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(……あれ、あの子、名前なんだっけ?)
教室の後ろから、ひそひそと声がした。
視線を向けると、数人の女子がこっちを見ていた。
私を見ている。でも、明らかに“知ってる顔”を探すような目だった。
(……ねえ、“ひより”だよ。柊木、ひより)
そう思っても、声には出せない。
口を開けば壊れる気がして、ずっと黙っていた。
翌日。
国語の授業で先生がふと話題を振った。
「じゃあ、ひよりちゃん、この言い回しの意味わかる?」
教室が静まりかえった。
先生は困ったように言い直す。
「……あれ? ひよりちゃんって、今いないんだっけ?」
生徒の一人が手を上げる。
「“ひより”なら、芸能コースでしょ? たしか別室じゃないですか?」
別室──そんなもの、あるはずがない。
私の席は、ここにある。ずっと変わっていない。
でも、そこに私が座っているのに、誰も違和感を覚えない。
放課後、下駄箱で誰かが言った。
「あの子さ、誰だったっけ。ほら、1年のとき同じクラスだった……えっと……」
「えー? ひよりって、転校生じゃなかった?」
「いや、なんかもう一人いなかった? 地味な子……」
私の名前は出なかった。
“いたような気がする”
“たぶんそういう子だった”
──私という存在は、過去のノイズになっていた。
夜、実家に帰った。
家族は、私に気づかない顔でリビングにいた。
テレビの中では、“ひより”がバラエティ番組で笑っていた。
「最近ほんとに売れてるわよねぇ、柊木ひよりちゃん」
母のその言葉に、私は声が出なかった。
私を育てた人が、私を見て“他人”と笑っていた。
(……じゃあ、私は誰?)
玄関に立ち尽くしたまま、私は静かに靴を脱ぎ、また履いた。
ひとことも発せず、家を出た。
歩道橋の上で、スマホを開いた。
《アカウントを再作成しますか?》
表示された白い画面を見つめながら、私はつぶやく。
「……名前、なんだったっけ」