テラーノベル
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────昭和20年、8月15日。俺は15歳になった。
そして、日本が負ける形で、戦争が終わった。
「サナトリウムに着いたら、真っ先に手紙を送ります」と菊は言っていたが、その手紙が届くことは、遂ぞなかった。
それから9月になり、俺達家族は疎開先の山梨を離れ、かつて住んでいた帝都の百人町(※現在の新大久保)まで戻った。
其処は度重なる空襲で焦土と化し、何も無かった。強いて、朝鮮人達がその場しのぎであつらえたバラックが、ちらほらと見える程度だった。
俺のかつての家も、焼け崩れてすっかり原型を留めていなかった。
*
焼け野原の中で、どうにかこうにか生活を再建するべく、アッパは瓦礫撤去などの土方の仕事に就いた。アッパが稼いだお金で、オンマは闇市で食料を買った。
俺は、復学することは無かった。少しでも多い稼ぎを得るべく、アッパについて行き、 一緒に土方の仕事をした。現場では他の土方の人達から、「まだ若いのに偉いなぁ」と、 たいそう可愛がられた。
そんなこんなで慌ただしい日々が過ぎていき、12月も中旬に差し掛かったある日。
「 ねぇ、これ……アンタのことじゃないのかい?」
オンマがそう言って俺に見せてきたのは、新聞の尋ね人の欄。そこにはこう綴られていた。
『任田勇くん
私の甥、菊のことで伝えたい旨があります。
連絡先はこちらまで ○○○-△△△△
大和田撫子』
「私の甥、菊」ということは…………これを載せたのは菊の叔母だろう。撫子さんという名前なのか。
俺は新聞を受け取ると、つい最近新たに買った、電話機のダイヤルを回した。
*
『…………もしもし、どちら様で?』
「大和田撫子さんでしょうか?新聞を見てお電話しました、任田勇です」
本人であることを、菊の叔母こと撫子さんに伝える。すると彼女は、こんなことを口にした。
『ああ、貴方が……菊と仲の良かった子ね。そうよね、ヨンス君』
「っ本名…………知ってるんですか」
驚いた。彼女が、俺の本当の名前を────つまり、俺が朝鮮人であることを知っているとは。
しかし、何故に。
『貴方の日本名は菊から聞いて知っていたけど……本当の名前も知ることになったのは、本当に偶然なの』
「偶然…………ですか」
『ええ、話せば長くなるから……その前に、菊について伝えたいことがあるの』
そして撫子さんは、静かに…………しかしはっきりと、俺に事実を告げた。
『菊は…………転院してから僅か1週間後に、亡くなったわ』
*
「っ…………そう、ですか…………」
────菊が、死んだ。
正直、そんなことだろうと思っていた。俺と出会った時点で、病状は重かったし、途中で脊椎カリエスも患っていたから。なので早い死を迎えるのは、当然のことであった。
しかし、未だ実感が湧かない。脳裏に必ず浮かぶのは、笑顔で俺の名前を呼ぶ、菊の姿だ。
『ヨンスさん!』
────死んで、しまったのか。
『転院してから5日後に、容態が急激に悪化したの。大きな喀血を起こして、昏睡状態になって…………その時にうわ言で、「ヨンスさん、ヨンスさん」って、朝鮮風の人の名前を呼んでいてね。それで知ったのよ、貴方の本名を』
「そうなんですか。というか、よく分かりましたね、『勇』が『ヨンス』だってことに」
『だって…………貴方のような、あれほど菊と仲良くなれた人を、私は知らないんですもの。菊は生前、私によく貴方について話していたわ。『人生の最後に、最高の人に出会えたんです』と…………そう言っていたわ。よっぽど嬉しかったのね、貴方のような、 気の置けない人と友達になれて』
「…………」
『だから菊が亡くなってから、凄く申し訳ない気持ちになったの。私、何て残酷な決断を、菊に押し付けてしまったんだろうって…………菊に少しでも良くなって欲しくて、 転院させたのに…………貴方にもとても申し訳ないわ。こんな形で、唯一無二の友達を喪わせてしまって…………』
受話器越しに時折聞こえる、啜り泣く声。
撫子さんは撫子さんで、気の毒な甥っ子のために良かれと思って行動しただけのことなのだろう。そんな彼女を、責められる筈がない。
『…………ごめんなさいね、取り乱してしまって。でも物凄く後悔しているの。本当よ』
「あの…………撫子さん」
『…………何かしら?』
「その、菊は…………もう、荼毘に付されたんですよね」
『ええ…………ただ、まだ納骨はしていないの。私の兄様の…………菊の父様のお骨か遺品かが戻って来たら、一緒に納めようと思っているわ』
「菊のアボジは…………戦死したんですか」
『艦隊は殆どが海に沈んでしまったわ。勿論、兄様の乗った船も…………』
「…………」
『菊のお骨だけど、私の家の仏壇に祀っているわ。もし良ければ、手を合わせてやってくれないかしら」
「…………勿論です。そのつもりで、貴女に訊いたんです」
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