テラーノベル
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シズちゃんの深いため息とともにスマホの通知が跳ねる。
優子:『シズ、無事?あの後、画面が真っ暗になったけど……』
優子:『例の彼に消されたりしてない?』
シズカ:『私も彼も無事です。心配かけて申し訳ございません……。』
シズカ:『映りこんだタンクトップ男とマイクが拾ってしまった低音の話し声は彼です。』
シズカ:『発砲音っぽい音は彼がスナック菓子の袋を開けた音です。』
シズカ:『紛らわしくて申し訳ございません。』
天利「……本当にごめん……誤魔化せそ?」
キッチンの隅でしおしおと肩を落とした俺は、自分が派手に開けた『スコーン(バーベキュー味)』の袋を、せめてもの償いにと律儀にクリップで留めていた。
シズカ「連絡してきた上司は、私が“公にできない職業の人”と交際している事情は察してくださっていますし、その方自身も思うところがあるようで、上手く誤魔化してくださるそうです。
会議のメンバーには『彼のルーツが海外で少しワイルドなだけ』『一瞬見えた模様は腕に入れているタトゥー』と説明してくださるそうですわ。
……でも天利さん、次はありませんわよ?」
俺はおずおずと深く頷いたが、「海外育ちのワイルドなおじさん」という、実態とかけ離れた新機軸の称号に戸惑いを隠せなかった。
シズカ「……天利さん、お昼ご飯まだですよね?
先程作った夏野菜のラタトゥイユがまだ残ってるんですがそのまま召し上がるのとそうめんにかけて召し上がるのどちらがいいですか?」
天利「じゃあ、そうめんにかける方で……」
シズカ「かしこまりました」
ラタトゥイユそうめんで腹を満たした数時間後。
シズちゃんがパントリーから取り出してきたのは、いつの間に買い揃えたのか、アンティーク調の可憐な花々が描かれたティーセットとカトラリー。
そして、リビングに鎮座したのは、ティーセットと揃いの3段重ねのスタンドだった。
天利「(……。これが、本物の『スコーン』がある風景か……)」
1段目には、耳を切り落とした美しく整列するサンドイッチとサーモンのカナッペ。
サンドイッチの中身はなんと、薄切りのきゅうりだ。
2段目には、焼き立ての香ばしい匂いを放つ、ゴツゴツとした黄金色のイングリッシュスコーン。
3段目には、色鮮やかなマカロンが並んでいる。
シズカ「お待たせいたしました、天利さん。
こちらが『ハイティー』を兼ねた、本日のお詫びと仕切り直しのアフタヌーンティーですわ」
シズちゃんは、スナック菓子の袋を開けた時とは別人のような、凛とした所作で紅茶を注ぐ。
俺はといえば、背筋を伸ばしすぎて逆に腰が痛み始めていた。
天利「(……まずい。どうやって食べるのが正解なんだ?
このきゅうりだけのサンドイッチ、もしかして罠か?
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それとも何かの儀式か?)」
俺の知る「きゅうり」は、居酒屋で味噌をつけてバリバリ食うか、板ずりして浅漬けにするものだ。
こんなに薄く、芸術的にパンに挟まれた姿は見たことがない。
シズカ「どうぞ、召し上がれ」
天利「あ、ああ……いただきます」
俺は、震える手で1番下の皿からきゅうりのサンドイッチを1つ手に取る。
不器用な指先が、可憐なパンを潰してしまわないよう、まるで不発弾を扱うような慎重さで口へ運ぶ。
天利「(……美味い。驚くほど上品だ。
バターの香りと、きゅうりの清涼感……。
これが『貴族』の味か……)」
シズカ「お味はいかが? 天利さん。
……驚かれたでしょう、『きゅうりだけ』なんて」
天利「……ああ。正直、もっと肉とか、派手な具が入ってるもんかと思ってた。
でも、これ……不思議と贅沢な味がするね」
シズカ「ふふ、そう感じていただけたなら正解ですわ。
実はアフタヌーンティーにおいて、この『きゅうりのサンドイッチ』こそが、最も贅沢な1品とされていた時代があるんですのよ」
天利「きゅうりが、贅沢?
……スーパーで3本100円とかで売ってる、あのきゅうりがか?」
シズカ「ええ。舞台は19世紀のイギリスですわ。
当時のイギリスでは、広大な領地と、温室を維持できるだけの財力がある貴族階級だけが、新鮮なきゅうりを1年中育てることができましたの。
つまり、中身が質素であればあるほど、『うちは栄養を摂るための食事など必要ない、ただ純粋に風味を楽しむためだけに新鮮な野菜を用意できる身分なのだ』という、最高級のステータスシンボルだったんです」
天利「……。栄養じゃなくて、余裕を食ってるってことか。
……深いな」
シズカ「左様ですわ。
パンを指の形が透けるほど薄く切るのも、労働者階級のような『腹持ち』を重視していない証。
……ですので、天利さん。貴方が今それを召し上がっているということは、このお城の立派な『主』である証拠ですのよ」
天利「(俺が『余裕』を食う身分ねぇ……)」
俺は、自分の大きな手に収まったあまりに軽いサンドイッチを眺め、少しだけ背筋を伸ばした。
もう1つのサーモンのカナッペはスモーキーな香りとともに爽やかな酸味が口内に広がる。
天利「これ、サワークリーム?」
シズカ「はい、せっかく天利さんが用意してくださったので活用させていただきました」
天利「(実際に用意したのは組員だけどね……)」
続いて、本命のスコーンへ。
横に添えられた白いクリームとイチゴジャム。
天利「(これがプロテクト……じゃなくてクロテッドクリームか……。
……さっきまで全部『生クリーム』の親戚だと思ってた)」
俺はこれらをどう塗るべきか、シズちゃんの視線を盗み見ながら長考に入る。
天利「(……。縦に割るのか?それともそのままかじるのか?
もしここで粉をこぼしたら、彼女の聖域であるこのテーブルが汚れる……)」
緊張のあまり、俺は一口ごとに紅茶で喉を潤すが、そのカップを持つ小指が変に立ってしまうのを自分でも止められない。
シズカ「天利さん、小指、寝かせてくださいまし」
「マナー違反ですよ」とクスクス笑いながら優しく両手で包み込んで直してくれる。
シズカ「ふふ、天利さん。
そんなに強張らなくて大丈夫ですよ。
……毒は入っておりませんもの」
天利「……。いや、あまりに綺麗だからさ。
……俺みたいな、スナック菓子のバーベキュー味で満足してるような男が、こんな場所に座ってていいのかなって」
シズカ「何をおっしゃいますの。
私と一緒にこの『お城』に住んでいるのは、天利さん、貴方ですわよ?」
そう言って微笑む彼女の姿は、このティーセットよりもずっと眩しかった。
シズカ「『紅茶』が先か『ミルク』が先か、『クロテッドクリーム』が先か『ジャム』が先かはイギリスでも論争が起きる永遠に結論が出ないであろう話題です。
個人的には紅茶とミルクの順はその時の気分次第、クロテッドクリームとジャムはデボン州のスタイル、クロテッドクリームが先派を支持しますわ。
ですが、天利さんには是非両方試していただいて場合によっては不毛で楽しい議論を繰り広げたいですわ」
天利「わ、わかった……」
俺は意を決して、スコーンを2つに割り、クリーム、ジャムの順にたっぷり乗せた。
天利「(……デボンはクリームが先、デボンは先……。
……よし、マナーは後で調べるとして、今は、この甘くて温かい時間を噛み締めよう)」
嵐のようなWeb会議の騒動が、遠い過去のことのように思えるほど、リビングには静かで贅沢な時間が流れていった。
シズカ「……天利さん、来月、私の実家に顔を出せませんか?
父が、ギプスが取れたお祝いに、今度こそ『ちゃんとした』食事を一緒にしたいと申しておりまして」
天利「……!喜んで。
今度はドスも警察も抜きで伺うよ」
俺は、最後の一口の紅茶を飲み干し、ようやく深く息を吐いた。
シズカ「おかわりいかがですか?」
天利「ああ、いただこうかな?
今度は……ミルクが先のミルクティーで」
シズカ「うふふ」
次なる戦場は、再びあの「組長」との食卓。
だが、このスコーンで培った精神力があれば、どんな「ちゃんとした食事」でも乗り越えられる気がした……かもしれない。
天利「(次は『余裕』ではなく『特大のお造りや肉』を食わされる予感)」
コメント
1件
あー、もうめっちゃ良かった…!🥺💕 最初のWeb会議の騒動がまさかのスナック菓子だったっていうオチも笑ったけど、その後のアフタヌーンティーの描写が丁寧で、すごく贅沢な気持ちになったよ。 特に「きゅうりのサンドイッチが一番の贅沢」っていうシズちゃんの解説、なるほどな〜って思った。スコーンを前に緊張してる天利さんも可愛くて、2人の空気感がじんわり温かい😌🍵 次は実家か…また波乱の予感がするけど、それも楽しみ!