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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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「欄干橋、破塚、すまん」

鮎川は私の悲鳴を聞いてここまで駆けつけてくれたのだという。幸いなことに玄関のドアが開いていたので彼は私を助けにきてくれたのだ。だが、あまりにタイミングが悪すぎた。

「ひとまず帰れ鮎川」

破塚がそう言った。

「同じ方向だから欄干橋も送っていく」

鮎川は学生鞄を背負って、私にも一緒にゆくよう促した。

「はぁ?紫檀はお前のものじゃない」

破塚がいつものように鮎川を威圧する。それにしても、私は鮎川が自分を救ってくれたことに驚いた。鮎川は人思いだがこういうところでは冷酷な人間なのだ。

「愛がないね破塚。じゃあこんな暗い道中を一人で帰らせるって言うの。欄干橋の門限は9時なんだよ、そろそろ帰らないと。それに、俺が入ってきたからもう興醒めて高揚感も無いだろ」

鮎川はそう言うと、私の手を半ば強引に取って歩き出した。

「欄干橋が殴られてたのではないかと思い走ってきたのだが誤解だったのか。すまない。」

「誤解じゃない。体中にあざができている。」

俺はため息をついた。「やっぱりお前は人形だな」と。誤解だったにしても、彼女をこうして攫い出すことはここまで全速力で駆け抜けているうちに俺の中で決まっていた。二人は一度離れるべきであり、一度冷静になるべきなのだ、なんて柄にもないお節介が頭の中に浮かんでしまったのである。これは多分走った時に出るアドレナリンとかいう物質のせいなのだろう。随分走っていなかったから忘れていた。

「助けに来てくれたのはありがたいが」

欄干橋が言いかけたのを遮って俺は一度ため息をついた。

「タイミングが、悪かったな」

まっすぐ家路に着こうとする紫檀を引き留めて、俺と欄干橋の家の分岐点にあるコーヒー・スタンドに彼女を連れ込んだ。

「私はまだ門限まではないからいいがこんな遅くに構わないのか鮎川。」

「大丈夫だ。欄干橋に何があったのか話を聞きたい。」

いつものように冷徹な欄干橋がそこにはいた。地味な中に究極の美を秘めた図書委員は、本を読む時と同じような、無表情にはたから見れば見えるだろうけどちゃんと微笑んだ顔で俺を見上げた。

コーヒースタンドに入ると欄干橋と初めて二人で来たときの思い出をなぞっているような気分になった。彼女はあの日のカフェ・オレではなくブラックコーヒーとオレンジタルトと、それと洒落たボロネーゼを頼んだ。俺も深く考えることなくブラックコーヒーと日替わりプレートを頼んだ。欄干橋の漆のような髪を目でなぞる。俺と欄干橋にとって、一ヶ月に一度ここで待ち合わせをして珈琲を飲んで帰るというのはあの日以来一度も欠かしたことのない習慣のようなものだった。そこには特別な心情も特別な振る舞いもない。ただそこには特別さに欠けた普通の珈琲と、現代の若者が読むようなものでない小説と、このありふれたコーヒースタンドがあるだけだ。それ以上に何かがあったことは、これまでにはなかった。だが、今日は少しだけその均衡に異常が見られた。いつもと違い、時間帯は3時半でなく8時だったし、欄干橋の気分はいままでになく高揚していた。

「欄干橋、今までも、暴力に晒されていたのか」

欄干橋は一瞬テーブルの木目を見てから俺の方に向き直った。

「御名答だ」

一週間に二、三度本を貸し出してくれる美しい図書委員はこんなふうに可笑しな言葉で話す。あの時は驚いたものだが、いまでは何とも思わない。こういう冷たい言葉で話す彼女にも、冬の風に凍えたり虹に微笑んだり道路の縁石に引っかかったりする一面がある。多分そういう一面は、破塚は微塵も知らない。知りたいとも思っていないはずだ。喫茶店の大きな窓から望む空にはさっきまでの雨が嘘のように、星が一面に散りばめられていて、美しかった。

珈琲とプレートが運ばれてきた頃には、8時半を超えていた。欄干橋は見たことのないような表情と声と口調で、

「まだここにいたい」 と言った。

「欄干橋、門限は守らないとだろ」

欄干橋はそのしなやかな体を俺に寄せて、寂しそうに俯いた。

「帰りたくないの」

俺は途端よくわからない感情に襲われた。帰したくないのは、あのときから同じだ。必死に堪えていた感情が溢れ出しそうになる。

「家まで送って行くから、な?お母さん心配してるぞ。俺は欄干橋の親が心配してないかすごく心配だ。」

「私よりも、私の親が心配?」

表情を誤魔化すために珈琲を飲もうとしたが飲む気がしなかったのでソーサーを置く。ガタンと音がした。

「今のお前は誰でもいいんだろ、別に。」

俺はそう冷静に言った。

「ごめんね、そうかもしれない。でもいまは、鮎川くんしか見えないの」

欄干橋は俺にもたれかかった。たとえ彼女が誰でもいいと思っていたとしても、構わない。そう思いかけた。だけれど、そうじゃない。

ここには特別な感情も特別な珈琲もあってはいけない。夜は平穏に過ぎ去るべきものだし、昼はだらけているうちに終わっているべきものなのだ。

少しばかり重い心持ちで、俺は無な精神のままプレートを平らげてブラックコーヒーをちびちびと飲んだ。そして、店を出た。星は瞬いていたし月は綺麗だったが、俺たちはひとことも話さなかった。


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