テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
(静まり返った廊下に、二人の吐息と電子ノイズだけが重く沈殿していく。貴大視点で、さらに時間を巻き戻すように、呼吸一つ、指先の震え一つまでじっくりと描写を深めます)ジジ、ジジ……と、耳の奥にこびりつくような不快なノイズ。
壊れたラジオが遠くで鳴り続けているようなその音は、俺の頭蓋骨の裏側に直接響いているようだった。
手の中で、スマホが重く、冷たく感じられる。
画面の明るさが、夕闇の迫る廊下でやけに白々しく、俺の視界を侵食していく。
——ピコン。
緑色のLINEのアイコン。
普段なら何気なくタップして、何気なく返信しているはずの、その見慣れたインターフェース。
けれど今、そこに表示されたポップアップの文字は、まるで毒液のように俺の瞳孔に焼き付いて離れなかった。
『差出人:斎川キララ』
「……キララ?」
掠れた自分の声が、喉の奥で詰まる。
頭の中に浮かんだのは、同じクラスの、あの静かな少女の姿だ。
窓際の席で、いつも薄型ノートPCを開き、キーボードを静かに叩いている可憐なクラスメイト。
クラスの男子とも女子とも必要以上に関わらず、どこか浮世離れした空気を纏っている天才プログラマー。
普段、彼女から個別にメッセージが来ることなんて一度もなかった。
学級の連絡網でグループに入っているくらいで、個人的なやり取りなど交わした記憶すらない。
なのに、なぜ今?
こんな、気味の悪いアプリが勝手に起動し、葵が恐怖でパニックを起こしている、この最悪のタイミングで——。
指先が凍りついたように動かない。
震える親指を画面に押し付け、トーク画面を開くまでに、永遠とも思える数秒がかかった。
画面が切り替わる。
一番下にぽつんと表示された、たった一行のテキスト。
『貴大くん、後ろ。』
「……え?」
意味を理解するより先に、全身の毛穴という毛穴が一斉に開く感覚がした。
足の裏から頭のてっぺんに向けて、氷水を流し込まれたような冷気が駆け抜ける。
首筋の皮膚がゾワゾワと粟立ち、心臓が肋骨の内側を痛いほど激しく叩き始めた。
ゆっくりと。本当にゆっくりと、ロボットのギアが軋むような感覚で、首だけを後ろへ巡らせる。
視線の先。
暗くなりかけた廊下の突き当たり、階段の踊り場へと続く影の中に——ひとりの少女が立っていた。
放課後の薄闇に紛れるように、そこに佇む人影。
制服の紺色のスカートが、窓から吹き込む夕風にわずかに揺れている。
距離にして、二十メートルほど。
夕日の届かないその場所はすっかり暗がりになっていて、彼女の細かい表情までは判別できない。
なのに。
その瞳だけが、暗闇の中でぞっとするほど澄んで、まっすぐに俺を射抜いていることだけは分かった。
キララだ。
彼女は華署な両手で、自分のスマホを胸の前にそっと抱えるように掲げている。
液晶画面から漏れ出る青白い光が、彼女の可憐な顎のラインと、薄い唇をぼんやりと浮き上がらせていた。
——ピコン。
手元で、再び電子音が跳ねる。
俺の視線が手に戻るまでのわずかな間も、向こうからの視線が俺の皮膚を焼き続けているのが分かる。
『ねえ貴大くん。なんで葵ちゃんとそんなに楽しそうに話してるの?』
画面の文字を目で追った瞬間、背中に冷たい汗がひとすじ、タラリと伝い落ちた。
「な……んだ、これ……」
言葉にならない呟きが、乾いた唇から漏れ出る。
階段の影から、キララがゆっくりと一歩を踏み出した。
トーン、と控えめなローファーの音が、静まり返った廊下に静かに響く。
画面が、再び小さく明滅した。
『ねえ』
『私、貴大くんのことなら何でも知ってるよ?』
画面をスクロールする間もなく、新しいメッセージが次々と滑り込んでくる。
『今日の昼休み、購買で焼きそばパン買ったでしょ?』
『体育のとき、右の靴紐を結び直してたでしょ?』
『図書室で葵ちゃんと目が合ったとき、二秒間見つめ合ってたでしょ?』
一文字一文字が、気味の悪い粘着質を帯びて俺の頭の中に流れ込んでくる。
まるで、彼女の細い指先で脳の皺を直接撫でまわされているような、強い吐き気と悪寒。
「キララ……お前、何を……」
立ち尽くす俺のすぐ横で、壁に背をあずけていた葵が、ひゅっと小さく息を呑んだ。
「た、たかひろ君……誰……? 誰から……LINE来て……」
葵の声はガタガタと震え、歯がかちかちと虚しく音を立てている。
床に転がった彼女のスマホ画面では、相変わらずあの漆黒の『デスマホ』が、生き物の脈拍のように怪しく明滅を繰り返していた。
『【警告】対象者(一ノ瀬葵)の心拍数上昇を確認。転送シークエンスを開始します』
「ひっ……! やだ……やだ……!」
葵が頭を抱え、床にへたり込む。
彼女のスマホの画面上で、赤い数字がゆっくりと、刻むように減り始めていた。
『あと 10:00』
『あと 09:59』
(なんなんだよこれ……! どうなってんだよ!!)
頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
恐怖に怯える幼馴染の荒い呼吸音と、向こうからゆっくりと間合いを詰めてくるクラスメイトの足音。
そして、自分の手の中で確実に死への時間を刻み続ける、気味の悪い黒いアプリ。
カツン、カツン。
キララの足音が、俺たちの数メートル手前でピタリと止まった。
薄暗い廊下。
俺と葵、そしてキララを囲むように、天井の防犯カメラや壁のスピーカーが、まるで無数の「目」となって俺たちを見下ろしているような錯覚に囚われる。
キララは首を少しだけ、愛らしく小首を傾げた。
そして、血の色の薄い可憐な唇を、そっと開く。
「……ねえ、貴大くん」
その声は、驚くほど鈴を転がすように甘く、そして氷の底のように冷たかった。
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コメント
1件
読み終えました…! もう、キララさんの甘く冷たい声が耳に残ってゾッとしました。普段は静かな子が、貴大くんの行動を逐一把握している描写が不気味で、監視されているような恐怖がじわじわ伝わってきました。それに、葵ちゃんのスマホのカウントダウンが時間の焦燥感を煽って、息が詰まりそうでした。続きが本当に気になります…!