吐息は白く、寒空に溶けてゆく。隣の春華は、ゼエゼエと肩で息をしながら歩いている。ずっと病院にいた春華にこの距離は、さすがに厳しかったのだろう。考えの足りなかった自分を責める。
「もうすぐだから、頑張れ。」
なんの助けにもならない言葉をかけて、前に向き直る。眼前には目的地の向日葵モールが建っている。最近建てられた、この地域最大の大型商業施設。家族やカップルにも人気のこの施設には、映画館からフードコートまで幅広い娯楽が充実している。それを見上げて春華の蒼白だった顔に赤みが差す。
「あともう少し、頑張ろう。」
額についた汗を拭い、春華は笑う。そんな春華に僕は微笑みを返すと、僕たちは歩き出す。
春華の顔が喜びに溢れる。三階建てのモール内に広がる多種多様な店に目を奪われ、心が躍る。春華はすぐに自分の気になった店に向かって走り出すので追いかけるだけでも一苦労だ。しかし、どれほど大変でも子供のように無邪気な様子を見せる彼女を見て、どうでもよくなってしまう。
「ねえ、あっちも行ってみようよ!」
そう言って春華は僕の返事も待たずに行ってしまう。彼女を追って入った店は、僕には似合わないオシャレな洋服屋だった。その中央で春華は一つのマネキンを見つめて動かない。僕は春華の隣に立つとマネキンを見る。そのマネキンは薄い水色のワンピースを身に纏っていた。スカートの部分に縫われた白いフリルや、胸元につけられたリボンがなんとも可愛らしかった。僕は横目で春華を見る。春華はただ、このワンピースに見惚れているらしかった。その横顔がなんだか愛おしくなって、恥ずかしくなって目を逸らす。そうしているとどこからか店員が近づいて来ていた。
「お客様、もしよろしければご試着されますか?きっとお似合いだと思いますよ。」
ふっくらとした柔らかい雰囲気の女性店員が言った。その言葉に我に返った春華が満面の笑みを作る。笑顔で答えて、試着室に消えていった春華を待つ。さすがに時間がかかり過ぎている気がする。様子を見に行こうと僕が立ち上がった時、後ろから声がした。振り向くと、顔を赤らめ、恥ずかしそうな春華が立っていた。水色のワンピースは、マネキンが着ていた時には大人の女性が着る夏衣装のようだったのに、春華が着ると夏の昼下がり、日差しの中で走り回る元気な少女のようなイメージを受ける。中学生には見えない大人びた顔も、年相応の女の子の顔に見えた。長い黒髪を見ると、どこかいつもと違う様子があった。聞いてみると、イメージチェンジと言われて店員にヘアクリップをつけられたらしい。白いリボンのついたヘアクリップは、彼女の新しい一面を引き出していて、端役として最大限の働きをしていた。
「こんな服、着たことないからさ、変だったりしない?大丈夫かな?」
頬をかき、少し不安げに言う春華に思わず呟く。
「可愛い……。」
春華の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。僕は思わず口を押さえる。それだけじゃ同じように赤く染まった僕の顔を隠せないためそっぽを向く。どこからか先ほどの店員のものと思われる視線を感じるが気にしない。横目で春華の方を少し確認すると、赤い顔を隠すように俯いていた。焦って僕は考えなしに口を動かす。
「あ、いや、なんと言うかいつもと違う一面が見れて新鮮というか、その、似合ってる、と、思う。」
ここまで言って僕はなんにも取り繕えてない事に気づく。むしろ火に油を注いでしまったかもしれない。春華がゆっくりと顔をあげる。初めて見るような本気で照れた表情だった。
「……ありがとう。」
それだけ言うと春華はそっぽを向いた。やらかしてしまったかもしれない。焦って早口だったし、気持ち悪かったかもしれない。そんな不安を帳消しにするほど、春華の言葉は僕の心へ効果覿面だった。春華はこのワンピースが気に入ったらしくそのまま購入し店を出る。2人で歩いているのに、なんとも言えぬような気まずさが間に流れる。ふとモール内の大きな電子時計を見上げる。昼前だった。この気まずさを取り繕うため、僕はなるべく明るい調子で言う。
「ねえ春華、フードコートに行かない?」
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