テラーノベル
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夕暮れ時の放課後。橙色と紫色のグラデーションに染まりかけた廊下には、どこか退屈で、けれど心地よい放課後特有の匂いが漂っていた。使い古されたワックスの匂いと、遠くのグラウンドから風に乗って届く土の匂い。部活に向かう運動部員の賑やかな足音や、遠くで響くブラスバンド部の不揃いなトランペットの音が、校舎全体をぬるく包み込んでいる。
奏貴大(かなで たかひろ)は、肩に掛けた通学バッグの位置を直しながら、大きくひとつ息を吐いた。
「ふぅ……今日の部活も疲れたな」
誰もいなくなった教室の静けさに身を浸しながら、机の脇にかけていた上履き袋を取ろうとした、その時。
カツン、カツンと、廊下の床を鳴らす軽快な足音が近づいてくる。
「あ、たかひろ君! 待って、一緒に帰ろ!」
教室のドアからひょっこりと顔を出したのは、幼馴染の一ノ瀬葵(いちのせ あおい)だった。少し乱れた黒髪のショートヘアを揺らし、息を弾ませながら貴大の顔を覗き込んでくる。
「なんだ葵、図書委員の仕事はもう終わったのか?」
「うん! ちょうどさっき終わったところ。ねえねえ、途中でコンビニ寄っていかない? 新作のファミチキ食べたくてさ」
「お前なぁ、そんなもん食ったら夕飯入らなくなるぞ。……まあ、俺も小腹空いたし付き合うけど」
「やった! さすがたかひろ君、話がわかる〜!」
葵はへへっと嬉しそうに笑い、制服のポケットから自分のスマホを取り出して画面を操作し始めた。
「あ、ついでに今夜のテレビ番組チェックしとこ。たかひろ君、今期のあのアニメ見てる?」
「どれだ? あの異世界モノか?」
「そうそう! 昨日の夜の放送、めちゃくちゃ作画良くてさ——」
他愛のない、どこにでもある平凡な会話。
夕日の残光が二人の影を廊下に長く引き伸ばし、だらだらとした温かい時間が流れていく。
貴大もまた、ポケットの中に突っ込んでいたスマホに手を伸ばした。
時間を確認し、葵との他愛のない雑談の返答を探そうと、無意識に画面を点灯させた——その瞬間だった。
——ピコン。
低く、耳の奥にへばりつくような、聞き覚えのない電子音がポケットの底で小さく跳ねた。
LINEの通知音でもなければ、標準の着信音でもない。
乾いた木琴を鉄のハンマーで叩いたような、どことなく金属質の、不快な高音。
「ん……? なんだ今の音。メールか?」
貴大は首をかしげながら、液晶画面に目を落とした。
いつも表示されているお気に入りの壁紙画像の上に、見慣れないポップアップウィンドウがひとつ、居座っている。
漆黒の背景。その中央に、血のように濃い赤色で、奇妙なメッセージが浮かび上がっていた。
『【重要】アプリ『DEATH-PHONE』のインストールが完了しました』
「デス……フォン? なんだこれ。勝手にアプリが入ったのか……?」
指先で画面をタップし、通知を消そうとする。
しかし、普段ならフリックひとつで消えるはずのポップアップは、まるで画面に張り付いているかのようにピクリとも動かない。
「……? なんだよ、固まったか?」
貴大が画面を何度も指で強くなぞっていると、隣でスマホをいじっていた葵が、不意に首を傾げた。
「あれ……? たかひろ君、なんか変な通知来なかった?」
「え? 葵の方にも来たのか?」
「うん。『DEATH-PHONE』がどうとか……なにこれ、新しいSNSのプロモーションか何か? 画面から消えないんだけど」
葵は呑気にスマホの画面を指で叩いている。
その顔にはまだ、焦りも恐怖も存在しない。ただの「変なバグ」としか思っていない、平和な日常の表情のままだ。
だが——貴大の画面上で、漆黒のポップアップがドロリと形を変え始めた。
まるで黒いインクが液晶の裏側で滲んでいくように、新しい赤文字が、ゆっくりと、一字ずつ刻まれていく。
『【通知】奏貴大様。あなたに「死のカウントダウン」が設定されました』
「は……?」
あまりに唐突で、唐突ゆえに現実感のない単語の羅列。
貴大の視線は、その下に表示された更なる細い文字へと吸い寄せられていった。
『死亡予定時刻:18時00分(あと 30:00)』
『死因:心不全』
「心不全って……おいおい、タチの悪いウイルスかよ」
貴大は思わず乾いた苦笑いをこぼした。
最近のスパムや悪質アプリは、恐怖心を煽って怪しいサイトへ誘導する手口が多いと聞いたことがある。これもその類だろう。
「葵、これ多分タチの悪い迷惑アプリだわ。電源落として再起動してみ——」
そう言いかけて、貴大は言葉を失った。
葵の様子が、おかしい。
さっきまで「新作のファミチキ」だの「アニメ」だのを楽しそうに語っていた葵が、ピタリと動きを止め、金縛りにでも遭ったかのように突っ立っている。
「……葵?」
声をかけるが、返事がない。
葵の手元を見ると、彼女のスマホ画面には、貴大のものとは明らかに異なる「別の文章」が浮かび上がっていた。
『【警告】奏貴大とこれ以上会話を続けた場合、あなたに死亡通知が転送されます』
「葵……? どうした、そんな顔して」
貴大が手を伸ばし、彼女の肩に触れようとした、その時。
「——来ないでっ!!!」
廊下に響き渡る、裂けるような葵の悲鳴。
貴大は息を呑み、伸ばしかけた手をピタリと止めた。
葵の顔からは、血の気が完全に引き、唇が紫に変色しかけている。その大きな瞳は恐怖に大きく見開かれ、貴大ではなく、**貴大の背後、あるいはスマホの画面の「奥」**を食い入るように見つめていた。
「葵……? 何言ってるんだよ、俺だぞ?」
「た、たかひろ君……見ないで……画面……画面の奥から……」
葵の指先が、目に見えてガタガタと震えている。
彼女の持つスマホの画面が、まるで生き物のように歪み、不気味な黒いノイズを発し始めていた。
「見ないで……! 誰かが……画面の中から、私を見てる……!!」
——ガシャン!!!
甲高い音を立てて、葵のスマホが廊下の床に叩きつけられた。
しかし、画面は割れていない。
床に転がったスマホの画面は、不気味な漆黒の光を放ちながら、廊下の天井に向かって静かにノイズを撒き散らしていた。
夕日のオレンジ色が急速に褪せ、廊下の影が不自然に濃くなっていく。
耳の奥で、ジジジ……という不快な電子のノイズ音が、いつの間にか校舎全体を覆い尽くすように低く響いていた。
「あ……あ……」
葵は自分の両肩をきつく抱きしめ、廊下の壁に背中を押し付けたまま、がたがたと膝を震わせている。
ただのイタズラではない。
自分たちの足元で、日常という薄い氷が、メリメリと音を立てて割れていくような——冷や汗が背筋をタラリと伝う感覚。
貴大は生唾を飲み込み、震える手で床に転がる葵のスマホと、自分の手の中にある『デスマホ』を見比べた。
カウントダウンの数値が、無情にも刻一刻と減っていく。
『あと 29:45』
『あと 29:44』
そして——静まり返った廊下に、再びあの不快な電子音が響いた。
——ピコン。
それは、壊れた葵のスマホでも、貴大の『デスマホ』からでもない。
貴大が普段使っている、プライベートなLINEアプリからの着信通知音だった。
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コメント
1件
うわ、第1話から一気に引き込まれました……! 夕暮れの放課後の何気ない日常の描写がすごく丁寧で、葵と貴大のほのぼのした会話にほっこりしてたところに、あの不気味な通知が来た瞬間の温度差に鳥肌が立ちました。特に「画面の奥から見てる」って葵の台詞、ゾッとしましたね……。ラストのLINE通知で終わるのも、続きが気になりすぎます! これは連載追いかけます。