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「あれは、四年くらい前だったかなぁ。彼女の友達はS市に住んでたんだけど、その子が久しぶりに遊びに来ることになったんだ。で、その子の彼氏も一緒に来るからっていうんで、四人で飲もうっていう話になった。俺は半強制的に連れて行かれたんだけどね。その時に、S市にある会計事務所で働いているって、そいつが言っていたと思う。で、二人が別れた話を彼女から聞いたのは、その飲み会からしばらくたってからだった」
清水は気づかわし気な目で私を見る。
「彼女がこっそり教えてくれた、二人の別れの理由は『束縛』だった。それだけじゃない。その男にとって何か気に食わないことがあった時には、彼女に対して色々とひどいことをしていたらしい。細かいことを全部聞いたわけじゃなかったけど、その時印象に残った一つが、行為中に痕が残るくらい体中を噛んだりするってやつだ」
清水の顔が嫌悪で歪む。梨都子に至っては、もしも本人が目の前にいたら殴りかかっているんじゃないかと思えるほど、物騒な顔をしていた。
「そんな風に扱われたんじゃ、大事にされてるとは到底思えないよな。別れたくなるだろ。その子は男とのことがトラウマになってしまって、一時期心を病んでしまったらしい」
私はごくりと生唾を飲み込んだ。清水の話の「その子」と自分が重なる。
「その話には続きがあってね。実は彼女、男の会社の取引先の、お偉いさんの娘さんだったそうだ。娘が心を病んだのはその男が原因だっていうんで、親御さんが激怒した。色々あって、結果的に会社に迷惑をかけた形になったらしい。当然居ずらくなるよな。男は会社をやめたって話だった」
清水はそこでふっと息をつき、グラスに手を伸ばして喉を湿らせた。
今の話が事実なら、太田はその後うちの会社に転職してきたことになる。そのトラブル話がなぜ伝わってこなかったのか気になるが、違う業界からの、また、他県からの転職だったために、会社としてもそこまでは情報収集できなかったのかもしれない。
「碧ちゃんが付き合っていた男は、恐らくそいつで間違いないだろう。あの時の俺の感覚は、やっぱり間違いじゃなかったんだな」
清水は真顔で私を見る。
「だから別れ話の決着を待たずに離れることを決めたのなら、それは正しい選択だと思うよ」
彼は言って今度は拓真に向き直った。
「その男、執着心もなかなか強いみたいですけど、北川さんはこの後のこと、何か考えてます?相手が諦めてくれれば問題ないんでしょうけど、どうもそういうタイプには思えないしね」
「そうですね……。ひとまず部屋は移ろうということで、今回池上さんにお願いすることになったのは対策の一つなんですが、問題は会社ですよね。顔を合わせないわけにはいかない。ただ、今すぐというわけにはいきませんけど、それについては少し考えていることがあるんです。一つ心配があるとすれば、碧ちゃんが『うん』と言ってくれるかどうか、ですかね」
怪訝に思いながら拓真を見る。昨夜の彼は「方法を考えよう」と言ってくれただけだった。しかし実はその時にはもう、何らかの案を思いついていたのだろうか。
「詳しいことは今聞きませんけど、碧ちゃんって、意外に頑固な所がありますからね。それはその時にでも説得するということで、頑張ってください。それから、相手があまりにもしつこいようなら、例えばですけど、色々と証拠を揃えれば、警察辺りも動いてくれたりするんじゃないですかね。警察が難しいなら、訴えるって方法はどうだろう。刑事としては無理でも民事として、とかね。あとはほら、なんて言いましたかね。ストーカー被害にあった時の、接近禁止令とかいうやつ?なんにせよ、もしもそういう法的なことも考えるのであれば、俺、協力しますよ。弁護士の伝手もちょこっとあるんで、必要なら紹介もできますからその時は言ってください」
拓真は驚いた顔をし、清水に礼を言う。
「色々と考えて下さってありがとうございます。何かの時には、ぜひよろしくお願いします」
「言わずもがな、ですよ。俺、碧ちゃんのことは妹みたいに思ってるんですよ。だからね、この子がそんな目に遭ってたことに、どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろうって、不甲斐なくてさ。最初に話を聞いた時にはすでに違和感があったのに、って後悔してるんですよ」
清水がしみじみと言う傍で、梨都子もまた深々とため息をつく。
「私だってそうよ。碧ちゃんに彼氏ができたってことばかりに目が行っちゃって、全然気づかなかったわ。ここに足が遠のいた時に、あれって思えば良かったのよね……」
しんみりしてしまった二人に、私は慌てる。私のことを思ってくれることを嬉しく思いつつも、他人である私のことで暗い気持ちにさせてしまって申し訳ないと思う。
「梨都子さん、清水さん、そんな顔しないで下さい。みんなのおかげで、勇気というか、元気が出ましたし。それにすごく心強い」
「それならいいんだけど……」
二人の表情がようやく和らいだ。