テラーノベル
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駅前のロータリー。夕暮れが人の顔をぼやかして、世界が少しだけ静かに感じた。
「柊木……ひより、ちゃん?」
振り返ると、そこにいたのは──たしか、中学のとき同じクラスだった男子。
名前も思い出せないくらい、存在感の薄い彼が、少し驚いたように笑った。
「俺さ、ひよりちゃんのこと……ちょっと好きだったんだよね、昔」
突然すぎて、何も言えなかった。
けれどその目は、たしかに“私”を見ていた。
「今すごい有名になってるでしょ? SNSとかでもバズってるし……あ、でもごめん。なんか雰囲気違うな」
彼は首をかしげたあと、申し訳なさそうに付け加えた。
「……やっぱり別人か。似てたんだよね。あの“ひよりちゃん”に」
(私なのに……)
心の中で、何度も叫んだ。
でも言葉にすれば、壊れそうだった。
彼はそのまま、手を振って歩き去った。
私は何も返せなかった。
──
ネットカフェの個室。
薄暗い照明と、静かな空気だけが落ち着いた。
ここで、一週間を過ごした。
家にも帰らず、学校にも行かず、誰にも会わず。
ただSNSのタイムラインと、“私じゃない私”を、延々と見続けていた。
食べるものもろくに口にせず、スマホを握っていた手には、跡がくっきり残っていた。
(このまま消えたら、誰か気づくのかな)
けれど通知もメッセージも来なかった。
“ひより”という名前は、私を必要としていなかった。
──
意を決して、実家へ戻ってみた。
もしかしたら──家族だけは、何かを覚えていてくれるかもしれない。
けれど、インターホンを押しても応答はなく、ドアをノックすると、ゆっくり開いた。
「あ、どちら様?」
母が顔を出した。
でもその目は、完全に“他人”を見る目だった。
「……あの、ひより……です」
かろうじて名乗ると、母は眉をひそめた。
「ひより? うちにそんな子、いないけど……」
そのまま、そっとドアが閉じられた。
中から父の声が聞こえる。
「誰だった?」
「さあ……間違いじゃない?」
(……うそ)
胸の奥がギュッと潰れる感覚。
冷たい夜風が、肌より先に、心を冷やした。
──
翌朝、学校。
教室に足を踏み入れても、誰一人こちらを見ない。
「おはよう」と声をかけようとしても、その声は空気に溶けて消える。
先生が出席を取り始める。
「えっと……今日は、全員出席……かな?」
「はい、誰も休んでませーん!」
元気な声が返る。
私の席には、誰も座っていないことになっていた。
私は、そこにいるのに。
──
職員室へ行ってみても、担任は私を見るなり首をかしげた。
「え……ごめんなさい、どちらの生徒さん?」
(先生……私の担任でしょ)
声は出せなかった。
出してしまえば、自分でも自分が壊れてしまう気がした。
──
昇降口。靴箱の前で、すれ違った生徒たちの声。
「ねえ、今すれ違った人、誰か知ってる?」
「えー? 他校の子じゃない? オーラなさすぎ」
笑い声が遠ざかる。
スマホの画面を開けば、“柊木ひより”の最新投稿が流れてくる。
綺麗に整えられた虚像──あの子の笑顔が、世界に広がっている。
私は、そっとつぶやいた。
「……私、ほんとにいたのに」
でも、もう“ひより”と呼ぶ声は、どこにもなかった。
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