テラーノベル
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都内某所、大判組執行部が集う高級料亭の奥座敷では、極道の政とはおよそかけ離れた「議題」が、静まり返る部屋に響いていた。
俺は、自分より一回りも二回りも年上の執行部のお歴々を前に、かつてない緊張感で居ずまいを正していた。
天利「……というわけで、近々、彼女のご両親に挨拶に伺おうと考えております。
つきましては、お知恵を拝借したく……」
俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、伊左治本部長が吹き出した。
伊佐治「揃いも揃って娘だの女だので頭を抱えるとは、大判組も平和になったもんだなぁ!」
代表「面目ねぇ……」
天利「……笑い事ではありませんよ。
筋を通すのは男の務めですので」
俺が真剣に頭を下げると、伊左治本部長は少しだけ遠い目をして煙草を燻らせた。
伊佐治「俺ン時は挨拶も何もなかったな……。
お互い天涯孤独の身だったし、相手は余命もあと僅かって感じだったから、何とか説得して大急ぎで籍だけ入れてよ……。
2ヶ月……あったかな……?
あっという間に死んじまった……」
その話を聞いてしんみりする代表と重次組長。
重次「……挨拶か。
京子さんは実家を勘当されてた上に、前の旦那さんと死別して再婚だったから
結局1度も頭を下げに行く機会はなかったな……。
母の病床の前で誓うのが精一杯だったよ」
野口「俺は、未だに独り身だし、所帯を持つ気はねぇから、参考にならねぇぞ?」
伊佐治「おいおい、誰1人参考にならねぇじゃねぇか!
だがな天利。相手が『同業者』なら、下手に堅気ぶった菓子折りなんかより、相手の喉元に刺さるような『誠意』がいいんじゃねぇか?」
重次「……タカさん、それじゃあ『挨拶』ではなく『脅し』になる」
代表「もう、基本に立ち返って親父さん用の酒とお袋さん用の菓子と一包みでいいだろ?」
伊佐治「あと指な!」
重次「タカさん!!!」
俺の手帳には、リストだけが積み上がっていった。
天利「(……指、か。
シズちゃんには絶対に止められているが、万が一の予備として包帯と止血剤は用意しておくべきだろうか)」
一方、界転組の事務所。
窓の外には、鮮やかな新緑が風に揺れ、初夏の輝きを帯びた街並みが広がっている。
新界は、上質なソファに深く腰掛け、湯のみを傾けてていた。
背後に控える若頭の黒瀬が、1通の報告書を差し出す。
黒瀬「……牧村補佐の経歴を、さらに深く洗い直しました」
新界「ほう……。
何か面白ぇもんでもあったか」
黒瀬「ええ。現在、鯛八木組傘下・鶯会の事務局長を務める沢渡 凌牙氏と、天利組長が執着している例の女性……蓼原 シズカさんは、牧村補佐の中学の同期生でした。
さらに、高校では3年間クラスも部活動も共にしています」
新界「沢渡……繋がりは?」
黒瀬「それが、沢渡氏は高校2年生の頃から不登校となり、卒業後の交流は一切確認されておりません。
蓼原氏も同様で、彼女自身は完全に堅気として生活しており、組織間のパイプになっている形跡も見当たりませんでした」
新界は沈黙した。
数年前に勃発した大判組と鯛八木組の抗争。
鯛八木組の敗北で幕を下ろし、両組織和解したものの、底流では今も互いの喉元を狙い合う火種が燻り続けている。
西日が傾き、室内を刺すようなオレン ジ色の光が、徐々に長くなってい く。
黒瀬「……いかがなさいますか。
これ以上、彼らの身辺を掘り下げれば、天利組長や鯛八木組を刺激することにもなりかねませんが」
新界は鼻で笑い、湯のみをテーブルに置いた。
新界「いかがもクソもねぇだろ。
今はこれ以上、そいつらを調べる必要はねぇ。
……天利の『女』にちょっかいをかけるのも、堅気の女を泣かせるのも、俺の趣味じゃねぇし、今は鯛八木とドンパチしている場合でもねぇしな……」
その瞳には、一時の感情ではなく、組織の長としての冷徹な計算が宿っていた。
新界「今は泳がせておけ。
物事には順序ってもんがある。
……余計な火の粉は、俺が許さねぇ」
黒瀬「……承知いたしました。
そのように手配します」
重厚な扉が静かに閉まり、主1人とな った室内に、青白い薄暮が忍び寄る。
新界は再び背もたれに体を預け、いつしか夜の帳が下りる街を見下ろした。
都内の築古アパートの201号室。
シズカは心を落ち着かせようと、残りの荷物を詰めたり、テレビや動画を見たり、柔軟をしたり、編み物をしたりするがどれもこれも集中できず「こうなったら……!」と慣れた手つきで着物に着替え、静かに畳の上に座っていた。
シズカ「(……集中、集中よ、シズカ。
お湯の音を聞いて、心を無に……)」
だが、茶筅を振る手が、わずかに震える。
シズカ「(……だめだ。
全然、お茶に身が入らない……)」
父親が今、噴火寸前の活火山状態なことも、娘の直感で分かっていた。
約束の日曜日、何が起こるかわからない。
シズカ「(……ああ、想像しただけで、お茶が苦くなりそう)」
彼女は点てたばかりの茶を一気に飲み干し、膝を抱えて丸くなった。
「真っ当な幸せ」を掴もうとした代償は、あまりにも高く、そして危ういバランスの上に成り立っていた。
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