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ゆずき
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偶然詩乃を見かけたのは、外出先からの帰り道だった。遠目でもすぐにそれと分かるくらい、俺たちの付き合いは長い。
彼女は俺よりだいぶ先を歩いていた。手には白いビニール袋を下げている。どこかで買い物をしてきたようだ。
詩乃に声をかけようと思い、俺は歩調を速めた。
だが、俺が口を開くよりも先に、詩乃はとあるアパートの敷地内に入って行ってしまった。
「友達の家にでも遊びに来たのか」
そうであれば俺はこのまま帰ることにしようと、いったん緩めた歩調を元に戻した。歩き出したついでに何気なく建物を見上げたが、二階の通路を歩く詩乃の姿が目に入った。
その背中がどこか緊張して見える。訪問しようとしている相手は、そんなに気の張る人物なのだろうかと不思議に思った。
いったいどんな友人、あるいは知人なのか。ここから見えるようならば、確かめてから帰ろうと考えて、俺は近くの電柱の影に身を寄せた。そこから詩乃の様子を窺うことにしたのだ。
部屋のドアが開いたのは、詩乃が二度目のチャイムのボタンを押した後だった。そこから顔をのぞかせたのは男だった。
それを見た途端、俺は動揺した。必死に目を凝らし、男の顔を認めて、ますます落ち着きを失くす。俺が記憶しているよりも痩せて見えるその男は、戸崎だった。
詩乃を見た彼は驚いたように両目をむき、次の瞬間、彼女を玄関の内に引っ張り込んだ。
「詩乃……っ」
彼女が無理に引きずり込まれたように見えて、俺は駆け出そうとした。しかしすぐに思いとどまる。いくらなんでも、柚乃の妹である詩乃に、戸崎が危害を加えるはずはない。
ひとまず冷静にならなければと呼吸を整えていたが、もしかして二人は付き合っていたりするのだろうかと、ふと、そんな疑念を抱く。
詩乃は戸崎に恋していた。彼には柚乃がいたから、詩乃は戸崎への想いを胸に秘めていた。けれど、柚乃が死んで、詩乃が戸崎への恋を秘め続けなければならない理由はなくなった。
しかし、戸崎は、柚乃を心から愛していた。俺にはそう見えていた。その彼が、柚乃が死んでまだ半年ほどしかたっていないのに、次の相手として詩乃を選び、付き合い出したとは思えない。
ドア向こうにいるはずの詩乃と戸崎の様子が気になって、落ち着かない。どうせこの後急ぐ用事はない。詩乃が出てくるのを待つことにして、俺は再び電柱の傍に戻った。
どれくらいの時間、そこにそうしていただろう。
軽い靴音が聞こえて来て、はっとして目を向けた先に、詩乃がいた。
彼女はそこに立ち、アパートの二階の一室を静かに眺めていた。
その横顔は悲しそうに歪んでいた。頬が濡れているように見えるのは、泣いているからなのか。今は風がないのに、いつも綺麗に整えているはずの髪は乱れていた。
電柱の陰から出た俺は、ゆっくりとした足取りで詩乃に近づいて行き、そっと声をかける。
「詩乃」
その時すでに歩き出していた詩乃は、俺の声に肩をびくっと震わせて足を止めた。顔を手で拭うような仕草をしながら、彼女はのろのろと振り返った。その目元は僅かに赤らんでいた。
「何か、あったのか」
心配のあまり、つい口調が険しくなってしまった。
「何もないよ。それより、どうして碧斗がここにいるの?」
詩乃は目を伏せたまま、口元をぎこちなく動かした。そこには、明らかに無理に作ったと分かる笑みが浮かんでいた。
視線を合わせようとしない詩乃を俺はじっと見つめる。
「出て来るところが見えたから、それで待ってた」
実はそれよりもっと前からここにいたことは、内緒にしておく。
「ここって、戸崎さんのアパートだよな。あの人に会いに来たのか?それで、何か言われたりしたのか?泣いた後みたいな顔してるぞ」
「な、何もないし、何も言われたりしてないよ。泣いてだっていないんだから」
動揺しているのが分かる早口で言い、詩乃は顔を背けた。
その時、彼女のワンピースの衿が見えた。その一部が内側に折れている。柚乃もそうだったが、詩乃も普段から身だしなみに気を配っているはずだ。戸崎の部屋に入ってから出てくるまでの間に、いったい何があったのか。髪の乱れも、不自然な状態の衿も、気になって仕方がない。最悪の想像が頭の中をよぎりかけた。けれど今追及したところで、詩乃はきっと答えない。
俺の視線に気がついて、詩乃はひどく慌てた様子で首元に手をやった。指で襟に触れながら、固い表情で告げる。
「私、もう行くね」
詩乃にしては珍しくぶっきらぼうな口調だった。
俺はすでに歩き始めていた彼女を引き留める。
「詩乃、待てよ。帰るんなら送ってく。同じ方向だし」
しかし詩乃は足を止めない。
「ごめん、一人で帰る。少し、公園に寄って行きたいから」
「それなら、俺も一緒に行く」
「お願いだから、着いてこないで。一人にして」
詩乃はさらに足を速めたが、俺はあっという間に彼女の隣に並ぶ。
「もう……。どうして着いてくるのよ」
詩乃は前を向いたまま呆れたようにぼやく。
「だって、お前」
好きな子の様子がおかしいのに、一人にできるわけないだろ――。
そうは言えない俺は、言い回しを変える。
「泣いていたかもしれない詩乃を一人にできるわけないだろ。理由は聞かないよ。だいたいさ、この状況で詩乃を一人にしたら、柚乃に怒られる」
あえて軽い口調で言いながら、俺は詩乃の頭の上に軽くぽんと手を乗せた。
諦めたような彼女のため息が聞こえた。
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