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披露宴会場は、ホテルで一、二を争う大広間だった。
高田製薬の愛娘と医療事務器オーツカの長男の婚礼とあって、パーテーションをすべて取り外し、盛大に設えられていた。
煌めくシャンデリア、濃紺の絨毯。来賓たちの「お久しぶりです」「お世話になっております」という挨拶が飛び交う中、扉の外で夏帆と洸平は腕を組んで待っていた。
「ドキドキしますね」
「プレゼンより緊張するな」
「そんな、お仕事じゃないんですから」
洸平が夏帆のヘッドドレスに付いた霞草の葉を優しく取り払った。
「綺麗だよ」
「洸平さんも素敵です」
介添人が耳打ちする。
「さぁ、出番です」
夏帆は大きく息を吸い、深く吐いた。
(笑顔を崩すな。お祖父様の前で。みんなの前で。私は今、この瞬間も「幸せな花嫁」でいなければならない)
チャイコフスキーの花のワルツが大音量で流れ、扉が開いた。サーチライトの光に目がくらみ、夏帆は洸平に支えられた。
「大丈夫か?」
「ちょっとびっくりしました」
夏帆はすぐに背筋を伸ばし、洸平と共に来賓に向かって深々と頭を下げた。
拍手が沸き起こる。
高砂席に着くと、主賓の挨拶が始まった。
夏帆は口角を上げ、洸平と一緒に何度もお辞儀をし、笑顔で頷いた。
乾杯の音頭が掛かると、再び立ち上がる。
(顔が熱い……でも、笑わなければ)
夏帆は完璧な花嫁の笑みを貼り付けていた。
心の中では、冷たい声が繰り返す。
(この笑顔で、あなたを包み込んで……その後で、ゆっくり壊してあげる)
ヴァイオリンがバッハのG線上のアリアを奏で、歓談が始まった。
フレンチのフルコースが次々と運ばれてくる。
来賓が次々と高砂席に挨拶に来る。
夏帆は一人ひとりに愛想よく応じ、洸平の肩に軽く寄りかかった。
「洸平さん、今日は本当にありがとうございます。私、すごく幸せです」
その声は甘く、誰が見ても新婚の喜びに満ちていた。洸平は少し緊張した笑みを返す。
「俺もだよ、夏帆」
(嘘つき)
夏帆は心の中で吐き捨てた。
(あのLINEの女と、同じホテルで……この教会のすぐ隣で、私と結婚する前夜に)
それでも彼女は、洸平の腕に優しく手を置き、来賓に向かって微笑み続けた。
華道の師範が烏龍茶の小瓶を持って挨拶に来たとき、夏帆はすぐにフォローに入った。
「先生、本日はお忙しい中ありがとうございます。洸平さんとは幼馴染なんです」
師範が意味深に笑う。
「あら、お見合いなの? まだまだこれからねえ」
洸平の顔が一瞬強張ったのを見て、夏帆はすぐに明るく笑った。
「先生、いつもそんなふうにからかうんですよ。ごめんなさいね」
夏帆は洸平の手にそっと自分の手を重ね、皆の前で甘えるように寄り添った。
「これから、ずっと一緒にいられるんですね。嬉しいです」
その言葉に、来賓から「かわいい……」という声が上がる。
(嬉しい? 違う。私はあなたを地獄に落とすために、ここにいる)
夏帆の瞳の奥で、冷たい炎が静かに燃えていた。
やがて友人・村瀬寿がオレンジジュースの瓶を片手に近づいてきた。
「幼馴染! 未開拓! そこが良いのよ! しかも次期社長でイケメン! 夏帆、幸せ者ね!」
寿はいつもの明るさで笑う。
「もし何かあったら、いつでも相談してね。特に浮気の気配とか」
夏帆は一瞬胸がざわついたが、すぐに完璧な笑顔を浮かべた。
「ありがとう、寿ちゃん。新婚旅行から帰ったらお茶でも飲もうね」
(浮気……もう、知ってるわ。でも今は、誰にも言えない)
介添人が近づいてきた。
「新婦さま、お色直しの時間です」
「はい」夏帆は洸平に向かって、優しい笑みを浮かべた。
「少しだけ待っていてくださいね」
洸平が手を振る。
「いってらっしゃい」
夏帆はドレスの裾を軽く持ち上げ、控室へと歩きながら心の中で繰り返した。
(まずは笑顔であなたを安心させて……信頼させて……その上で、すべてを奪ってあげる)
披露宴会場では、シャンデリアの光がまだ輝き、笑い声が続いていた。夏帆は控室の鏡の前で、自分の完璧な笑顔を確認した。この結婚は、復讐のためにある。そして彼女は、再び「幸せな花嫁」の仮面を被って、会場に戻る準備をした。
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