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上目遣いで顔色を窺う橋本の視線に気がつき、宮本はすっと顎を引く。
「妬いちゃ駄目ですか?」
「いや……。俺がおまえの立場だったら、同じように妬くと思うし」
「そんな些細なことで不安定になる、俺からのプロポーズは受けられないのでしょうか?」
告げられたセリフを聞きくなり、素早く首を横に振ってみせた。
「そんなことねぇって。ただ、相手が俺でいいのかなと思ってさ」
「陽さん以外ありえないです。というか、俺でいいのでしょうか?」
「自分からプロポーズしておいて、それはないだろ」
見るからに不安そうな表情で告げた宮本の言葉を聞くなり、橋本は盛大に笑った。
「雅輝、覚えてるか? ご褒美のこと」
「ご褒美ってキョウスケさんたちに逢う前に、頑張って落ち着かせたヤツですよね?」
「そう、それ。今からイチャイチャしてやろうか」
「あとにしてくれませんか。今はそれどころじゃないので」
視線を縫い付けるように橋本を見つめる宮本の眼差しから、誤魔化すことができないことを瞬時に理解した。
「本当に、面倒くさい男だな……」
「すみません」
「おまえのことじゃねぇよ、俺自身のことさ」
橋本は困惑を示した目つきで宮本を見つめ返し、小さなため息を吐いた。
「雅輝の真剣な気持ちに向き合いたいって思ってるのに、もうひとりの俺がそれを阻むんだ。もっと現実を見ろってな」
「現実?」
「ああ。付き合うことに関してはふたりの問題だけどさ、結婚となるとそうはいかないだろ。おまえの場合、弟が親に挨拶したのを見てるから、大体わかってるだろうけど」
淡々と語る言葉に宮本は瞼を伏せて、橋本から注がれる視線を外した。
「わかってますよ、嫌というくらいに。だけど俺は……せっかく好きになった運命の人を、どうしても諦めたくないんですっ」
「運命の人なんて大げさな。もしかしたらこのあと、もっといいヤツが現れるかもしれないだろ」
「陽さんは俺を捨てて、もっといいヤツと付き合うんですか?」
冗談めかした橋本のセリフを聞き、宮本は伏せていた瞼を上げながら即座に返事をした。
「落ち着けって、これはたとえ話だ。それにどんなヤツが現れても、おまえ以外の男と付き合うつもりはない、安心しろ。ただな――」
語尾にいくにしたがって、橋本の声のトーンがどんどん落ちてしまう。
「はい……」
「雅輝、おまえはまだ若い。俺にはもったいないくらい、いい男だと思う。俺のような30過ぎの中年に引っかかってるよりも、男女問わずに若くていいヤツがいるかもしれないだろ」
「陽さんは俺が嫌いなの? 結婚したくないから、俺が困るようなそんなことを言ってるんでしょ?」
「違うんだ。俺がこのまま歳を食って、どうしようもない男に成り下がったとき、おまえに見限られるのがすっげぇ怖いだけ……」
そんなことに怯える自分が情けないと思う上に、捨てられてひとりきりになったときのことを考えたら、どうしようもない不安に苛まれてしまうことが容易に想像ついた。
「俺はどんなことがあっても、見捨てたりしません。陽さんをはじめて抱いたあのときに、この人とずっと一緒にいなきゃって決心したんです」
「雅輝……」
宮本は小さな呟きに反応するように、橋本の左手を両手で握りしめた。
「陽さんを抱いたから、結婚という形で責任を取るんじゃない。責任を取りたいから抱いたんです」
「知ってる。おまえの責任感の強さがわかっていたから、俺は進んで自分を提供したんだ」
橋本は握りしめられる左手から、じわりと伝わってくる宮本の温もりを感じつつ、その片手を強く握り返した。
「さすがですね。やっぱり陽さんには敵わないな」
自分の気持ちを吐露しながら、くしゃっと破顔した宮本の表情から、やるせない感情が見え隠れした。口角を上げて笑っているのに、橋本を見つめる瞳が一切笑っていなくて、心の不安定さを示すようにゆらゆら揺らめく。
(目は口ほどに物を言うっていうのは、本当だよな――)
「雅輝、聞いてくれ。俺はおまえとの付き合いを、真剣に考えてる。雅輝が好きだから。これは俺の本心だ」
「うん――」
「ただ結婚となると、話は別だと思う。おまえの実家に挨拶した、弟のこともあるだろ。ショックを受けてるところに俺が顔を出したりしたら、ご両親の心の傷が――」
「ちょっと待って! 佑輝や親のことがどうでもいいわけじゃないけど、今は陽さんの気持ちが知りたい。俺と結婚したくないの?」
「なんで、そんなに結婚にこだわってるんだ。おかしいぞ、おまえ!」
宮本の怒気に負けない大きな声で返事をした途端に、両手で包み込まれていた左手が離されてしまった。すると橋本が掴んでる宮本の右手が露になり、縋りついているようなそれをふたりで黙ったまま見つめた。
「ごめんね……。俺また、ひとりで突っ走っちゃったみたいだね。別に、結婚にこだわってるつもりはなかったんだけど」
掴んでいる宮本の右手は開かれた状態で、橋本の手を握ろうとはしなかった。
「そうさせてる原因を、俺が作ってるのかもしれない。すまなかったな」
「陽さんが謝ることはないって。悪いのは俺なんだ。好きになったら相手の全部が欲しくなって、焦って空回りする悪い癖があるから。そのせいで前回の恋愛も駄目になったのに、また同じことをしてる……」
「不安なのはおまえだけじゃねぇよ。俺だって同じだ」
橋本は掴んでいた宮本の右手を解放した。力なく膝の上に置かれるそれを見ながら、必死に言の葉を繋げる。
「おまえが和臣くんを乗せて峠を下っている間に、恭介と話をしたんだ。『宮本さんってば人当たりがすごく良さそうだから、今後モテちゃうことだってあるかもしれない』って、説得力を交えながら恭介が言ったんだぞ」
「人当たりが良くても、俺はモテたりしませんよ」
「そんなことねぇと思う。わかるヤツが見たら、おまえの良さは伝わる。あのイケメンの恭介が褒めたくらいだからな」
「…………」
宮本を褒める橋本のセリフを聞いても、顔色が一向にすぐれないままだった。
「雅輝が不安なように、俺だって不安だってことを覚えておいて欲しい。できることならおまえをどこかに閉じ込めて、誰の目にも触れさせたくないくらいなんだぞ」
「陽さんが現実的には無理な話をするとは、全然思わなかった……」
「だって、おまえを誰にも取られたくない」
放されてしまった手と離れて座っているふたりの距離感が、まるで心の距離のように思えてならない。橋本が少しだけ腰を上げてその距離を詰めたら、静まり返る室内にソファの軋んだ音が響いた。
「陽さんは我儘ですよね。俺のことを誰にも取られたくないって言ってるのに、結婚するのは嫌がって」
ふいっと背けられる宮本の横顔が、詰めた距離を遠のかせた気がした。
「嫌がってるわけじゃねぇよ。そうじゃなく、結婚は一生モノなんだぞ。普通は慎重になるだろ?」
「ああ、そうか。陽さんはまだ遊びたいから、俺に縛られるのが嫌なんですよね」
「違うって! 俺みたいなのが、おまえの相手でいいのかと思ったんだ」
「俺は陽さんじゃなきゃ駄目だ! 陽さんしかいらない。陽さんだって同じ気持ちでいるのに、どうして躊躇するんですか?」
鼓膜に突き刺さるくらいの大きな声を出した宮本をどうしても直視できなくて、橋本は俯いたまま呟くように心のうちを口にする。
「……俺はおまえを、幸せにできるんだろうか」
自分のおかれている身の上や、その他諸々引っくるめたら、それらが不安材料にしかならなくて、大好きなヤツを幸せにする自信がなかった。
「そんなこと知りませんよ。もういいですっ」
不機嫌を表す感じで唇を尖らせた宮本はガバッと立ち上がり、橋本の目の前を通り過ぎて、そのままマンションを出て行ってしまった。
「雅輝……」
いつもの橋本ならすかさず追いかけて、恋人を宥めすかして説得している場面だというのに、ソファから腰をあげるどころか、頭の中が真っ白になってしまい、引き止める言葉すら浮かばなかったのである。