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心なしか、軽い足取りで、大学に向かう電車に乗ることが出来た。
あの後、あや君にゆず君が尋ねてきたことや、ゆず君の状態。そして、何があったか、生々しくならないようにだけ気をつけて、話を聞いて貰った。その最中、あや君は、うん、うん、と否定しずに、最後まで話を聞いてくれて、「兄ちゃん辛かったね」と、全部を受け止めてくれた。こんな兄気持ち悪いんじゃ無いかと思っていたから、その言葉一つで救われた。改めて、あや君の愛情深いところや、人の話を真剣に聞いて受け止めてくれるその姿勢が好きだなと思った。最近、ゆず君の事ばかり考えていたから、ちゃんと弟のことも考えてあげなければと、実感はさせられたが。
すいている電車に乗り込んで、珍しく席に座ることが出来たので、俺は、今日はあや君の好きなものにしようと考えて、電車に乗り込んでくる他の乗客達を眺めていた。電車といえば、最初にゆず君にされた『お願い』のことを思い出す。痴漢されてきてくれ、なんて、何を言い出すんだと思ったけれど、あれを乗り越えて、一線越えちゃって今があるから、今では嫌だけど良い思い出だと思う。勿論、痴漢されたことでは決してないけれど。
(……ゆず君に会ったら、何を話そっかな)
まずは、謝ること、誤解を解くこと。もう、ゆず君は冷静だから、きっと話を聞き入れてもらえるんじゃないかっていうのは確率が上がっているし、俺も俺で、昨日、冷静じゃなかったこともあって、上手く喋れなかった。恐怖が残っているといえば、本当にそうで、今でも、思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。
いくらかマシになったのは、あや君のおかげだ。
そうやって考えているうちに最寄り駅について、電車を降りる。わらわらと降りていく人混みの中に、見慣れた二人組を見つけた。
「おはよう、あずゆみ君……と、ちぎり君」
「おはようございます。先輩」
ぎこちなくなってしまったのは申し訳ない。でも、あの人混みの中でばっちりと目が合ってしまい、もしかして? という疑惑が心の中をはって回ったから。このまま話して良いものなのか、疑惑を向け続けるのも嫌だなあ、何て思いながら、俺は、後輩のあずゆみ君とちぎり君に近付いていく。
あずゆみ君は俺が近付くと、軽く会釈をして、挨拶を返してくれる。ちぎり君は言うと、一瞬意味深な笑みを浮べた後、何てこと無いように「おはようございます」なんて、いつも通りに挨拶を返してくれた。ほっと、何処か、胸をなで下ろしつつ、昨日のは嘘だった、見間違いだった。ちぎり君が邪悪な笑みを浮べるはずがない、と言い聞かせて、おはよう、と返す。
「先輩、寝不足ですか」
「うーん、ちょっとね。でも、大丈夫。あずゆみ君ありがとう」
「なら、いいんですけど……倒れそうなくらい、顔色悪いんで」
「そんなに?」
「いいすぎたかも知れません」
と、頭をかきながら謝ってくるあずゆみ君。
そんなに、顔色が悪かったのかと、俺は、自分の頬を抓ってみた。こんなの、夢か夢じゃないか確かめるときにする事じゃないか、なんて自分でツッコミを入れていると、「紡先輩」とちぎり君に名前を呼ばれる。自分でも、びくってしたって分かるほど、身体が過剰に反応してしまった。脳で、誤魔化そうと思ったけれど、やはり身体は正直だった。警戒心が払い切れていないのだ。
ちぎり君は、眉を下げて、悲しそうなかおを見せる。そんな顔が見たいわけじゃ無かった。
(矢っ張り、ちぎり君は良い子だよ。良い子だよね)
そう、どうにか自分を取り繕いつつ、何? と、精一杯の優しい声色で、訪ねる。ちぎり君は言いにくそうに、口をもごもごとさせながら、いう。
「すみません、先輩。財布見つかりました」
「何処にあったの?」
「あの路地を通ったのは、間違いなかったんです。それで、ゴミ箱に捨ててあった……付近に落ちていたんです」
「中身は?」
「大丈夫でした。学生書が入ってたので、心配してたんですよね。お騒がせしました」
と、最後にはいつもの調子で、にこりと笑ったちぎり君は、やはり俺のしているちぎり君だと思った。話しについて行けていないあずゆみ君は、ちぎり君から昨日何があったか問い詰めるように聞いていたけれど、なんだかんだ、二人はしっかり話すんだなあと感心してしまった。やはり、二人は特別仲が良いわけでも、悪いわけでもないのだと。
後輩二人が、仲良く話しているところを見ると、先輩として誇らしかった。
そんな風に、二人をみていれば、ヴーヴーとスマホのバイブ音が鳴る。尻ポケットから取りだしてみれば、そこには、ゆず君からの新着メッセージが入っていた。通知をちらりと見れば、「今日会えませんか」の文字と、その後につらつらと、何時、とか場所は、とか書かれていた。
もしかしたら、今日はあや君のご飯を作ってあげられないかも、とゆず君のメッセージを確認した後、俺はすぐさまあや君に連絡を入れた。あや君は、そういうことなら、友達の家に泊めて貰うと、それから「頑張れ」とスタンプをおくってくれた。それに、勇気づけられながら、俺はクスリと笑って、スマホの電源を切る。
「どうしたんですか。紡先輩」
「ううん、何でもないよ。ちぎり君」
「嬉しそうですね。いいことがあったみたいな、そんな顔してます」
「いいこと……なのかな。まあ、でも、うん。仲直りできそう」
俺がそういえば、何かを察したようにちぎり君は「それは良かったです」と微笑む。あずゆみ君は矢っ張り、話しについて行けないようで、大学にいくまでずっと頭にハテナマークを飛ばしていた。