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言い忘れ。
澪、好きだよ。
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目にした瞬間、今度は膝の力が抜けて、しゃがみそうになった。
ドアが開き、ホームに降りる乗客に押し出されるけど、私はまともに歩けない。
頭の中でレイの声が聞こえる。
じわじわと体が温かくなって、叫びたくなった。
……大丈夫。
レイがそう言ってくれるなら、私は大丈夫だ。
寂しくても、きっと頑張れる。
階段を下り、改札を出たところで、私は大きく息を吸い込んだ。
生徒たちが通り過ぎる横で、立ち止まって指を動かす。
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私もレイが好きだよ。
ずっと大好きだよ。
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***
今思えば、レイとのやりとりが幸せだったのは、最初の一週間だけかもしれない。
大学生活が始まると、彼は本当に忙しいらしく、なかなか連絡をもらえなくなった。
やりとりの頻度は減っても、最後に『好きだよ』と言ってくれるのは変わらない。
だけどメールを読んで、頭でレイの声がする度、胸が締め付けられる。
それが寂しさにかわって、どんどん降り積もってしまうのは、私のわがままなんだろうか。
庭の金木犀が香る頃には、メールは週に一度くらいになった。
レイがいなくなってから、海外から何組かゲストを迎えたけど、その度に思い出すのは彼のことばかりだ。
最近だと、レイといた3か月が、もう遠い昔か夢のように感じる。
季節はさらに移ろいで、文化祭が終わると、クラスは受験一色になった。
みんな目の前の勉強に必死だし、私は私で、12月にあるTOEICの試験に向けて勉強していた。
今日は火曜日。
学校帰り、私は公民館に寄って、けい子さんが受け持つ中学生のクラスのお手伝いをしていた。
授業が終わって椅子を重ねていると、先に部屋を出ていたけい子さんが顔を覗かせた。
「澪、ちょっと」
「はーい?」
手を止め振り返ると、けい子さんと知らない女の人が入ってきた。
「澪、こちらは前同じサークルだった山口さん。
今は都内で英語教室の理事をしているの」
私が「こんばんは」と軽く頭を下げると、山口さんも私に会釈した。
「こんばんは。
野田さんに、澪ちゃんが英会話の講師を目指してると聞いたの。
もしよければ、うちの来年度の採用試験を受けてみないかと思って」
「えっ。本当ですか!?」
私はまだ就職活動らしい就職活動を始めていない。
まさかの話に、私の声はうわずった。
「ええ。試験はほかの希望者と一緒になるけど。
それでもよければね」
そう言って、山口さんは私に白い大きな封筒を差し出した。
「募集要項はこれよ。
もし興味があるなら連絡をちょうだい」
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
思わず笑顔になる私に、けい子さんも山口さんも笑ってくれた。
「澪、ここはいいから先に帰ってて。
私は山口さんと少し残るから」
「うん、わかった。
ありがとうございます! 失礼します」
礼をして教室を出た後、私は封筒を大事に鞄にしまった。
どうしよう。すぐレイに言いたい。
メールを打とうとした時、ふと曲がり角の先に目が移った。
あの先に、レイとのぼった廃ビルがある。
スマホを握りしめたまま、私の足は自然とそちらに向いた。
軽い気持ちだった。
今は嬉しくて、レイに話したいことがある。
あれ以来訪れなかった場所に、勝手に足が向いた理由はそれだった。
だけど角を曲がった瞬間、大きく目を開く。
あのビルがなかった。
そこは更地になっていて、前に「立ち入り禁止」の看板が見える。
(え……)
私は信じられない気持ちでそこに近付いた。
目の前の光景と記憶が結びつかず、しばらく呆然とする。
ここにくもったガラス戸があって、入口は真っ暗で。
そこを抜けた鉄扉の向こうに、外階段があった。
それをのぼって、屋上で感じた風の涼しさ。
掴んだ手すりの錆びた感触をはっきり覚えているのに、浮かんだ途端に、目の前の光景が上書きしていく。
私は縋るように上を見上げた。
だけど見上げた空はビルに挟まれていて、星も見えない。
スマホを握る手が震える。
向かいから風が渡った。
あの時屋上で感じたのとは違う、刺すように冷たい風だった。