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「いらしゃいませー。って、あ! 平良さんじゃないですか。こんばんはー!」
BARのドアを開いたところで出迎えてくれたのは、店長の誠司だった。
彼は俺よりも少し年上の三十一才。誠司はいつも他のお客さんに俺のことを『仲の良い友達』だと紹介したりするが、実のところ、客としか思っていないのだろうと思っている。もうすでにお分かりだろうが、俺は天邪鬼なのである。
とはいえ、毎晩のようにここへ飲みに来ているのは事実だし、別に誠司のことが嫌いというわけでもない。愚痴も聞いてくれるし、俺の自己顕示欲を満たせる場所でもある。ということを、付け加え忘れるような俺ではない。
「おっす、誠司さん。結構久し振りだな」
「ですよね、久し振り。お仕事で忙しかったとか?」
「まあ、そんな感じかな。ついさっきまで沖縄までレッスンをしに行ってたからさ。さっき帰ってきたところなんだ」
「相変わらず多忙ですねえ。まあ、平良さんはいつものことか」
多忙といえば多忙。暇といえば暇。ボイストレーナーの仕事は決して安定して依頼がくるわけではない。有り体に言うならば、不安定。フリーで活動しているのだから尚更のことだ。
が、しかし。ここで見栄を張るのが俺である。
「確かにそうなんだけどな。でもさ、一ヶ月後にロサンゼルスに行かなきゃならなくなって。で、考えすぎてちょっと疲れてさ。それで気分転換も兼ねてここに来たんだ。酒も飲みたかったし」
「え!? ロサンゼルス!? 仕事でですか!? だとしたらそれ、めっちゃカッコイイじゃないですか!」
そう。これなんだよ、これ。こういう反応が欲しかったんだよ。自己顕示欲を満たせる場所というのはそういう意味だ。
誠司に限った話ではなく、俺はいつだって忙しい、ということになっている。この店では。どういうことかと説明しようと思ったんだけど、その必要はなさそうだ。
「ねえ皆んな。聞いて聞いて! 平良さん、今度仕事でロサンゼルスに行くんですって! めちゃすごくないですか!?」
一瞬にして、店内の雰囲気が変わった。ざわめき始めた。
「え!? 平良さん! それマジ!?」
「すげー! やっぱ平良さんは違うわ!」
「お土産買ってきてくださいね! 皆んなに自慢したいから!」
他のお客さんから、次々に放たれる称賛の声。いやー、やっぱり気持ちがいいや。今日の内にここに来て本当に良かったと、心からそう思える。
「いやいや、正確には仕事とは違うんです。有名なボイストレーナーがロサンゼルスにいるんですけど、数日間程、修行に行くことになったんですよ」
と、あくまでも俺は謙虚であることに徹した。そちらの方が好感を抱かれやすいから。よりいっそう、格好良く見られるから。
というわけで、俺はすっかり気を良くして、その場にいる全員に一杯ずつドリンクをご馳走することにした。そして、俺は俺でジントニックを飲みまくった。記憶が半分程、飛んでしまう程に。
* * *
「平良さん、いつもありがとうございます! お会計は二万二千円です」
……は? 二万二千円? 嘘、そんなに?
ダメだ。飲みまくったせいでやっぱり記憶が飛んでいる。
しかし、動揺が伝わってしまっては格好悪い。なので、俺は平然を装いながら誠司に三万円を手渡した。そして受け取る。八千円のお釣りを。
見栄を張るというのは、やはり全く良いことではない。この見栄っ張りの性格が災いして人生をダメにしてしまう。それは俺に限ったことではない。
多かれ少なかれ、周りの人が抱く印象と本来の姿は、悪い意味で大きく違う。何かしらの無理が生じるものだ。
まさに、この様にして。
俺だってこんな自分を変えたいと、そう思っている。だかしかし、見栄を張るのは癖になるんだ。仮にその場だけでも、強い自分になれるからだ。そして、どうせまた酔いが覚めれば、そんな幻と現実のギャップに打ちのめされる。それでも、見栄を張るのはやめられない。もはや中毒と言ってもいい。
支払いを済ませ、店のを出る直前に、誠司は言った。
「また来てロサンゼルス行きの話がどうなったか聞かせてくださいね」、と。
それを聞いて、『この営業上手め』と心の中で悪態をつく。
別に誠司は悪くない。全て俺が悪い。なのに、悪態。心の中で留めたとはいえ、本当に勝手な奴だと自分を責めた。俺はこれを何度繰り返せば気が済むのだろうか。
「一万八千円しかなくなっちまった……」
今は散財している場合ではないのにな。我ながら呆れるね。まあ、過ぎたことを後悔しても意味がない。
さあ、家に帰ったら作戦会議だ。