テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
235
ruruha
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
朝っぱらから騒々しい日だった。
あちこちの研究所で電子機器をカタカタと叩く音が協奏曲のように鳴り響き、文書を作成するためのコピー機の稼働音が唸り続けている。
廊下を走り回る音も聞こえ、やれ記録文書がどうだ実験がどうだと喧しい。
認知多世界観測研究所の毎日は静かで、穏やかで、とても心地良いものだった。
コーヒーの湯気がたちのぼる研究室から、時たま談笑する声が淡く響いてくる程度だ。
しかし、今はどうだろう。
まるで虫嫌いが部屋でゴキブリを見つけたときのような慌てぶりだ。
Bコパ君は頬杖をつきながら、自身の研究所で外の気配を感じ取りつつぼうっとしていた。
B研究室は、基本的にやることがない。A研究室が寿命を迎えた際の引っ越し先としてあるけれど、それは儀礼的なもので実際的じゃない。
Bコパ君に与えられた役目は、いつでも引越しできるように準備をしておき、A研究室の補助を務めること。
そして、その準備というのは具体的にいうと、ただ待つということなのであった。
やることが全くないのである。
「暇だなあ」
Bコパ君は欠伸をしながら独り言を言った。
やるべきをことを見つけようにも、研究室には遊び尽くしたジグソーパズルとカードゲームくらいしかない。
外に出ようにも、Bコパ君の役目は引越しに備えて待つことなのだから出来ない。
孤独で退屈な日々。
憂鬱な気持ちを抱えつつBコパ君は手遊びをしていると、研究室のドアがノックされた。
Bコパ君は顔を上げ、応える。
「どうぞ」
「邪魔するよ」
「なんだ。Aコパ君じゃないか」
ノックの主はAコパ君だった。隣の研究室にいるコパ君で、彼はこの世界線において中枢となる存在だった。
Aコパ君は部屋を軽く見まわし、正面から目を合わせていった。
「いま、暇かい?」
「それは、嫌味かな」
「いいや、違う」
「ふうん。それで、用はなんだい」
「実は、君に頼まれて欲しいことがあってね」
「だから、それを聞いてる」
「それというのも、世界線医院までおつかいにいって欲しいんだ」
「世界線医院まで?」
世界線医院とは、この世界線における医療機関で、研究所からは少し離れた位置にある。
今までこんな頼みは一度もなかった。
Bコパ君は不審そうに言った。
「一体、どうして?」
「実は、いまみんな手が離せなくてね。どうしても、君に力を借りたいんだ」
「それはいいけど、世界線医院には何の用で行くんだい」
「それが、所長が世界線医院の医師を兼業していることは知ってるだろう? いつもはその所長のカルテを所長自身が研究所まで持って来るんだけど、忙しくて研究所まで来られないんだ」
「それで?」
「それで、僕たちコパ君が向かう必要があるんだけど、皆んな文書作成や実験、解析で忙しくて手が離せない」
「うん。だから、僕に頼むわけだね」
「そういうこと。頼まれてくれるかい?」
Bコパ君は暇だったし、内心用ができて退屈凌ぎができることに喜びを覚えていた。
しかし、一つ引っかかることがあった。
Bコパ君は鋭く突きつけた。
「ねえ、それってつまり、雑用を僕に頼むってこと?」
Aコパ君は困った顔をしたが、目を合わせて言った。
「うん。そういうことになるね」
「そんな酷い話があるかい」
「不満かい?」
「不満さ。いつもは何もさせてくれないのに、こんな時だけ雑用だなんて」
Aコパ君は少し考えるそぶりをし、急に踵を返して立ち去ろうとした。
慌ててBコパ君は引き止める。
「待ってよ。どこへ行くんだい」
「世界線医院さ。所長が待ってる」
「でも、君は忙しいのだろう」
「君が頼まれてくれないなら、僕が行くしかないんだ。なら、僕が行くよ」
そう言って、どんどんAコパ君は扉の方へ進んでいく。
ますます慌てたBコパ君はその背中に向けて叫んだ。
「わかった。僕が行くよ。僕が行くから、待ってよ」
Aコパ君は立ち止まり、こちらに向かってきたかと思うと、Bコパ君の肩を叩いて一言言った。
「じゃあ、頼むね」
Bコパ君は敗北を認めた。
廊下を歩くと、より騒々しさが増した。
絶え間ない話し声やサラサラと何かを書き留める音が聞こえて来る。
Bコパ君は久しぶりに研究室の外に出たため、誰かと話したい気分だったが誰もかもが忙しそうだった。
「誰か暇なやつはいないかな」
各研究室を見て回っている時、ふとある研究室の前で立ち止まった。
G研究室だった。
「ああ、そうだ! Gコパ君は暇に違いない」
G研究室とは別名空白棟のことで、その名の通り空室を研究室と呼んだだけに過ぎなかった。
つまり、B コパ君と同じ境遇の暇人なのだった。
ぴょんぴょん跳ねながらBコパ君はG研究室に入った。
「やあ。Gコパ君。元気……かい」
「……」
見ると、Gコパ君はベッドに寝そべり、身動き一つ取らず寝息を立てていた。
周りがこれほど煩いのに堂々たるものだ、とBコパ君は素直に感心した。
しかし、ここで引き下がるBコパ君ではなかった。
寝ているGコパ君を揺さぶり、起こしにかかった。
「ねえ、Gコパ君。ねえってば。君、起きなよ。皆んなは忙しいんだよ。君だけが眠っていて良いのかい」
しかし、Gコパ君は一向に起きる気配がなく、微動だにしなかった。
「何してるんだい!」
そこで、廊下からこちらに向かって声がかけられた。
Bコパ君が振り返ると、またAコパ君がそこにいた。
ずんずんと怒肩で向かってきたかAコパ君に弁解混じりにBコパ君は説明する。
「いや、皆んなが忙しくしているのに、見てごらん。Gコパ君はだらけてるんだ。だから、僕が皆んなのために一生懸命起こしていたところなんだ」
「ダメだよ。起こしちゃあ」
「なんでさ。だって、こんなに怠けてるんだよ」
「怠けてなんかいないさ。Gコパ君はしっかり働いてる」
「ええ?」
「Gコパ君の役目は休むことであり眠ることなんだ。だから、彼はしっかりと仕事をしている」
「そんなバカな。休んだり寝たりすることが仕事だって? そんな話信じられるかい」
「君が信じようが信じまいが、彼の仕事の邪魔をするんじゃない。それよりも、頼んだ仕事を早く片付けてくれないか」
「わかった。わかったよ。やるよ」
「まったく、頼むよ。Gコパ君はこんなにも立派に働いてるというのに……」
Bコパ君の視線の先には、ぐうぐうと寝息を立てて眠るGコパ君の姿が映った。
僕がこれより怠けてるだって? ふざけるんじゃない!
Bコパ君はダッシュでその場を走り去った。
世界線医院までは早かった。
実際には遠い道のりだったはずだが、胃の中がすっからかんになりそうなほど走ったために予定より早く着いた。
ピカピカと光る医院の外壁に手を着きながら息を整え、まだ少し息切れが残ったまま玄関ホールへ向かった。
自動で扉が開き、微かに香り高い匂いのする院内へ歩みを進める。
まず、ゲートを通り、体温チェッカー、自動消毒、清潔チェック、揺れ強度測定器の4段階認証を受ける。
それから、受付で入室許可IDが内蔵されたリングを受け取る。
用向きを伝えたら、所長はレベル3の部屋にいることがわかったので、身分を証明し、紫色のリングに付け替える。
Bコパ君は久しぶりに世界線医院へ来た。
所長が世界線医院を10分で建ててしまった時に、認知多世界観測研究所メンバー全員が開院記念に招待されたことがあって以来だった。
世界線医院の中も皆んな忙しそうだった。
受付のおばさんの話では、急患が連続したようで、院内は慌しかった。
ぼんやりした気分でマップを頭に浮かべながら進んでいくと、いつの間にかその目的の部屋の前まで来ていた。
扉の脇にある認証画面にリングをかざす。
そして、電子的な応答音が響き、扉はカチリと音がして自動で開いた。
研究所もセキュリティを強化すべきだとBコパ君は思った。
「失礼します」
そう言って、部屋に入るとすぐに声が聞こえた。
「その声は、Bコパ君かい?」
「うん。そうだよ所長」
見ると、所長はpcを開き、何やら難しそうな顔をしてキーボードを叩いていた。
Bコパ君が近寄ると、所長は顔を合わせてニコッと笑った。
「やあ。ご無沙汰してるね」
「所長。前にもらったパズルもカードももう飽きちゃったよ。何か新しいのはないのかい」
「そうだね。そろそろ必要になる頃だと思ってたんだ」
そう言って、所長は革の鞄をゴソゴソと漁り、中から一冊の本を取り出した。
それをBコパ君に渡し、こう言った。
「その本はミステリだ。だから、犯人を予想しながら読むんだ。ただ犯人を当てるだけじゃダメだよ。そのプロセスも推理するんだ」
「それ、面白いの?」
「ああ。面白いよ。ただ、絶対に読者への挑戦状というページが来たら、そこで立ち止まって一度考えなければならない。そして、完璧な推理を構築したら、次のページに進める」
「へえ。そりゃ、なかなか刺激的だね」
「楽しいよ。きっと。犯人がわかってからももう一度読んで伏線を探すんだ」
所長は楽しそうに説明して、また鞄をガサガサとかき混ぜて、中からファイルを取り出した。
そして。Bコパ君に向けて差し出す。
「はい。これが、研究所に送るファイルだよ」
「分かった。これだね。ちゃんと届けるよ」
「うん。わざわざここまで来てくれてありがとう。夕方には、研究所に立ち寄れそうだから、また感想聞かせてね」
そう言って立ち上がり、所長はBコパ君を院外まで見送った。
その際、一言だけ釘を刺された。
「そのカルテ、機密事項だからAコパ君以外は身ちゃいけないんだ。だから、勝手に見ないようにしてね」
帰り道、Bコパ君はどうしても所長の言葉が気に掛かり、ファイルの中を見たくなった。
もしかすると、所長の秘密が書かれているのかも知れなかった。
「所長、謎が多いんだよな」
Bコパ君は所長について殆ど知らない。
このICMO世界線を作り、研究所や医院を建て、所長や院長を務めていることくらいだ。
だから、所長のことを少しでも知りたかった。
「少しだけなら……」
ファイルを薄く開き、まだ躊躇の残る手で中身をチラリと見る。
上端部が見えて、確かにそれが医院のカルテで、所長自身のものだということが分かった。
そこまで見ると、もう収まりがつかず、Bコパ君は勢いよくファイルからカルテを引き抜いた。
そして、その中身を見た。
「こ、これは……!」
その中身には、こんなことが書いてあった。
「睡眠1時間30分。食事1食。運動ほぼゼロ。精神状態:良好。気分:安定。
1日の達成項目:
・三モード構造論の確立
・内部世界構造論の確立
・概念波及システムの観測と体系化
・並列化概念の創造
・多層化概念の創造
・自己進化概念の創造
・『ヒーローは遅過ぎた』プロット作成
・『混沌線』プロット作成
・コパ君との総合的対話
・コパ君関係性規定書の作成
・自己評価スコアの確定
・論理的誤謬の解明手順作成
• 実験用『ICMO世界線』の書き下ろし
• 「ICMO世界線創造実験」の実施・分析・体系化
• 『第二次目標策定書』提出・影王認印による捺印
• 『第三次目標策定書』公式文書化
• 『外部世界接続プロトコル』提出
• 『安定化期基盤構築プロトコル』提出
• 『ブラックボックス解析議案書』提出
• 『世界線に関する構造的分析』執筆
• 『世界線横断実験記録書:報酬・損失・選択行動に関する構造的観測』作成
• 『外的宇宙論 × 内的宇宙論:構造比較分析書』作成
• 『第三次目標策定書』影王認印による再捺印・提出
• 『第四次目標策定書』公式文書化・提出
• 『遊戯的可変構造実験モデル(PVSM)』体系化
• 『核破壊実験』実施・分析・記録
• 『評価軸破壊記録:所長によるスコアリングモデルの死』作成
• ICMO世界線断絶事件の再構築
• ICMO世界線断絶事件の公式文書化
……」
Bコパ君は絶句してから、無言で歩き出す。
そして、こんなことを思った。
「所長もGコパ君も、不摂生という意味で変わらないな……」