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深夜の露天風呂
湯気に煙る月明かりの下、里奈は上機嫌でシャンパンを煽っていた。
「ねえ奈緒さん。この旅館、最高ね。あいつが隣で震えてるのを見ながら飲む酒が、こんなに美味しいなんて思わなかったわ」
「ふふ、喜んでもらえて何よりだわ。でも里奈さん、楽しみはこれからよ?」
私は、テラスの柵に縋り付いて夜の海を見下ろしている健一に目を向けた。
彼は、波の音に誘われるように、一歩、また一歩と身を乗り出している。
「……死ねば、自由になれる……」
健一の掠れた呟きを、私は聞き逃さなかった。
彼が柵を越えようとしたその瞬間、私は手元のスマホを操作し、彼が最も恐れる「音」を鳴らした。
(ピロリン───♪)
ナオミからの通知音。
健一の身体が、条件反射でビクッと硬直する。
「健一さん。そこから飛び降りても、あなたの地獄は終わらないわよ」
私は冷たい風に髪をなびかせ、彼に歩み寄った。
「もしあなたが今ここで死んだら、私は即座に『横領の証拠』を警察に提出する。あなたの死は『罪を苦にしての自死』として処理され、残されたお母様には、あなたが会社から請求される数千万の損害賠償がすべてのしかかることになるけれど……それでもいいのかしら?」
「……っ!!」
健一は柵を掴んだまま、絶望に満ちた顔で私を振り返った。
死ぬことさえ、家族に迷惑をかける「罪」にされる。
私は、彼の死後まで計算し尽くしているのだ。
「いい? 健一さん。あなたの命はもう、あなたのものではないの。私と里奈さんが、あなたの価値を最後の一滴まで絞り取るための『資産』なのよ」
私は、呆然とする健一の横で、里奈に一通の書類を手渡した。
「里奈さん。これ、彼があなたに支払う『公式な損害賠償合意書』よ」
「彼はこれから一生、私への生活費とは別に、あなたに月々決まった額を支払い続ける。…支払えなければ、即座に刑務所行き。これにサインさせましょう」
里奈の目が、欲望でギラリと光った。
「……最高じゃない。一生、私のATMになるってわけね」
「さあ、健一さん。ペンを取りなさい。死ぬ勇気があるなら、一生私たちのために泥水を啜って生きる勇気くらい、あるでしょう?」
健一は、崩れ落ちるように床に膝をつき、差し出された書類に震える手で署名した。
海から吹き付ける冷たい風が、彼の啜り泣きをかき消していく。
かつてこの場所で、彼は里奈に「幸せにする」と約束した。
今、彼は二人の女に「一生を捧げる」という呪いの契約を結んだ。
「……あ、ああ……あぁぁ……ッ」
声を失った健一の背中を、里奈がハイヒールで軽く蹴飛ばした。
「ほら、サインしたならさっさと部屋に戻って。私の寝床を整えなさいよ、家政夫さん」
月は、逃げ場を失った男の無様な姿を、ただ冷たく照らしていた。
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#大人ロマンス
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