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第9話「カブトムシ対決!」
木立の奥に、丸太のリングがあった。
そのまわりには、草で編まれたような観客席が並んでいて、誰もいないのに誰かが座っているように思えた。
「今日のイベントは、これ」
ユキコが虫かごを差し出した。中にいたのは──カブトムシ。
でも、ナギが知っているものより、ずっと大きかった。
つややかな黒褐色の背中、腕のように太い脚。
そして、角の先に、小さな目のような模様があった。
「これ……ほんとに、虫?」
「たぶん、虫だったもの、だと思う」
ユキコはそう言って笑った。
けれどその顔は、いつもよりほんの少し色がなかった。
ナギは自分の虫かごをのぞく。
そこには、黄金色に光る外国のクワガタが入っていた。
目が合ったような気がして、思わず顔をそむけた。
「どうするの? 戦わせるの?」
「うん、でも……勝ち負けはね、決まってるらしいよ」
「誰が決めたの?」
ユキコは答えなかった。
かわりにリングの前にしゃがみこみ、自分の虫かごを置いた。
ナギもそっと、クワガタをそこに出す。
二匹の虫は、最初こそ動かなかった。
けれどすこし経つと、ぬるりと脚を動かし、ゆっくりと向かい合った。
ギシ……ギシ……
木がきしむような音が、虫たちから鳴った。
その音に合わせて、空がすこしだけ歪んだ気がした。
ナギは思わず後ずさる。
足元の草がふっと沈む。
振り返ると、観客席に誰もいないはずなのに、無数の影がそこに“いた”。
「ねえ、やめようよ」
ナギが声を出したとき、虫たちの角がぶつかり合った。
ガキン──と、鉄がぶつかるような音が響いた。
次の瞬間、リングの上には何もいなかった。
虫も、草も、土も。すべてが平らになり、ただの影になっていた。
「……負けたほうは、もういないの」
ユキコがぽつりとつぶやいた。
その指先には、ふるえたような跡があった。
ワンピースの袖口が、ほんのすこしだけ土で汚れていた。
ユキコの服が“汚れる”のを、ナギは初めて見た。
「なんで……」
「わたしも、よく知らない。でも、虫たちは昔のことを覚えてるって、ムクリが言ってた」
「ムクリ?」
「今はいないけど、また来ると思うよ。“虫の時間”がある時に」
風が吹いた。
それは、ふたりのあいだの空気だけを冷やしていった。
ナギは、抜け殻のように空になった虫かごを見つめた。
そこには、音だけが、まだ鳴っているようだった。