先の茂みが、ガサガサと揺れた。
「むむ?!」
馬に乗る、晴康《はるやす》は、とっさに身構える。
都を出て洛北は、どこぞの、杉林──、と、でも言うしかない山道に、一行がさしかかった時の事だった。
「あれまぁ、若君のお出迎えか」
髭モジャの懐で、親分猫が言った。
「若君って?」
髭モジャの後ろに、しがみついている晴康が問う。
「都で暴れ過ぎた猫でのぉ、手がつけられんと、追放したのじゃ、洛北辺りで、鬼とでも、やりおっておれとな」
「ふうーん、凄い猫も、いるもんだね」
肩をすくめる晴康へ、親分猫が、ぼそり、と言った。
「いやはや、じつは、ワシの孫でのぉ」
「うっせぇーよ!喋りすぎだっ!爺さん!」
と、茂みから、怒り声がする。
「いや、いや、またれい。もしや、親分猫の孫殿か?若君とやも、喋れるのか?!」
「あたぼうよぉー!」
驚く髭モジャ達の前へ、ふふんと、自慢げに鼻を鳴らしながら、黒猫が現れた。
「こちとら、日々、山ん中で、天狗や鬼とやりあってんだ、言葉くらい喋れるようになるわっ!」
へえーーー、と、髭モジャと晴康が感心していると、
「あんたら、この先に、寺なんぞないよ。代わりに、崖があって、男が五、六人、待ち伏せている」
「お前、そこまで、分かっておるのなら、五人か六人か、ハッキリさせておけ」
親分猫が、孫猫を叱った。
けっ、と、黒猫は、顔をそむけ、去ろうとする。
「あー、ちょっと、待ってよ!若君!」
慌てて、晴康が、引き留めるものの、にっこり笑って、黒猫若君へ、言った。
「そこまでで、十分だ、こっちには、髭モジャがいるし、何匹か、親分猫の子分もいる。どうも、ありがとう!助かったよ!」
茂みの中へ、戻ろうとしていた、黒猫は、ピタリと、動きを止めると、振り返る。
「……やい、童子、てめぇ、猫だと思って、舐めてんのかぁ?」
「いいや、舐めてはいない、お主こそ、こちらを甘く見ておるだろう?」
急に、大人びた口調で、晴康は、黒猫を見ると、パチリと、指を鳴らした。
うわっ!!!という叫びと共に、黒猫、若君は、宙に浮く。
「お、お前、陰陽師?!ってーか、もしかして!」
足をばたつかせながら、若君は、晴康を見た。
「うん、そう、その、もしかして、なのだ。わからぬが……何者かに、産まれた時に、術をかけられた……ゆえに、陰陽師をやっていたのだが、また、かけられた術が強められているのか……この姿。自由が効かぬ」
「晴康様、ワシらも、あの時、手を尽くしたのですが、申し訳ござらぬ!!」
隠していた事を、語らせてしまったと、たまり兼ねたのか、髭モジャは、晴康へ、詫びてきた。
「髭モジャ、謝ることはないよ、あくまでも、過去の話。そして、私にかけられている、謎の呪縛、の、話なだけだろ。今、やるべき事は……」
髭モジャと、晴康が、語り合っている側から、黒猫若君が、叫んだ。
「俺を、地面へ降ろすことだろうがっ!!」
あっ、ごめん。と、言う晴康の言葉の後に、ドスンと、若君が、落ちる音が響く。
「あれ?猫なのに、着地できないの?」
不思議そうに言う、晴康へ、若君は、フゥーーと、毛を逆立てた。
「ああ、すまぬことで」
親分猫が、詫びている。
「ちっ、爺さんも、厄介な面子を、連れてきたなぁ、こりゃー、従うしかないだろー」
若君が、ごちた。
「あれまぁ、晴康様は、そんなにも……」
「親分猫様、そんなにも、って、ほどじゃないんだろうけど、珍しがられて、時々、闇の世界で、この話が出るんだよ」
言って、晴康は、迷惑そうに、顔を歪めた。
「とにかく、先で待ち伏せてる男どもを、捕まえることからじゃな!」
よしっ!何者か、口を割らしてみせようぞ!と、髭モジャが、いきり立った。
「あー、それは、施薬院からやって来た男達。そして、琵琶法師の手下さ。今の薬師様は、すっかり、琵琶法師に、取り込まれちまってるからなぁ」
若君の、何気ない一言に、場は、凍りつく。
「髭モジャ!」
「うぬ、こりゃ、いかん!」
「ここは、退散かのぉ」
「親分猫様、それだと、待ち伏せてる男達は?私達が、やって来る事を知っている訳でしょ?御屋敷へ、すぐ戻るべきだけど……そうすると、気付かれたって、事になり、また、何か反撃が……」
うーん、と、一同は、煮詰まってしまう。
その瞬間、空が曇り、木の枝が、ミシリと鳴った。
「あっ、天狗のおっちゃん!」
若君が、見上げる先の枝には、高下駄を履く、赤ら顔の修験者が腰かけていた。その鼻は、異常に長い。
「ややや!!」
「髭モジャ、天狗殿に、失礼だよ」
「は、晴康様、そ、そうかも、しかし、さすがにっっ!!」
天狗、らしき、異形の登場に、さすがの、髭モジャも、慌てふためき、馬から落ちそうになっていた。
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