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第5話 変なハンドルネームを悪ふざけで検索し動画にする
年齢は二十代後半。
髪は短く、前髪が少し目にかかる。
薄手のフード付き上着を着て、袖を肘までまくっている。
机の端に小型カメラ、手元に端末。
口角が上がりやすく、指の動きが速い。
目線は画面とレンズを行き来し、笑いが先に漏れる癖がある。
部屋の灯りを落とすと、机の上だけが端末の光で浮いた。
カメラの赤い点が灯る。
レンズの向こうに誰かがいる気配を、【ウォル】はもう当たり前みたいに扱っている。
椅子に浅く腰をかけ、机を指で二回叩く。
音が入ったのを確かめるように、耳が少し動く。
端末を起こす。
検索欄に指が落ちる。
一文字。
消す。
二文字。
消す。
三文字。
消す。
消している時間のほうが長いのに、表情は軽いままだ。
口を開く。
言葉は短い。
笑いが先に出て、喉で引っかかって、すぐ消える。
その感じを、彼は好んでいる。
検索欄に、妙な並びを置く。
音にすると、口が疲れるような綴り。
手元の画面に、結果が並ぶ。
使用中。
使用中。
未使用。
その一つを見つけた瞬間、【ウォル】は端末を少しレンズへ寄せる。
画面がぶれて、文字が踊る。
指で拡大する。
もっと見せる。
意味のないほど大げさに、見せる。
笑い声が上がる。
軽い。
深さがない。
コメントが流れ始める。
速い。
拾わない。
拾うときは、拾いたいものだけだ。
拾われない言葉が増えていくほど、配信の空気は勝手に育つ。
【ウォル】は検索欄へ戻る。
別の並び。
今度は、少しだけ人の名前に寄せる。
寄せた分だけ、変になる。
検索。
結果。
使用中。
またか、と口が動く。
声は出ない。
画面の下へ送る。
値段が見える欄がちらつく。
【ウォル】は、そこを見なかったふりをして、戻る。
値段は数字だ。
数字は、笑いにしやすい。
だけど今日は、まだそこへ行かない。
検索欄にまた置く。
今度は、短い。
短すぎて、無駄に強そうな綴り。
検索。
結果。
使用中。
【ウォル】は肩をすくめる。
その動きは、誰かの笑い声を待っているみたいだ。
机の上の飲み物に手を伸ばす。
口をつける。
味を確かめずに戻す。
端末のガラス面に、指先の跡が増える。
拭こうともしない。
検索欄に、さらに変なものを入れる。
意味のない連なり。
文字の置き方だけで、態度が悪そうに見える綴り。
検索。
結果。
未使用。
【ウォル】の目が、ほんの少しだけ細くなる。
見つけたときの顔だ。
当たり前のようで、嬉しいときの顔。
端末をレンズへ向ける。
またぶれる。
ぶれたまま、指で画面を叩く。
「これさ」
声が出る。
短く、軽い。
その先は言わない。
言わないほうが、コメント欄が勝手に埋めてくれる。
コメントが跳ねる。
流れる文字の量が増える。
端末が小さく震える。
【ウォル】は笑う。
笑いながら、検索欄へ戻る。
未使用の表示を見つけるたびに、勝ったように笑う。
使用中が出るたびに、負けたふりをする。
その繰り返し。
窓の外で、車が通る音がする。
音はすぐ消える。
部屋の中には、指のタップ音と、端末の振動だけが残る。
【ウォル】は一度だけ、背もたれに体を預ける。
息を吐く。
また前へ。
検索欄に、新しい並び。
今度は、誰かの癖を真似たみたいな文字。
読むと、舌が引っかかる。
検索。
結果。
使用中。
「強いな」
小さく言う。
強いのは、名前じゃない。
先に取った誰かの手だ。
それでも【ウォル】は、その誰かを想像しない。
想像すると、遊びが遊びじゃなくなる。
だから、画面だけを見る。
コメント欄が、急に同じ単語で埋まり始める。
ひとつの綴りが、何度も出る。
【ウォル】はそれを見て、口角を上げる。
その綴りを、わざと少しだけ変えて検索する。
検索。
結果。
未使用。
笑いが漏れる。
鼻から出る。
端末をレンズへ向ける。
今度は、きちんと見せる。
その瞬間、コメント欄がさらに速くなる。
【ウォル】は、画面を伏せる。
伏せたまま、指で机を二回叩く。
「やめとく」
軽い声。
買わない。
登録もしない。
ただ見つけて、見せて、流す。
この夜の彼にとって、名前は魚みたいなものだ。
釣って、写真を撮って、放す。
端末を起こす。
次の検索。
今度は、音が小さくなるような綴り。
口の中で消えそうな並び。
検索。
結果。
未使用。
【ウォル】は少しだけ真顔になる。
真顔の時間は短い。
すぐに笑う。
「これ、かわいくない?」
声が上ずる。
軽い。
軽いほど、見ている側は安心する。
画面が切り替わる。
おすすめの関連検索。
似た音の候補が並ぶ。
【ウォル】はそれを見て、指を止める。
その候補の中に、妙に整ったものが混じっている。
整いすぎている。
遊びには見えない。
【ウォル】はその候補を一度だけタップしかけ、やめる。
やめたことを、誰にも言わない。
検索欄に戻って、もっと変なものを入れる。
わざと崩す。
わざと滑らせる。
検索。
結果。
使用中。
未使用。
使用中。
未使用。
鼓動みたいに交互に並ぶ。
【ウォル】の指の動きが速くなる。
コメント欄は、すでに彼の言葉よりも大きい。
机の上のカメラが、じっと見ている。
【ウォル】はレンズに向かって、ほんの少しだけ視線を上げる。
その目に、悪ふざけの火がある。
火は小さい。
危うさはまだない。
この夜はまだ平和だ。
誰も泣いていない。
誰も止めに来ない。
検索欄に、最後の並びを置く。
今日一番、変な音。
検索。
結果。
未使用。
【ウォル】は口を開け、声を出さずに笑う。
肩が揺れる。
端末をレンズへ向け、画面を見せる。
指でその文字をなぞり、もう一度見せる。
そして、何もせずに戻す。
購入のボタンには触れない。
登録もしない。
ただ、見せる。
「今日はここまで」
声が軽い。
手を振る。
カメラの赤い点が消える。
端末の光だけが残る。
コメント欄はまだ流れている。
でももう、【ウォル】は見ない。
画面を伏せる。
椅子から立ち上がる。
一度だけ、検索欄を振り返るように、端末を起こし直す。
さっきの未使用の表示は、もう見ない。
見ないまま、端末を閉じる。
部屋の静けさが戻る。
その夜、
変な名前は笑いの種のまま、
誰の手にも渡らず、
画面の奥に沈んでいった。
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