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第六章 満ちゆく月
第二話 月の記憶
「……そういえば」
焚き火の炎をぼんやり眺めていたジオが、不意に口を開いた。
「傷の具合どう?」
「ん?」
サフィアンが首を傾げる。
「傷」
ジオは視線を向ける。
「この前の魔物の」
「ああ」
サフィアンは背中へ手を回して笑った。
「もう大丈夫だって」
数日前。
大型の魔物との戦闘で、サフィアンは背中に深い傷を負った。
爪による傷。
瘴気を含んだ傷は治りにくく、普通なら数週間は残るものだった。
けれど。
「ジオのおかげでもうほとんど治ったよ」
その言葉にジオは少し眉を寄せる。
「……一応見る」
「えー、今?」
「いいから」
「はいはい」
サフィアンは笑いながら外套を脱ぎ、服を捲る。
「なんか恥ずかしいんだけど」
「うるさい」
焚き火の光に照らされた背中。
そこにはまだ赤く裂けた傷跡が残っていた。
ジオは静かに手を伸ばす。
傷へ触れる。
細い指先が、わずかに震えた。
そして目を閉じる。
次の瞬間。
淡い色の光が、ジオの掌から溢れた。
焚き火の赤い光とは違う。
静かで、柔らかい光。
夜の中に浮かぶ月明かりを、そのまま集めたような輝きだった。
その光が傷を包む。
残っていた赤みが消えていく。
裂けた皮膚がゆっくりと閉じていく。
やがて、光が消えた。
「……」
ジオは軽く息を吐く。
「跡、残らなければいいけど」
その表情は真剣だった。
サフィアンは振り返り、笑う。
「大丈夫だって!ありがとう」
その笑顔を見て、ジオは少しだけ目を逸らした。
「……うん」
「それにしても」
サフィアンは肩を回す。
「ジオのヒール、ほんと気持ちいいなぁ」
「……」
「前より傷治るのも早くなってるし」
ジオは自分の手を見る。
白い指先。
何度見ても不思議だった。
この手が誰かを傷つけるものではなく、誰かを癒すことができるなんて。
気付いたのは旅を始めて半年ほど経った頃だった。
最初は偶然だと思った。
小さな傷。
疲労。
痛み。
ジオが触れると、少しずつ和らいでいった。
ある時、サフィアンが魔物の爪で大怪我をした時に、ようやくそれが自分の力だと分かった。
けれど、その力を知るほど胸の奥に別の記憶が浮かぶ。
『月蝕の子は』
『世界に漂う闇を引き寄せ』
『その身をもって月へ還る』
月蝕記。
地下書庫で見つけた古い本。
二年前、最初に読んだ時は、ほとんど意味が分からなかった。
知らない言葉。
古い表現。
断片的な記述。
けれど旅の中で、少しずつ調べた。
古い文献を探した。
そして、理解してしまった。
自分は ”月蝕の子”なのだと。
そして月蝕の子とは何なのか。
最後にどうなるのか。
「……」
サフィアンは何も知らない。
ジオが何を読んだのか。
何を知ったのか。
自分がいずれどうなるか。
もし話したら。
もし自分が、 “月蝕の子”だと知ったら。
サフィアンはどんな顔をするだろう。
怒るのか。
悲しむのか。
怖がるのか。
離れていくのか。
考えるだけで、胸の奥が冷たくなる。
だから言えなかった。
ずっと。
隠したまま。
「ジオ?」
呼ばれて、顔を上げる。
「なに」
「いや」
サフィアンは笑った。
「ぼーっとしてたから」
「してない」
「してたって」
「してない」
いつものやり取り。
その声に、少しだけ胸が緩む。
夜。
二人は交代で見張りをすることにした。
先に眠ったサフィアンを横目に、ジオは焚き火の前に座っていた。
森は静かだった。
風の音。
虫の声。
小さな火の音。
空には、満月へ向かう途中の月が浮かんでいる。
あと七日で満ちる月。
その光を見上げる。
ジオは無意識に懐へ触れる。
小さな袋。
その中には、砕けた御守の欠片が入っている。
二年前、自分の中に眠っていた力が目覚めた時、この御守は砕けた。
それ以来、手放せずに持っている。
「……」
ーー月蝕の子。
闇から生まれ、闇を集め。
最後には、その身をもって月へ還る存在。
それが本当なら、自分は、いつか消える。
そういう存在なのだ。
でも、まだ知りたい。
なぜ自分が生まれたのか。
なぜ御守を持っていたのか。
自分は何なのか。
その答えを知るまでは、消えるわけにはいかない。
だから旅をしている。
魔物を倒すためじゃない。
力を証明するためでもない。
ただ、自分自身を知るために。
「……」
その時。
「ジオ」
背後から声がした。
振り返ると、サフィアンが目を擦りながら起き上がっていた。
「交代」
「まだいい」
「だめ」
「寝てて」
「お前、一人で考え込みすぎるから」
ジオは黙る。
図星だった。
サフィアンは笑う。
「ほら、交代」
そう言って隣へ座る。
「寒いだろ」
「平気」
「嘘」
「……」
サフィアンは少し眉を下げて笑う
「まあ、何があっても俺がいるから」
その言葉に、ジオの胸が小さく痛んだ。
だから怖いんだ。
失いたくない。
そう思ってしまっている自分が。
コメント
1件
おお…今回もすごく切なくて、美しい回でしたね。焚き火の灯りの中でジオがサフィアンの傷を癒す場面、あの月明かりみたいな柔らかい光の描写に、一瞬で世界が浮かびました。でもその直後に「月蝕の子」の予言がよぎる静かな絶望感…「言えない」という選択を胸に秘めて旅を続けるジオの覚悟と、無邪気なサフィアンの「何があっても俺がいるから」が重なって、胸がきゅっとなりました。続きが気になります。
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星崎 ヒロア
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