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その日、彼らは一先ずテントに戻りました。ボロミアは説得したのは自分なのに彼女が何かをしようとする度に、戻ってしまうのではないかと心配していたのでシリウルは仕方なく彼と一緒のテントで眠りました。
離し難い、ボロミアは先程そういった通りに彼女をぎゅっと強く抱きすくめました。
シリウルはその晩初めて幸福が存分に滲んだ眠りを得ました。耳をすませば彼の寝息を、身体で彼の鼓動を感じました。締め付けられる感覚もまたどこか幸せで、彼女の長い苦しみはとうに癒され、目の前の人へのみなぎるような愛だけが身に残ったのでした。
朝になると、ボロミアが先に起きまして、美しい彼女の寝姿を堪能していました。シーツに埋まった髪は滑らかで朝日の光を含んできらきらと輝いています。伏せられた瞼の中の煌めきを想像して、ボロミアは一人笑んだのでした。
そのうち起きるのに相応しい頃合になると、彼はシリウルを軽く揺すって起こしました。
「シリウル」
呼びかけるとぴくっと肩が動き、そっと頭を起こして彼の方を薄目で見遣りました。
「……んっ、なんです?」
「おはよう、そろそろ起きる時間だ」
「そうですか……」
どこかズレた言葉を零すと、まだ眠いのか瞼を閉じて黙り込んでしまいました。そして寝る体勢に移ったので慌ててボロミアは続けました。
「シリウル、非常に愛らしいが出来ればこれからどうするか、予定を立てて頂きたい。だから起きて欲しいのだが」
「ん、わかってますけど……」
珍しくはっきりしないシリウルの言葉に、ボロミアは笑みを深めました。そして彼女の身体を温めるように抱きしめると、こう言いました。
「困ったな、私はあなたに弱いんだ。このまま一緒に二度寝してしまうかな」
彼の冗談めいた一言を区切りに、シリウルはぼうっとしながらも身体を起こして、目を擦りました。
その動きに合わせてボロミアも起きると、自分の着替えと彼女に着替えを取りに机に向かいました。
釦を片手で外しながらシリウルに着替えを渡すと、彼がいるのにも関わらず突然脱ぎ出して非常に戸惑いました。
「ッ、シリウル!着替えるなら言ってくれ!」
「……あっ、すみません」
一悶着ありながらもお互いに着替え終わり、彼女も完全に目が覚めた様子でした。
シリウルは地図を出し、一考してから彼にこう告げました。
「一度、私一人で森に戻らなければなりません」
ボロミアは彼女が彼の申し出を受けて一緒に居てくれるものだと思っておりましたので、かなり驚きました。そして同時に裏切られたような思いにかられ、静かに怒りを覚えました。
「あなたはそう言って私を永遠に置いていきそうだ」
強い語気でそう言いますとシリウルは、彼の怒りを感じ取り諌めるように返しました。
「いえ、それは違います。
あなたが仮住まいするならまだいいのですが、本格的に残るとなると、あなたが正式に立ち入る許可を求めなければならないです」
一息にそういうと、ボロミアは彼女の言葉に納得を示し、怒りを沈めて目を閉じました。
「……そういうことか」
「納得なされましたか?」
「ひとまずは」
「ふふっ、厳しいですね。心配しなくても私はあなたを置いていくはありません」
シリウルは虚言を吐くことはありませんので、この一言にやっとボロミアは心から安心しました。
「エステル、アラゴルンに戴冠式に居てくれると嬉しい、というようなお言葉を頂きました。そして私もそれを望んでいます。ですから必ずそれまで戻ってきましょう。あなた自身に、そしてゴンドールの王となられる方にも誓って」
「……ありがとう」
「誓の印にこれをあなたに預けましょう」
そう言うとシリウルは、額にかかっていた飾りを外しました。そしてそと彼の掌に載せると、握らせるようにして手ごとあたたかく包み込みました。
「これは私が生まれた時に、父が自身の技を結集して作ってくれた物なのです。だからこの世にひとつしかない大切なもの、なのですわ」
「しかと預かった。決して損なわれることないよう、大切に扱わせて頂こう」
「そうして下さると安心です」
朝食を食べ終わると、シリウルは旅の支度をさっさと済ませて既に立ち去る用意が出来ていました。ボロミアはまた彼女を見送ることになるのですが、今回は恐れを抱くこともなく、安心して送り出す気でいました。
「別れの挨拶をアラゴルンにしてから出ましょう。私は彼の言葉がなければ、あなたに引き止められる前に人知れず森に戻っていたでしょうから」
「では三重の意味で彼は私の恩人だという訳だな」
そうボロミアが冗談を言うと、彼女は晴れやかに笑ってくれました。彼女がテントを出ていくのに着いていっても特に咎められず、一緒に次期王が泊まっておられるテントに向かいました。
テントの周りは朝にも関わず活気に溢れていました。未だ戦勝の喜びに満ちているのか、お互いの武勇を自慢し合う者、自分はあまり活躍できなかったとして悔やむ者、そして王を称える詩を作る者がいました。彼らは快く二人を通してくれまして、直ぐにお目通りが叶いました。
「行かれるのか」
アラゴルンは訪れたシリウルを一瞥すると簡潔に問われました。
「はい、時が来ました」
シリウルは続けて言いました。
「でも戻ってまいります。私の運命はとうに彼に繋ぎ止められてしまったのです。そして私もそうであることを切に望んでいました。だからこそ今はただ一度の別れを、ここに告げに参りました」
「そうか、それもまた喜ばしいことだ。君が去ることを許すが、その代わり結婚式は盛大にしなさい」
シリウルはその一言が冗談なのか本気なのか判別がつかず、戸惑いましたが静観していた、傍らのボロミアが返事をしました。
「言われずともそうするつもりでした。お許しを頂けたからには国をあげて祝いましょう!」
シリウルは彼の返事に頭を抱えましたが、アラゴルンはとても満足そうに息を吐いて彼らを見送りました。
「……あなた方は気が早いですわ、戴冠式もまだなのに」
「いずれする事だろう、それとも気が進まないのか?」
言葉は強気に写りますが、彼が実際に口にした時の声は弱々しい響きを持っていました。シリウルはそんなことを心配されるとは思ってもみなかったので、笑いながら首を振りました。たちまち安心した様子のボロミアに、別れを惜しむようにシリウルはそっと手を繋いだのでした。
馬を繋いである所に辿り着いて、シリウルは手を離して、荷物を背に固定し始めました。ボロミアが手伝ってくれて直ぐに終わると、手網を柵から外して掴みながら彼に向き直しました。
「では、一週間に一回は検診を受けてくださいね。あなたが受けたのは毒矢でしたから、一切の油断は出来ません」
「ああ、わかっている。私もみすみす得られた生を返上する訳にはいかない」
「なら良かった、どうぞ私が戻るまでも健康でいてください」
「私からもあなたの旅の安全を願う」
「ありがとうございます。あと帰ってくる時はどちらにいらしたら良いですか?ミナス・ティリス?」
「ああ、そうしてくれ。その頃には足の踏み場もないほど出店で溢れかえってるかもしれないが」
「わかりました。では、もう出ます」
「……忘れ物だ」
そう呟くと、馬に乗ろうとした彼女を抱き寄せて、緩慢な動作で口付けました。何度か角度を変えて、成されるそれを受け入れました。
そっと離れて見つめあった彼の顔は静かで、シリウルは安心して鐙に足をかけたのでした。
ボロミアは目で介錯して、彼女が馬を走らせるのを見届けました。彼女はしかと戻ってくると言ったのですから、誓の印に預けられた飾りをしっかりしまい込んで彼は彼女の姿が見えなくなるまで見送っていました。
シリウルはまずはアノリアンの北を流れるアンドゥインの川口に沿って、ミナス・ティリスの方角に下り、渡れそうな所を探しました。幸いカイア・アンドロスの島の近くに仮設置の渡り橋があり、直ぐにアノリアンに抜けました。
アノリアンでボロミアに教えて貰ったいくつかの野営地の位置を地図に書き残していましたので、それを頼りに彼女は旅を進めました。
道ゆきは驚くほど穏やかで、モルドールに比較的近い位置でも、オークの気配は一切ありません。これからもっと色んなところが安全に、そして静かになることでしょう。戦いが終わったことを身で感じ、彼女は事の重大さを改めて知るのでした。
森に帰ると、幸い彼女が出た時とあまり変わっていないようでした。
森は相変わらず静かで、動物達はのどかに過ごしています。彼女は自身の居にたどり着くと直ぐに、また旅支度を始めました。
これからロリアンに直接赴くのです。
彼女の責任者はロリアンの奥方ですので、正式な許可と、彼女が長く森を開けた次第をしかと説明しなければなりませんから。
事の次第を説明するには文書だけでは不十分でした。森に一度戻ったのは、アンドゥインを今度は舟で登っていかなければならないからでした。ボロミアがいた治癒の野の小川は大地のお示しが開かれていますて、アンドゥインにも繋げる事が出来ますので、そこから向かうつもりでした。
「よく来ました、シンアダン。ここまで来るのは長い旅時だったでしょう」
「奥方様にお会いするためなら、惜しくありません。それに川をお守りになって下さったからとても楽に着けました」
「気づいていらっしゃったのね、あなたの慧眼にはいつも驚かされます」
「奥方様、孫のように接して下さるのはとても嬉しい限りですが、そろそろ要件を申させて下さい」
「いいわ、聞きましょう」
「今回お目通りをお願いしたのは、ある者が森に正式に立ち入る許可を求める為なのです。彼は私の伴侶になる者、名をボロミア、デネソール侯の長子になります」
「……驚いたわ、どういうことなのです?あなたが彼をミナス・ティリスに送り届けるのに時間がかかった事についての説明にいらしたのかとばかり思っていました」
「その為にも参りました」
「……随分いれあげているとは思ったけれど、それほどとは。もちろんとても喜ばしいことだわ、よろしければことの次第を聞かせて下さいな」
「彼は私を引き止めるために、私の咎を一緒に背負うと言われました」
「そうですか、だから立ち入りの許可を?」
「はい」
「……それは必要なくなります、これからあなたの森は完全にあなたの管轄になるのだもの」
「はい?」
「一つの指輪の伝承は知っておいででしょう、私達は三つの指輪の力を失い、安住の地を永久に失うことになりました。これを気に中つ国に残ったエルフは皆、西の地に去るでしょう。あなたに言えなかったのは一つの指輪の所在も、見出されたことも知られてはいけなかったからです」
「……そういうことでありましたか、ではこれから私はどう致しましょう」
「あなたが望むように、あなたの一族の運命は私達から切り離されるのです。あなたはもう咎人ではない」
「…………」
「ちょうどあなたに伝令を送ろうと思っていたの、こうして来てくれて手間が省けたわ。それから理由がなんであれ、あなたを咎める事は一切ありませぬ。そもそもあなたは善をなしただけなのですから、咎める理由もまたないのです」
「……寛大なお言葉痛み入ります」
「ですから、ここからはただの知り合いとして話しましょう。お座りになって」
それから彼女はボロミアを森で拾った次第や、送り届けた後の色々な話、彼が彼女が帰るのを待ってくれていることを話しました。
奥方は孫の恋路を見るように、親近感をわかせながら彼女の話を聞き、時折乙女のように声をあげて楽しみました。
奥方はシリウルが小さかった頃から彼女の面倒を見て下さり、久方ぶりの子供を本当の家族のように扱ってくれていました。
彼女が先祖を忌んでいたのは、奥方様を大切に思っていたからでもありました。
奥方様の親族や友人の多くがマイグリンの裏切りをきっかけに死したからです。
それも今は、負の感情は持っていませんでした。
ひとしきり話終えると、奥方様は今度は詩を所望しました。彼女はシリウルの作る素朴な詩をよく好んでくれていたのです。シリウルはアノリアンの草原の詩をその場で作りました。
馬をかけさせたるは広きアノリアンの野原
踏みしめるたびに草花のにおいが安らかに鼻をかすめる
北を流れるアンドゥインの川の音のなんと清廉なこと
古い太鼓を叩くように轟 心と体に染み渡り 深い眠りの帳を閉じてくれる
穢れた者が入れぬほどに深く強大に 優しき者には冷たい水の祝福を
山に沿えば影が身を隠してくれる
草原をかければ飛ぶように身軽く
木々の中は丁度よく冷えている
「可愛らしい歌ですわね」
「あの景色を見た時の、私の純粋な気持ちを語ったのです」
「……あなたが指輪の一行の者と恋に落ちるとは思っても見ませんでした。あなたの運命はエルフのものと色濃く結び付けられている、元より全く無関係ではありませんでしたけど」
「一つの指輪がアモン・アマルスに投じられれば悪も力を失いますが、奥方様も同時に力を失われるからですね。そうなれば私の森も白日の元に晒されることになるでしょう」
「ええ、そうです。吉ばかりではないエルフの運命を、人間として生きるあなたに背負わせたくはなかったのですが。あなたの屋敷にある宝は私達がヴァリノールに持ち帰りましょう。人の世にもう悪の種を持ち込みたくないのです」
「わかりました」
「森の整理が終わったら、あなたは闇が完全大人しくなるまでゴンドールに居た方がいい。力が完全に失われた時のここよりは安全ですが、用心するに超したことはないでしょう」
「全て、言う通りに致します」
「……あなたと心置き無く話せなくなるのは寂しいですわ。あなたは私達に並んでも劣らないほどの知識ある者ですから」
「いえ、そんな、私などひよっこに等しいです」
「謙虚が過ぎるのは良くないわ。そう、暇があればわたくしに慰めの詩を送ってくださらないかしら。あなたの言葉選びはエルフにはない新鮮なものばかりですもの」
「奥方様が望まれるならいくらでも綴ってみせましょう、出来ましたらスールロスに預けます」
「楽しみにしています」
ーエピローグー
夏至の前夜、満天に光った星々にも劣らぬ輝かしい一行が到着しました。待ちに待った夏至当日に、エレスサールが長い時を得てアルウェン・ウンドミエルと婚礼を上げました。盛大に祝われ、輝かしい人達にまた、勝るとも劣らぬように都は美しいもので着飾られました。
そして、その中でもう一つ婚約並びに婚礼が交わされようとしていました。
養父であった、ケレボルンと、養母であるガラドリエルの双方に守られて、エルフの中でも変わらず美しくシリウルが壇上に佇んでいました。
彼女はボロミアが送った深緑のドレスと、更にエルフから送られたのか宝石の混ざったチェーンがかけられたヴェールで髪から背にかけてを包んでいまして、輝かんばかりでした。
ボロミアもまた美しく、そして彼の威厳を引き立てる立派な装束に身を包んでおりました。彼は階段で深く跪いて礼を取るとそのままこう言われました。
「———ドレン・グラドの館の主、マルアダンの子シリウル・シンアダンとの婚約をお許しを、あなた方ローリエンのエルフの王と、女王の養親に求めます。私はかつてこの国の前執政を担った、デネソールの子ボロミアにございます、何卒ご一考を」
「許します、その代わりあなたは私の義理の娘をしかと守り愛すことを誓いますか?」
「誓います。何があっても私の愛する者は彼女ただ一人です」
「あなたは私、そして私の夫の許しを得ました。これを以てあなたは花嫁を迎えなさい」
奥方がそう言われると、シリウルが一歩前に出ました。ボロミアも身を起こしてゆっくり、手触りの良い絨毯が並べられた階段を上がりました。彼女の目の前に出ると、そっと笑んで彼女の手を取りました。
そうすると先程王の婚礼で聞いたような割れんばかりの拍手喝采が、彼らに注がれました。これにてゴンドールの執政の長子は、漸く妻を得ました。
民達は交わされた二つの婚礼を大いに喜び、二つそれぞれに涙しました。