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――そこで目が覚め、グウェンダルは飛び起きた。
「ただの夢だったのか……?」
絶望感がじんわりと襲ってくる。
それでももしかしたら、という希望が捨てられない。
祈るような気持ちで隣で眠っているはずのメリーティアを見ると、その胸に光り輝く蝶がとまっていた。
「……っ!」
急いで手を伸ばすが、まるでメリーティアに溶け込むようにして瞬きのうちに消えてしまった。
掛け布をめくってみてもそこにはもう何もなく、夢幻だったのかと落胆する。
何とはなしに、蝶がとまっていたはずの胸に手を当てた。
相変わらず心臓は脈打っていて、一安心する。
けれどあの夢が抱かせた希望は、いざ現実に戻されると、グウェンダルの疲弊しきった心を引き裂くにはじゅうぶんだった。
やせ細った手を握り、彼女の胸に額を押しつける。
「…………メリーティア……っ」
そのとき、かすかに手を握り返されるような反応があった。
グウェンダルは勢いよく身体を起こし、メリーティアを見下ろす。
眠っていたはずの彼女の眉がわずかに寄り、半開きになった唇から小さなうめき声が漏れた気がした。
「メリーティア? メリーティア……!」
あの夢は、やはりただの夢ではなかったのだ。ニルスがメリーティアの『心のひとかけら』だと言ったあの蝶も、決して幻などではなかった。
必死で呼びかけるとメリーティアの睫毛が震え、やがて億劫そうに瞼が開かれる。
虚空を見つめてばかりだった瞳が、今はしっかりとグウェンダルを見ているのがわかった。
「メリーティア、戻ってきたのか? 私がわかるか?」
震えそうになる声でさらに呼びかけ続けるが、メリーティアはまだぼうっとした様子だ。
「…………あなたは、……だれ?」
「――!」
約二年ぶりに声を聞いた。
しかし感動で打ち震える間もなく、掠れた声で紡がれた残酷な言葉に息を詰める。
怯むグウェンダルへ、メリーティアが両手を伸ばしてきた。
筋肉の衰えた腕は、少し上げるだけでも一苦労のようだ。
そろそろと伸ばされる手に近づくと、頬を包み込まれる。
彼女が自分の意思で動くところを見るのはとてもひさしぶりで、先ほどの言葉など大したことがないように思えた。
もし本当にメリーティアが自分を覚えていないとしても、彼女の心が戻ってきた奇跡に比べると非常に些末なことだ。
されるがまま、柔らかい指先に顔を撫で回される。
メリーティアは、なぜか無邪気な笑顔を浮かべていた。子どもの頃によく見せたような、愛らしい無垢な笑みだ。
記憶をなくしても、メリーティアの心はたしかにここにある。
「……あなた、最初は怖そうな人だと思ったけれど……すごくかっこいいのね」
起き抜けの力のない声なのに、この状況にそぐわない言葉のせいか、はっきりとグウェンダルの耳に届いた。
メリーティアはグウェンダルの顔を両手で包み込んで、花が綻ぶように笑っている。
「なまえは、なんていうの?」
「グウェンダル……グウェンダル・ホールトンだ」
メリーティアは確かめるようにその名を何度か呟いたあと、恥ずかしそうに頬を赤らめた。
一度睫毛を伏せたあと、そっと窺うように見上げてくる。
「どうしましょう……わたし、あなたに恋をしてしまいそうだわ」
「――っ、メリーティア」
それは、遠い昔にも言われた覚えがあるかわいい告白だった。
記憶がなくてもいい。自分のことを覚えていなくてもいい。
ふたたび一から始めればいいのだ。メリーティアがまたグウェンダルに恋をしてくれたように。
「私は君をとっくに愛している」
笑みを浮かべたグウェンダルの目から、涙が一筋こぼれていく。
メリーティアは驚いた様子を見せたあと、うれしそうに目尻を下げた。
*
心を取り戻したメリーティアは、まずは筋力と体力の回復に努めなければならなかった。
ほぼ二年を寝たきりで過ごしたせいで、身体はひどく衰えている。
それでも彼女のたゆまぬ努力とグウェンダルの献身的な支えもあり、半月もすればひとりで歩けるまでに回復した。
時が流れるにつれてだんだんと記憶も取り戻していき、自分のことやグウェンダルのことも思い出していった――が、メリーティアの記憶は婚約をした頃でぷつりと途切れていた。
それ以降のことは、どれだけ時間が過ぎても思い出す様子はなかった。
きっと、ニルスが持っていたあの球体に閉じ込められたままなのだろう。
おそらくニルスは、メリーティアがその記憶を取り戻す必要はないと考えているのだ。
つらかった気持ちも、苦しみも、彼女を傷つけるものすべてを自分が持っていくことにしたに違いない。
あの神はメリーティアを大事に思っているようだったから、また長い時間をかけて黒い靄を癒やすのだろう。
グウェンダルもそれでいいと判断し、無理に記憶を呼び起こさせるようなことはしなかった。
メリーティアが復讐を決意した惨たらしい出来事も、復讐をするうえで心をすり減らした日々のことも、忘れたままでいるほうがいいのだ。
無邪気に笑っているメリーティアを見ていると、そう強く思わされる。
メリーティアがすっかり元気になった頃に、彼女の家族が会いに来てくれた。
ユージーンの治めるヴェドニア帝国は平穏そのもので、一連の騒動はすでに風化しているらしい。
帝国に戻ることも提案されたが、メリーティアは聖国ハイネで暮らすことを選んだ。
彼女の希望で居住地区をニルスの神殿がある場所に移し、やがてグウェンダルは試験を受けて戦の神の聖騎士となった。
ニルス神の加護のもと、ふたりは四男二女の子宝に恵まれ、生涯幸せに暮らしたのだった。
おわり
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