翌日からは、朝食のあとは作戦会議の時間となった。作家さんも参加してくれたけど、いつも通り、食事は自分の部屋で済ませてからの出席だった。
呼びに行くのは私の役目―それでも、全員が同じ目的に向かっているのだし、それはそれで納得できる仕事だ。
あの部屋の中は、見ないようにしていたけど。
ジュディーさんの歌声は、日に日に陽気で軽快なものになっていって、花屋さんは時折興奮しながら。
「HOHOHO」
と、笑うようになった。
ダンサーさんが語ることはなかったけれど、感情表現は右手で表すようになった。
OKなら親指を立てる。
NOなら、顔の前で手を横に振るという具合に。
おしゃべり男は相変わらずだけど、作戦会議が白熱するとその才能は開花した。
攻撃対象にされて、ストレスの吐口になるからだ。
それでも笑っている彼は、自分の役回りを心得ているように思えた。
絵描きさんは進行役。
話をまとめるのも上手い。
色違いの瞳は、朝日に輝いてとても美しくて、私はその魅力に幾度となく引き込まれた。
そして不思議に思った。
「絵描きさんはなぜここにいるのだろう?」
と。
ABARAYAの住人たちは、社会不適合者と呼ばれる人達で、それは私が勝手に考えていたのだけど、絵描きさんは、私の知る人間の中でも人格者に見えた。
その証拠に、絵描きさんが話を始めると、みんな熱心に耳を傾けていた。
作家さんもそうだ。
初めて提出した台本は、百ページに渡る文学的な内容で、とてもやれたものではなかった。
しかも、登場人物が五十人で、実演不可能な代物だった。
私を含めて、みんながどう発言したら良いのか悩んでいると。
「作家さん、もうちょっとレベルを引き下げられる? そうね、もっと簡単な筋書きみたいなものでいいの。幻想的で美しいもの…台詞とかは要らないわ。一人の女の子が一生忘れられない光景を作ってあげて」
と、絵描きさんはにこやかに言って、その言葉に作家さんは嫌な顔もせずに。
「了解した」
と、頷いただけだった。
私には、それが先生と生徒の関係に映ってしまった。
だから、絵描きさんがこの場所にいることは不自然だけど、その存在は大きくて、紳士やあこちゃんのいない今、大きな存在である事に違いはない。
精神的な支えだ。
二月の始め、あこちゃんからのビデオレターにみんなは歓喜した。
あの頃と同じ笑顔で笑ってくれているし、その傍らには紳士の姿も見える。
東京の大きな病院でしっかりと検査をしてくれているみたいだ。
あこちゃんはとても大きさなマスクをしていて、紳士もマスクをつけていた。
おしゃべり男が。
「まさか口裂け女になったんじゃないの?」
と、言うと、ジュディーさんが。
「年齢がばれるわよ!」
と、言った。
みんなは笑ったけど、ノートパソコンの画面に映るあこちゃんだけが不安そうな顔をしていた。
当然だけど、あこちゃんは口裂け女を知らなかった。
「マスクをつけすぎると口が裂けちゃうの?」
あこちゃんの発言も可笑しくて、みんなは大笑いしていた。
この頃になると、ショーの内容も役割分担も決まっていて、それぞれが与えられた仕事を一生懸命にこなしていた。
作家さんは台本の手直しや照明や音響の段取り。
舞台監督という重要な任務に、昼夜を問わず悩み苦しんだ。
それでもお掃除に手抜かりはなく、手すりや絨毯、壁や窓もいつもピカピカにしてくれていた。
この人は眠らないのかしら?
私はいつも思っていた。
照明と音響係はおしゃべり男と花屋さん。
おしゃべり男の。
「機材はお手のもの」
という言葉に偽りはなくて、私はほっとした。
花屋さんが気がかりだったけど、機器の取り扱いを一度聞いただけで記憶してしまう能力に、私は愕然としてしまった。
ショーのステージにあがるのはダンサーさんとジュディーさんで、音楽に合わせて何度も何度も稽古を積み重ねていった。
絵描きさんは美術監督。
大きなパネルに絵を描いてはやり直しの繰り返し。
その作業に専念している姿は、芸術家のようで素敵だった。
私は雑用を買って出た。
必要な備品をインターネットで購入したり、裁縫は苦手だったけど、簡単な衣装をこしらえたり、時には伝達係となってみんなの間を縦横無尽に駆け回った。
楽しかった。
心地よい疲労で、毎日熟睡できた。
特急電車に乗って目的地へ向かっている。
そんな感じだ。
二月の中頃。
ビデオレターが届いたけれど、そこにはあこちゃんの姿はなくて、紳士だけが映っていた。
場所は病室ではなくて屋上からだった。
曇天模様の下、小雪がちらついている。
雪を見たことのない花屋さんは大喜びして、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
みんなからも歓声が沸き起こったけれど、姿の見えないあこちゃんが気がかりなのは間違いないだろう。
時折の沈黙がそれを物語っている。
紳士がボイスレコーダーを取り出して、あこちゃんの声を聴かせてくれた。
みんなの気持ちを察してくれたのか、今ここにいないのは、別の病室で再検査をしているからと言っていた。
「みんなは…元気ですか…あこは、とても元気にしています…ちょっと…うん…ちょっとだけ…時間がかかってるけど…ちょっと…帰るのがおそくなっちゃうみたい…だけど…待っててね…春に…春くらいになったら…また会えるよ…それまでね…」
前よりも声は弱弱しかったけど、私達はあこちゃんの言葉を信じて、今まで通りの事を今まで通りに進めていった。
春になったら会えるんだ。
あこちゃんの驚いた顔、笑った顔、はにかんだり照れくさそうにしている姿、その隣で優しく語りかけてくれる紳士の声やしぐさ。
それだけ観れたら良いんだ。
私達の心は、ひとつになっていると思う。
そうであってほしい。
神様お願い。
素敵な春になりますように。
三月一日。
早朝にジュディーさんの声がホール中に響き渡った。
「みんな! あこちゃんね! 三月三日に帰ってくるって! たった今連絡あったわよ!」
中庭で絵描きさんのお手伝いをしていた私は。
「やった! 神様!」
と、叫んだ。
それを見た絵描きさんは満面の笑みで。
「今日と明日は、みんな眠れないからね」
と、私に抱きついて胸に顔を埋めた。
しばらくすると、じんわりと温かな感触がシャツ越しに伝わった。
絵描きさんの身体は小刻みに震えている。
私は思い切り、絵描きさんの丸くなった背中を引き寄せて言った。
「もうすぐショーが始まりますよ」
三月三日。
朝、みんなと食堂でクロックムッシュを頬張りながら最後の作戦を立てた。
あこちゃんの姿が見えたらすぐに行動を開始するのか、それとも時間をきっちりと決めるべきなのか。花束を誰が渡すのか。また、最後までもめていたショーのプロローグの音楽はバッハにすべきか、ウィルヘルミにするべきか否か…結局は多数決となってバッハに決定した。
決め手はチェンバロの音色だった。
ウィルヘルミを押していたジュディーさんはがっかりしていたけど、実は私もジュディーさんと同じ気もちだった。
「チェンバロの音色って針金っぽいんだもん…」
花束はあえて渡さない事になった。
その代わり、目いっぱいのお花を心に焼き付けてあげるんだ。
時間は夕方四時。
そのあとはみんなで楽しいディナータイム。
きっと笑い声が絶えない時間になるはずだ。
メニューは、あこちゃんが大好きなビーフシチューと山菜のカクテルサラダ。それに、お手製のロールパンと、ふわふわミルクのカフェラッテ。
一本の電話があって、私達はホテル前であこちゃん達を出迎えた。
マイクロバスから紳士に支えられるようにして降りて来たあこちゃんを見て、みんなは言葉を失った。
大きなマスクをしていても、前よりも瘠せてしまっているのがわかる。
肌の色もくすんだ感じで、何よりも車いすがないと歩けなくなっていた。
それが衝撃だった。
知らない男の人と若い女の人もいた。
紳士はあこちゃんの面倒を一緒に見てくれる人って言ってたけど、私達はその二人がお医者さんだという事を瞬時に悟ってしまった。
誰もそれには触れないでいたけど―。
重たい雰囲気を打ち消してくれたのはあこちゃんだった。
「ジュディーさん、今日のご飯はなあに?」
ハッキリと聞き取れた声に、私は少し安心した。
前よりかは回復に向かっているみたいだ。
ジュディーさんが一瞬考えたあとで。
「ビーフシチューよ」
と言うと、あこちゃんは。
「わぁい」
と、目を輝かせて喜んでいた。
紳士もみんなも、そして先生たちも笑った。
「夕方四時に、外れ劇場前に集まるようにね」
と、絵描きさんが告げると、あこちゃんの瞳は一層輝いて見えた。
私達はそれを見て奮い立った。
一生心に残る光景を、美しい夢の世界を見せてあげるんだって―。
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