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「悔しい事だけど、世の中そうやって理不尽に他人に当たる人はいるんだ。『自分は上司だから逆らえないだろう』と思ってやっているが、威張り散らす相手は選んでいる。もしも朱里のお父さんが高身長で鍛えてムキムキなスポーツマンタイプだったら、そういう目には遭っていなかったかもしれない」
記憶の中の父は普通体型の優しげな人で、父が怒鳴ったり誰かに対して理不尽な要求をしている記憶はない。
「優しい人は搾取される。……でも、お父さんが加害者にならなかった事は、誇っていいと思うよ」
「ん……」
私はズッと洟を啜り、頷く。
「もう少し澄哉さんの視野が広かったら、そんな会社を辞めて今まで培ったスキルで他の会社で働き直す……とか思っただろう。家族を置いて死んでしまうのは、良くない選択だった。……でも、追い詰められた人は視野が狭くなってしまう。痛めつけられているのに、働く先はその会社しかないと思い込み、馬鹿にされ続けているから、すべて自分が悪いんだと思い込んでしまう。……客観的に見れば、そんな会社辞めて、パワハラに対しても然るべき機関に訴えるべきだ。……けど、毎日のように叱責されて馬鹿にされ、人としての尊厳を失い、……判断力を大きく失っていたんだと思う」
「……そうですね。……尊さんみたいな人がお父さんの上司だったら良かったのに」
思わず叶わない「たられば」を口にしてしまうけれど、今さら何を言っても現実が変わる訳ではない。
「鬱病って、重度になると自力で何もできなくなってしまう。だから、中等症状の時に突発的な行動をとりやすいんだ。ネットで〝メンヘラ〟って呼ばれている人は、『死にたい』と事あるごとに言ったり、薬のオーバードーズをしたり、自傷行為をしている。彼らの痛みが分からない人は『ただの構ってちゃんだ』と言うけれど、それも一種のSOSなんだと俺は思ってる」
彼は溜め息をつき、ギュッと手に力を込める。
「俺も、母と妹を失った直後や、すべての元凶が怜香にあると知ったあとは、世界中のすべてを憎んでいた。心療内科に通ったし、カウンセリングを受けても毎回どうにもならない、やるせない想いばかり繰り返し口にしていた。……前に進む力が出ない時って、どうしても自分の傷をほじくり返して、痛みの中でのたうちまわるしかできない。……それを見て、挫折した経験のない人は『異常だ』と言い、『あいつはいつも暗い事ばかり言っていて、付き合っていると気が滅入る』と言う。〝メンヘラ〟の人たちに『死なないで』と手を差し伸べていた人たちも、ずっと同じ泥沼から抜けられずにネガティブな事ばかり言っている姿を見て、自分の心のほうが耐えられないと判断して離れる事もあるだろう。……それは仕方がない事だと思う。誰だって、自分の生活が一番大切だから。助けようとした自分まで、蟻地獄の底まで引きずり込まれたら堪らない」
尊さんの言葉を聞いていると、まるで彼自身がそういう経験をしたように思える。
彼も家族を喪った――、殺された訳だし、私と同等の痛みを抱えていて当然だ。
それでも歯を食いしばって進むなか、どうしても恨みつらみが口を突いて出てしまう時期もあっただろう。
尊さんにそういう時期があってもおかしくないし、ネガティブをまき散らしていても責められない。
「……澄哉さんも、沢山愚痴や不満を口にしていたと思う。若菜さんに打ち明け、慰められ、付き合いのある学友や誰かに話を聞いてもらっていただろう。……周りの人が一生懸命、これ以上ないってぐらい慰めても、……本人には届かない場合もあるんだ。著しく傷つけられた自尊心の中で、それでも茨の道を歩き続けるか、『死んで楽になりたい』と思ってしまうかは、人それぞれだ」
父の話をしているのに、尊さんの痛みも伝わってくるようで、涙が止まらない。
「自殺って『よし、死んでやる』って意気込んでするもんじゃないと思ってる。ある日突然限界が訪れて、すべてが麻痺したまま、淡々と準備を進めて何の感情もなく実行するんだ。そういう状態になったら、遺される家族の事なんて考えられない。……澄哉さんは、朱里たちを捨てたんじゃなくて、病気でそうせざるを得なかったんだ」
背後から、尊さんが小さく洟を啜る音が聞こえる。
「……死にたい、死のうと思う気持ちは分かる。……俺もそうだった」
暗闇の中、囁くような声が聞こえ、私はあの橋での出来事を思い出す。
「……私も、……そうだった」
私は体を反転させ、尊さんを抱き締めた。
「……朱里は何も悪くない。悪いのはいつも、他者を追い詰めておいて素知らぬ顔をする奴らだ。いざ自分が糾弾されたら、被害者ぶって『自分は悪くない』と主張する。精神的に未発達で、子供みたいな大人が世の中には大勢いる」
尊さんは震える声で言い、ギュッと私を抱き締めてきた。
「……若菜さんは夫の死後、会社に対して裁判を起こした。パワハラからの自死の被害者遺族として、朱里を一人で育てながら、働いて、弁護士と話し合い、澄哉さんの名誉を守るために戦い続けた」
そのあたりの記憶はなく、多分私は自分を「父親を亡くした世界一可哀想な人」と思い込み、母の大変さを知る事もなかったんだろう。
「会社側は過労死に値する長時間労働は認めたが、パワハラは認めなかった。少なくない和解金が提示され、……若菜さんも一人で戦い、朱里も気遣って……としている間に疲れてしまったんだろうな。……本当ならとことん戦って認めさせたかったが、途中で妥協した。……何年も何年も、同じ苦しみを抱きながら一人で子育てし、働きながら裁判費用で困窮するよりは、朱里のために前向きになったほうがいいと判断したんだと思う」
「……知らなかった……」
呟くと、ポンポンと背中を叩かれた。
「悔しくても、生きていくほうが大事な時もある。誇りを叩き潰されても、尊厳を失っても、それでも諦めずに前を向いて進まないとならないんだ」
芯の宿った力強い声を聞き、私の心の奥に勇気の火が宿った。
コメント
2件
お母さんも最愛の夫を失い ショックで記憶を失った一人娘を抱えながらも、一人で頑張ってくれていたんだね....😭
(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)ママも頑張った。。。