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夏の終わりだった。
部活帰りの校舎は、昼の騒がしさが嘘みたいに静かだった。
俺――健太は、階段を一段飛ばしで駆け上がっていた。
「やばい、水筒忘れた……」
今日は真夏日で、部活中に何度も水を飲んだ。
その水筒を、教室に置いたまま帰ってしまったのだ。
家に帰ってから気づいて、仕方なく学校へ戻ってきた。
校舎はもうほとんど真っ暗だった。
職員室の灯りだけが、遠くでぼんやり光っている。
三階の廊下に出ると、窓から夕焼けの最後の赤い光が差し込んでいた。
ガラッ。
教室のドアを開ける。
机と椅子が並ぶだけの、静かな教室。
昼間の騒ぎが信じられないほど、何の音もしない。
「あったあった」
俺の机の横。
床に、黒いステンレスの水筒が転がっていた。
拾い上げると、**チャポン**と音がした。
「……あれ?」
朝、空だったはずだ。
部活のときは全部飲み干した。
なのに、水が入っている。
キャップを開けて中を覗こうとしたときだった。
**コトン。**
教室の後ろで音がした。
振り向く。
誰もいない。
机と椅子が並ぶだけだ。
「気のせいか……」
そう思った瞬間――
**コトン。**
また鳴った。
今度ははっきり聞こえた。
音は、教室の一番後ろのロッカーの方からだった。
ゆっくり近づく。
ロッカーの前の床に――
水筒が落ちていた。
黒いステンレス。
俺のと**同じ水筒**だった。
「……誰のだ?」
拾い上げる。
**チャポン**
中で水が揺れた。
「……」
嫌な感じがした。
教室を出ようと、振り返る。
そのときだった。
**コトン。**
また音がした。
今度は、**別の場所から。**
見ると――
教室の前の床に、もう一本水筒が転がっていた。
「……え?」
さっきまで、なかったはずだ。
それも黒いステンレス。
同じ形。
同じ傷。
同じシール。
**全部、俺の水筒と同じだった。**
心臓が急に速くなる。
「誰か……いるのか?」
返事はない。
静まり返った教室。
そのとき。
**コトン。**
**コトン。**
**コトン。**
床のあちこちで音がし始めた。
振り向く。
ロッカーの前。
窓の下。
机の間。
そこに、次々と水筒が転がっていた。
一本。二本。三本。
全部同じ。
全部俺の水筒。
「なんだよ……これ……」
後ずさる。
その瞬間――
廊下から音が聞こえた。
**カン……コトン……**
金属が床に当たる音。
**カン……コトン……**
近づいてくる。
恐る恐る廊下を覗く。
長い廊下の奥。
暗闇の向こうから――
水筒が転がってきていた。
一本じゃない。
何本も。
何十本も。
床を転がりながら、こっちへ向かってくる。
**カン。コトン。カン。コトン。**
まるで、誰かが奥から投げているみたいに。
俺は教室に飛び込んでドアを閉めた。
ガラッ。
ガン!!
外から何かがぶつかった。
水筒だ。
ドアの下から、**ゴロゴロ**と水筒が転がり込んでくる。
床いっぱいに広がっていく。
「やめろ……」
後ろへ下がる。
そのとき――
**キ……**
手に持っていた水筒が動いた。
フタが、ゆっくり回っている。
勝手に。
**キ……キ……キ……**
キャップが開いていく。
中から、音がした。
**チャポン**
水が揺れる音。
でも――
水じゃなかった。
黒い水面の奥で、
**白い指**が動いた。
次の瞬間。
水筒の口から、**小さな手**が伸びてきた。
そして、かすれた声が聞こえた。
**「……のど……かわいた……」**
床いっぱいの水筒が、一斉に揺れた。
**チャポン**
**チャポン**
**チャポン**
全部の水筒から、同じ声が聞こえる。
**「のど……かわいた……」**
**「のど……かわいた……」**
**「のど……かわいた……」**
俺は絶叫して、教室を飛び出した。
廊下を全力で走る。
階段を駆け下りる。
外へ飛び出す。
夜の空気を吸って、やっと止まった。
「……はぁ……はぁ……」
学校を振り返る。
三階の窓。
そこに、無数の水筒が並んでいた。
窓辺に。
机の上に。
床いっぱいに。
そして――
全部、こっちを向いていた。
そのとき、気づいた。
俺の右手。
まだ何か握っている。
ゆっくり見る。
黒いステンレスの水筒。
俺の水筒だ。
フタが、少し開いている。
**チャポン**
中で、何かが動いた。
そして小さな声。
耳元で囁く。
**「……あけて……」**
俺は、まだ。
この水筒を――
**開けていない。**
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