけに小さく見える。
抱き締めたい。
他の男になんて渡したくない。
だけど、俺じゃダメなんだ――――。
あきらが俺を想ってくれているのはわかる。だからこそ、俺の子供を産みたかったと、産めない自分を呪う。
俺が、あきらを苦しめる……。
「俺も……子供が作れない身体だったらーー」
言いかけて、やめた。
これ以上は、意味がない。
冷たいはずの玄関ドアに触れても、何も感じなかった。
どうやって帰ったか、覚えていない。
けれど、夜が明ける前にはベッドに横たわっていた。
足が、だるい。
全身が、冷たい。
涙が、止まらない。
今日が土曜で良かった。
俺は目を閉じ、数時間して目が覚めた時にようやく、自分が発熱していることに気が付いた。