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さほどひどくはなかったけれど、しとしとと雨は降り続いていた。
傘をさして歩いていても、気付けば衣服は湿気を吸い取り、肌に貼り付くような感覚がしてなんとも気持ちが悪かった。
僕と鐘撞さんは並んで歩きながら校門をあとにすると、長い山の下り坂を、幹線道路に向かってとぼとぼ歩く。
「久しぶりですね、ふたりで並んで歩くの」
不意に鐘撞さんが口を開いて、僕は首を傾げながら、
「そうだっけ?」
そう言われてみればそうかも知れない。はて、あれはいったい、いつのことだったか。
「そうですよ」
と鐘撞さんはくすりと笑んで、
「最初は、たしか私が入学してしばらくしてからだから――ちょうど一年くらい前ですね。梅雨に入る前だったと思います。井口先生からホウキでの登校を禁止されて、久々に歩きで登校してた途中に、先輩から声をかけられたんですよ」
「あぁ、そういえばそうだったね」
そうそう、思い出した。確かあの日、いつものようにのんびり歩いて登校していたら、息も切れ切れの様子で苦しそうな鐘撞さんを見つけてついつい声をかけてしまったのだ。
普段からホウキに乗って移動していたらしい鐘撞さんは、徒歩でかかる時間を見誤ったらしく、遅刻しそうだったので必死に走ったのだとか。日頃の運動不足も相まって、まともに走ることもできなかったという。
「あの時初めて遅刻なんてしましたよ、わたし」
「こちらの世界へようこそ」
「それ、あの時も言ってましたよね?」
「そうだね。いまじゃぁ、僕と真帆にそそのかされて、すっかりこっち側の世界の住人じゃない」
「わたしはおふたりほど遅刻なんてしていませんので」
「確かに。鐘撞さんは真面目だからなぁ」
「おふたりが遅刻し過ぎなんでしょ」
と鐘撞さんは呆れたように口にしてから、
「あ、でも、最近はそうでもないのか」
「だね。一応受験に向けて、最後の年くらいは遅刻しないように頑張ってるよ。もう、手遅れかも知れないけどね」
「先輩は、もう進路先決めてるんですよね?」
「いや? まだだよ?」
「えっ」鐘撞さんは眉間に皴を寄せる。「まだなんですか?」
そんな顔されたって、僕だって困るんだけどなぁ。
「一応大学に進学するってのは決めてるんだけど、なんせ遅刻は多いし、まともに授業出てなかった時期もあったし、部活もしてないし、内申点的にどうなんだろうなって。テストの点はまぁまぁ良いんだけど、結局は直前で勉強して挽回しているだけだから、身についてるかどうかは別問題なんだよね」
「井口先生には相談してるんですか? 担任ですよね?」
「相談……ってほどじゃないけど、たまに話はしてる。いくつか候補も出してはもらってるんだけど、ほら、だいたいが全魔協――全国魔法遣協会の人が関わってるところらしくてさ」
「嫌なんですか?」
首を傾げる鐘撞さん。
鐘撞さんのおうちは魔法使いの家系でありながら、他の魔法使いのことを信用していないらしく、全魔協には加入していない。なので、てっきり鐘撞さんも全魔協にはあまり良い印象がないような気がしていたのだけれど、別にそういうわけでもないらしい。
まぁ、たぶん、真帆や井口先生、それにアリスさんと関わってきたことで、抱いていた印象が払しょくされてしまったのもあるのだろう。
「嫌、ってわけじゃないけど……」
「じゃないけど?」
「……この二年、魔法に関わって色々あったからさ、大学くらいは魔法から離れてゆっくりしたいよね」
「あ、あぁ」と鐘撞さんも口元に苦笑を浮かべて、「確かにそうですよね。私も、去年の夢魔の一件は人生最悪の出来事でしたし」
「でしょ? だからね、井口先生の勧めてくれた大学にして大丈夫なものか、他にすべきか、真剣に悩んでるんだよね」
「そうなんですね」
肩を落とし、はてさてそろそろ話題を変えようか、と思っていた、その時だった。
びゅおおぉぉぉぉ――――っ!
もうすぐ下の幹線道路に出ようというところで、坂の下から上に向かって、噴き上げるような突風が吹き荒れたのである。
「――きゃあぁっ!」
鐘撞さんが可愛らしい悲鳴を上げて、ぶわりと風をはらんで捲れ上がったスカートを慌てた様子で押さえつける。
……ハーフパンツを履いてくれていて、本当によかった、と僕は心底思いながら、
「大丈夫?」
「あっははは……」鐘撞さんは軽く笑ってから、「良かったです、ちゃんと履いてて」
あ、同じことを考えたらしい。そりゃそうだよね。
と思っていたら、
びゅおおぉぉぉぉ――――っ! びゅおおぉぉぉおおぉぉん――――っ!
さらに強い突風が下から上から右から左から吹き荒れて、僕も鐘撞さんもあっと思った時には傘を吹き飛ばされていた。
おかげで四方八方から雨の水しぶきを浴び、全身びしょ濡れ状態である。
「な、なんだよ、これ!」
「せ、先輩! わたしに掴まってください!」
呼ばれて鐘撞さんに眼を向ければ、僕に向かって右手を伸ばしている。
それを見て、僕は再びぎょっとした。
彼女の濡れそぼったシャツは肌に貼り付き、下着のラインや色までもが完全に透けて見えてしまっていたのである。
僕はなるべくそれから目を逸らしながら、必死に彼女の右手を取った。
そして次の瞬間、僕らの全身はぶわりと煌めく光に包み込まれた。
するとどうだろう、先ほどまで僕たちを襲っていた雨風が途端に止んだのである。
――いや、正確には止んだのではない。
鐘撞さんが魔法で作り上げた風の球体の中に、僕らが入り込んで身を守っているような状態になったのだ。
「す、すごいじゃない、鐘撞さん」
「で、でも一時しのぎです」鐘撞さんは苦しそうな表情で、「長くはもたないかと……」
いったい、この吹き荒れる突風はどこから。あまりにも不自然すぎやしないか?
もしかして真帆がどこかに隠れていて、また妙な嫉妬でイタズラでもしてるんじゃ――
僕は辺りを見回し、その影を探した。絶対どこかに潜んでいるはずだと思って。
そして。
「か、鐘撞さん、あそこ!」
「え? どこですか?」
「上! 空の上!」
「空?」
鐘撞さんとふたり空を見上げれば、そこには空中に浮かぶ人の姿があって。
「――あれ、誰でしょう」
「真帆じゃない?」
「いえ、そんなはずないです。真帆先輩はあんな一カ所にじっとしてられるほどホウキの運転は上手くありませんから」
まぁ、それが僕の空酔いする理由なのだけれど――だとしたら、アレは?
「行ってみましょう」
言うが早いか、鐘撞さんは通学鞄の中から彼女愛用のホウキを取り出す。
っていうか、いったいその鞄のどこにそんな余裕が? きっと魔法なんだろうけど。
「行くって、アイツのところまで?」
「はい!」
「大丈夫なの? 怖くないの?」
すると鐘撞さんはふっと笑んで、
「去年の夢魔に比べれば、全然大丈夫です!」
……強くなったもんだなぁ、鐘撞さんも。
「先輩はどうします? ここに残りますか?」
「……いや、僕も一緒に行くよ。アレが誰なのか、確かめたいし」
「じゃぁ、わたしの体にしっかり掴まっていてくださいね」
僕は頷き、ホウキに腰かける鐘撞さんの後ろに跨って、彼女の腰を強く抱く。
それからふと、口にしていた。
「……真帆には内緒にしてね」
「当たり前じゃないですかッ!」
力強い返事に安堵しながら、僕は鐘撞さんとともに、ふわりと上空に浮かび上がった。
風の球体はやや弱まりながらも、僕らとホウキを包み込んだまま、ぐんぐん空へと上っていく。
やがてその人影のすぐそばまでのぼったところで、僕はその人影に声をかけた。
「こんなところで何してるんですか!」
「――あぁん? 誰だ、てめぇら」
ご機嫌麗しそうにくるりと振り向いたのは、額に青筋を立てて煙草を咥えた、怒り顔な妙齢の女性だったのである。