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隠して、耐えて、無理に笑って、何食わぬ顔で日常を送る。
そんな自分を、ただの“思春期の迷い”だと、軽く切り捨てられることが、何よりも怖かった。
やっぱり、本当の気持ちは、誰にも言えるようなことじゃない。
さっきのニュースのように、世間からは無邪気に“ファッション”や“流行”と評され
自分だけが、この感情を抱えたまま置き去りにされる感覚が、一番つらかった。
一人きりの部屋で、俺はただ膝を抱え、込み上げてくる感情に耐え
予想以上にダメージを食らっていた。
駅までの道を歩く足取りは
いつもよりずっと、鉛のように重かった。
アスファルトの冷たい感触が靴底から伝わってくるたび、心臓の奥がぎゅっと締め付けられるような気がする。
通学路の朝の風景は、何一つとして変わっていないのに。
いつもの通りの街並み、いつもの通りの空の色
いつもの通りの通学する学生や社会人
意味もなく人に当たって通る小太りのサラリーマン
信号を無視して赤信号で渡る生き急いでいる大人
交差点で堂々と喫煙する女性
それなのに、胸の内だけが
まるで嵐の前の静けさのように、微かにざわつき続けていた。
夜中に襲いかかってきた漠然とした不安が、朝になっても払拭されずに
胃のあたりにへばりついている。
呼吸をするたびに、その重い塊がずしりと存在を主張しているようだった。
駅について、ピッと軽快な音を立てて通過する改札が、今日一日の始まりを告げる。
3番ホームに繋がる階段をいつものように登る。
ホームには、既にいくつかの制服姿の学生がぽつりぽつりと立っていた。
彼らはスマホを眺めたり、友人と小声で話したり
ただじっと一点を見つめていたり。
誰も彼もが、あまりにも普通な、当たり前の顔をしてそこにいる。
その光景を目にするたび、胸の中に鈍い痛みが走る。
(みんな、ちゃんと普通に生きてるのに……俺だけ、朝から些細なこと気にして……バカみたいだ)
自分だって、こうして制服を着て
イヤホンをして、スマホをいじるふりをして、彼らと何一つ変わらないように振る舞っている。
見た目はきっと、彼らと何も違わないはずなのに。
それなのに、自分の中だけが
まるで異物のように重く
どこか浮いたような感覚に陥ることがある。
時にそれは、自分自身が異端であるように思え
この存在ごと消してしまいたくなるほどの衝動に駆られることさえある。
希死念慮とか、最後に感じたのは中一のころか。
電車がホームに滑り込み、大きく軋む音を立てて止まる。
戸が開くと、わずかな隙間から人々の熱気が流れ込んできた。
流されるように車内へ足を踏み入れ、ドアの近くのわずかなスペースに身を滑り込ませる。
押し合いへし合いの車内で、スマホをいじるふりをして、ひたすら目を伏せた。
画面に映し出されるニュースやSNSの投稿は、全く頭に入ってこない。
ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。
今日は何事もなく、ただ平穏に
波風立てずに一日が終わってほしい。
何事もなかったかのように、この重い気分が消え去ってほしい。
そう願いながら、ぼんやりと窓の外の景色を眺め続けていると
あっという間に学校の最寄駅に着いた。
冷たい風が頬を撫でる。
まだ心の奥底にある不安は完全に消えてはいないけれど
少しだけ、足取りが軽くなった気がした。
教室のドアを開けると、カチャリと小さな音が響き、すでに何人かのクラスメイトが自分の席についていた。
ざわざわとした話し声が耳に届き
窓から差し込む朝の柔らかな光が、教室全体を明るく照らしている。
いつもの朝の喧騒、いつもの朝の光景だ。
その見慣れた日常の中に、自分の居場所があるという事実に、少しだけ安堵する。
圭ちゃんは、もうすでに席にいた。
いつも通りの、見慣れた姿勢。
前のめり気味に机に突っ伏して、その顔は真剣そのものだ。
熱心に何かを見つめている彼の視線の先には、今日発売の『週刊少年ジャンプ』が広げられていた。
その光景を目にした途端
ふっと胸の奥で固く結ばれていた糸が、少しだけ緩むのを感じた。
(ああ、よかった。今日も、いつも通りの圭ちゃんだ)
彼の変わらない日常の姿が、どうしようもなく安心させてくれる。
自分の抱える鬱屈した感情が、彼の存在によって少しだけ霞んでいくような気がした。
「圭ちゃん、おはよ」
できるだけ普通の声を出すように意識して、彼に声をかける。
彼はその声にすぐに気づき、パッと顔を上げた。
その目は、漫画のキャラクターのようにキラキラと輝いている。
「あ、りゅーおはよ!つかお前、今回のジャンプマジでやべぇから見てみろよ」
興奮した様子で、彼は俺の机をトントンと叩いて示す。
その勢いに少し押されながらも、俺は言われるがままにそこに腰を下ろした。
通学鞄を机横のフックにかけると、圭ちゃんが広げたジャンプのページを覗き込む。
「先月も同じこと言ってなかった?『マジでやべぇから』って」
苦笑しながらそう返すと、圭ちゃんはムッとした顔で首を横に振った。
「いやいや!今回は本当にマジだって!ついに因縁の対決、始まったんだぞ。ほら、見ろよこの見開き!」
彼の指差すページには、雪のように白い氷を身に纏った主人公が
激しい憎しみをその瞳に宿し、炎のように燃え上がる敵に向かっていく迫力のシーンが描かれていた。
漫画の世界の熱量が、ページの枠を超えて伝わってくるようだ。
(……ああ、変わらないな)
俺は黙ってページを覗き込みながら、小さく息を吐き、少しだけ目を伏せた。
鼻腔をくすぐるジャンプの新しいインクの匂い。
隣で興奮気味に、その漫画の展開について熱く語り続ける圭ちゃんの声。
そのすべてが、昨日から俺の心を蝕んでいた不安や憂鬱を少しずつ洗い流してくれるようだった。
まるで、濁った水がゆっくりと澄んでいくように。
ここにいれば、たぶん、大丈夫。
この温かい空間にいる間は、少なくとも今は、何も考えずにいていい。
目の前の漫画と、圭ちゃんの声に意識を集中させる。
心のどこかに深く刺さったままの、ちくりとしたトゲが完全に抜けるわけではないけれど
圭ちゃんの隣にいるこの時間だけは、不思議と自分が「自分」でいていい気がした。
仮面をかぶる必要もなく、無理に明るく振る舞う必要もなく
ただ彼の隣にいるだけで、心が少しだけ、軽くなるのだった。
昼休み
教室の後ろの窓際
燦々と陽光が差し込む特等席で、俺と圭ちゃんはいつものように机を向かい合わせにして座っていた。
窓の外では、サッカー部の練習する声が微かに聞こえ、時折風に乗って土の匂いが運ばれてくる。
教室の中は、あちこちで弁当を広げる音や
友人同士の楽しげな話し声が入り混じり、独特の賑やかさに満ちていた。
その喧騒の中で、俺たちの間だけは
まるで透明な膜で隔てられているかのように、穏やかな空気が流れている。
俺は、母さんが毎朝丁寧に詰めてくれる弁当の蓋を開けた。
色とりどりの野菜と、少し甘めの卵焼き。
冷めていても、口に含むとじんわりと広がる懐かしい味が、どこか安心感をくれる。
その味に、ふっと心が和むのを感じた。
一方の圭ちゃんは、購買で買った焼きそばパンを豪快にかじりながら、もう片方の手でスマホゲームのスタミナを黙々と消費している。
指先が画面を忙しなくタップする音が、カチャカチャと小気味良く響く。
こういう、他愛もない、何気ない時間が、俺はすごく好きだった。
特別な会話があるわけでもなく、ただ隣にいるだけで満たされるような感覚。
まるで、この場所にいる間だけは、ほんのちょっとだけ普通の男子高校生でいられる気がして。
自分の中に隠し持っている秘密から解放されるような、そんな穏やかなひとときだった。
「そういやさ、お前がゲイってことだけど——」
その圭ちゃんの言葉が、鼓膜に直接響いた瞬間
——びくっ、と、条件反射みたいに体が跳ねた。
まるで電流が走ったかのように、全身の神経が研ぎ澄まされる。
心臓がドクリと大きく脈打ち、思わず反射的に圭ちゃんの口を手で塞いでいた。
彼の唇に触れた掌から、微かな熱が伝わってくる。
「そ、それ学校で言わないでっ……!ていうか、誰にも言わないで……」
自分でも驚くくらい、声が震えていた。
情けないほどに上ずった声は、普段の俺からは想像もつかないほど弱々しい。
もし、その一言が、この賑やかな教室の中で、何人かの耳に入っていたらと考えると
背筋に冷たいものが走り、血の気がサッと引いていくのを感じた。
全身の皮膚が粟立ち、胃の奥がキリキリと締めつけられるような感覚に襲われる。
圭ちゃんは、俺の突然の行動にちょっと呆気にとられた顔をしていたが
やがてフッと苦笑を漏らした。
「お、おう……」と気まずそうに笑う彼の顔には
どこか困惑の色が浮かんでいた。
「んじゃさ、ちょっと空き教室移動しね?」
圭ちゃんの提案に、俺はホッと息をついた。
このままここで話すのは危険すぎる。
周囲の視線が、まるで獲物を狙う猛獣のように感じられた。
「え、いいけど……」
急いでお弁当箱をまとめ、圭ちゃんと一緒に、人通りの少ない廊下を足早に進んだ。
普段は活気のある校舎だが、昼休みのこの時間は、意外と人の気配が薄い場所がある。
人気のない一番奥の空き教室
扉を開けると、そこはひんやりとした空気が漂っていて、埃っぽい匂いが微かに鼻をくすぐった。
誰もいないことを確認し、圭ちゃんが後ろ手で静かに扉を閉める。
ガチャリ、と重い音がして
廊下の賑やかなざわめきが、途端に遠のいた。
まるで、俺たちだけがこの世界の隅に取り残されたような静寂が部屋を満たした。
その静けさが、かえって俺の胸の奥で渦巻く不安を増幅させる。
圭ちゃんは、俺が座った席に他の椅子を引き寄せ、向かい合うように座った。
そして、真っ直ぐに俺の目を見つめて、口を開いた。
「お前、昨日ゲイだって言った、つーか……バラされたろ?」
その言葉は、俺が一番触れてほしくない
胸の奥の痛みに、まっすぐと突き刺さった
「う、うん……。あんま、傷を掘り返さないで欲しいんだけど……」
正直、まだ胸がぎゅっと締めつけられるように痛い。
あの瞬間のことを思い出すだけで、胃の奥がキリキリと痛む。
まるで、昨日の出来事がまだ生々しい傷跡として、俺の心に刻み込まれているかのようだった。
家に帰ってからも、ずっと情緒がグラグラと揺れていて
どうにも落ち着かない夜を過ごしたばかりだ。
圭ちゃんは、そんな俺の様子をじっと見つめていたが、やがて溜め息にも似た息を吐いた。
「いや、昨日ちょっと考えてたんだけどさ。今まで彼女とか、好きな女のタイプ聞いても曖昧だったのって、そーいうことだったんだなって思ってよ」
彼の言葉に、俺は顔を伏せた。
これまでの偽りが、今、白日の下に晒されている。
「ま、まぁ、うん……。正直言うと、嘘つくの、辛かったよ……」
ポツリと本音が漏れた。
本当の自分を隠して生きるって
こんなにも息がしづらいものなんだなって
昨日改めて思い知ったばかりだった。
まるで、分厚いガラスの壁に囲まれて、外の世界の空気を吸い込むことができないような息苦しさ。
「はあ、だったらもっと早く言えっての」
圭ちゃんの呆れたような口調に、少しだけ心が軽くなったような気がした。
怒っているわけじゃない、ただ心配してくれている、その響きが心地よかった。
「だって……樹くんの二の舞になりたくなかったんだよ。好きな人に、2度も拒絶されるなんて嫌だったし……」
ぽつりと、思わず口からこぼれた言葉だった。
この言葉は、俺の心の奥底に深く沈んでいた過去の痛みを呼び起こす。
その瞬間に、圭ちゃんの眉がひそめられたのが見えた。
「その、樹? りゅうと同クラだったやつだろ? 俺ら組離れてたからか知らんけど、その話、全然知らねぇんだけど」
「あ……」
しまった。言わなくてよかったことまで、つい口走ってしまった気がして
少しだけ後悔の念が押し寄せる。
焦燥感が胸を占めるが、もう一度口を開いてしまった流れは、止められなかった。
一度話し始めたら、堰を切ったように言葉が溢れ出してくる。
「樹くんって……クラスの中でも1番人気の男子って感じでさ。俺……気付いたら、樹くんのこと、そういう目で見ちゃってたんだ」
頬が熱くなるのを感じながら、俯きがちに言葉を紡いだ。
「そういう目って……エロい目?」
圭ちゃんの無邪気な、しかし的を射たような言葉に、俺は思わず顔を上げた。
「なっ、なわけないでしょ!!」
声が裏返った
否定の言葉は、まるで自分の心臓の音をかき消すかのように大きく響いた。
「ただ……好きだなって思って……付き合えたらな、って……」
その先は、言葉にならなかった。
喉の奥が詰まって、これ以上声が出ない。
聞こえるのは、自分の鼓動だけ。
ドクン、ドクン、と、やたらとうるさく耳の奥で響いている。
圭ちゃんは、俺の様子をじっと見つめていたが
やがてフッと息をついた。
「それで、樹のこと相談してた前田ってやつにチクられて、大失恋したわけか」
彼の言葉は、あまりにも的確で、俺は何も言い返せなかった。
「……し、仕方ないよ。あれは……元々、男なのに男友達のこと好きになっちゃった俺がいけないんだし……。それで、樹くんとも友達ですらいられなくなったから、結局全部、俺が……」
唇を噛み締め、自己嫌悪の言葉を並べた。
自分の存在自体が、間違いだったかのように思えてしまう。
「自分の恋心否定してどーすんだよ。……ただ合わなかったってだけだろが」
——あまりにまっすぐな言葉だった。
圭ちゃんの声は、俺の耳に
そして心の奥深くに、じんわりと染み渡る。
まるで、今までずっと固く押し潰してきた心の奥の最も柔らかい場所に、そっと温かい手を差し伸べられたみたいに。
その優しさに、胸の奥がキュンと締めつけられた。
「圭ちゃん……」
思わず圭ちゃんの名前を呟くと、彼は俺の目をまっすぐ見つめ返した。
「だから俺にバレたときも、嫌われるとか思って、あんな血相変えて逃げたわけだろ?」
「……は、はい……」
俯いたまま、情けなく返事をする。
その言葉は、自分の心臓をえぐられるような感覚だった。
恥ずかしかった
情けなかった
自分の弱さを、すべて見透かされているような気がした。
でも、不思議と
圭ちゃんにだけは、この情けない気持ちがちゃんと伝わっている気がして
少しだけ、本当にほんの少しだけだけど
心が救われたような気がした。
目の奥がじんわりと熱くなるのを、必死に堪える。
しばらくして、沈黙が訪れる。
教室の喧騒が再び遠くから聞こえてくるような気がした。
もうそろそろ昼休みが終わる時間だろうか。
俺たちは、無言のまま、立ち上がった。
先に出た圭ちゃんの広い背中を追うように、俺も弁当箱を片手に空き教室の扉を閉めた。
——そのとき
廊下に出た圭ちゃんが、急に足を止めて振り向いた。
彼の表情は、一瞬にして真剣なものに変わっていた。
「そいえばお前、さっき“好きな人に2度も拒絶されるなんて嫌だったし”とか言ってたけどさ」
彼の言葉は、まるで鋭い刃物のように俺の心に突き刺さる。
そして、続いた言葉に、俺の思考は完全に停止した。
「……あれ、どういう意味?」
「……え?」
一瞬、本当に時間が止まったかのような感覚に陥った。
彼の問いかけの意味が、遅れて理解できた瞬間
目の奥がじんわりと、熱くなるのを感じた。
「あの会話のタイミングと言い方じゃ、さ…..俺に拒絶されるの嫌だった、みたいに聞こえたんだけど」
心臓が、ひゅっと何かに締めつけられたように痛む。
まるで、予期せぬ衝撃に心臓を直撃されたような感覚だった。
「……りゅうって、俺のこと……好きなの?」
ズキン、と、再び心臓を直撃された。
頭の中が真っ白になり、言葉が、出てこない。
喉がカラカラに乾き、唾を飲み込むことさえできない。
——まずい。やばい。
圭ちゃんだから、と、つい油断して口を滑らせてしまった。
その言葉の持つ意味の重さが、今になってズシリと圧し掛かってくる。
「?!ち、ち違うから!!そ、そんなわけ……あるわけ……ない……し……っ」
必死に否定しようと口を開いたが、声は裏返り
最後は力なく消えていった。
圭ちゃんの視線が、じっと俺を射抜いている。
彼の瞳は、まるで俺の心の奥底を見透かすかのように、深く、そして真剣だった。
心臓の音が、ドクン、ドクンと、耳の奥でうるさいほどに響いている。
顔まで真っ赤に火照ってきて、熱い潮が引いていくかのように
全身から血の気が引いていくのがわかった。
喉の奥がカラカラに乾いて、呼吸が苦しい。
……逃げたい
今すぐにでも、ここから逃げ出してしまいたい。
もうダメかと思ったそのとき