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蹴ったサッカーボールは帰って来ない。一人きり。寂しそうにボールが転がっていた。
このボールも行き先を知らないのだろうか。俺みたいに。今後の将来が不安で不安で仕方がない。怖い。一人きりのボールを見つめて考えていた。
「お!そーらっ!」俺の名前を呼んだ、知ってるようで知らない。そんな声が俺の背後から聞こえてきた。
俺は振り向いた。
「久しぶりっ!」それは白衣を着た先輩だった。あのキムタクの先輩。格好良い先輩。
「先輩…」駄目だ。先輩とはもう会いたくなかった。俺はあのサッカー部に情けをかけてしまったから。止めたくても止められない涙を無我夢中で拭った。
「宙!? どーしたの 、」俺を包みこんでくれるような優しい声。先輩の声は最後に会ったときより少し声変わりしていた。
「俺…」俺は事情を話した。サッカーが関東大会まで行けなかったこと。俺は教師になること。それは本当は嫌なこと。ほとんど聞き取れないような涙声で、聞き取れるはずもないのに先輩は、俺に寄り添って頷いてくれた。
「僕はね、今したかったことしてるよ。」 俺の話の後に先輩は答えた。
「俺も本当は大学行こうって思ってたんだけど、もっとしたいことが見つかったから。」
「宙はさ、好きなことしていいんだよ。」俺の手を取って握った。先輩の手は俺の手より数段も暖かかった。
「好きなこと?」オウムのように言葉を返した。涙のせいか、声が思うように出なかった。
「うん。」
「自分を愛せるのは自分だけだから。」
先輩のあの言葉には今も、今でも温かみを感じられる。俺の心にずっと残っている。
この河川敷であの時、先輩にボールを渡した。もっと自分の未来を考えてみたい、という理由で。先輩は笑顔で薄汚れたボールを受け取ってくれた。
今となってはそのボールは元々の居場所に帰ってくるように俺の足元に転がっている。薄汚れたボール。あの時と一つも変わらない。ボールは変わらないのに俺のもとには帰ってきてくれたんだな。やっぱり先輩のおかげだ。
ボールを手に取り、まじまじと見詰め抱き締めた。“おかえり”声になれない声はボールには届いた。きっと。それは俺のボールだから。
ぽろぽろと湧き出る涙は拭わない。拭うことがボールに失礼だ。俺は長い間置いてきぼりにしていた。“ごめん。”“ごめんな。”
俺のだいじな モノ が帰ってきたんだ。
俺の涙が一段落着いた時、俺は二人の方を見た。二人で顔を見合わせて口パクで“よっかたね。”“よかったですね。”と言い合っていた。俺の視線に気づいた先輩が俺の方に向かって歩いてきた。そして先輩は口を動かした。
「宙。好きに生きていいよ。」何かもわからない重圧に耐え凌いで生きてきた。そんな重圧を先輩は粉々に打ち消した。一瞬にして。
涙の玉の大きさと数は次々と増えていった。」
よかった。本当に良かった。これは私の勘だけど、柴田さんの声帯障害はもう起こらないだろう。きっと社長も私と同じように思ってる。
「さ、米田くんもそろそろ帰ろうか。」鼻を赤くして一応泣き止んだ柴田さんの顔にはもう暗い一面はどこにもない。
「はい!帰りましょう!」
柴田さんには幸せになってほしい。私と一歳しか年が変わらないと言っても、私より年下だ。柴田さんと同じように悩むことがあったし。人は悩みすぎるから。人は思ってるより弱いから。人によるけど人って本当に弱い。私達は弱い人々を少しでも元気づけて、明るくして、幸せにしたい。そんな私達の想いが柴田さんには届いただろう。
私達は柴田さんの家まで送った。
「宙。声戻ったら、また家の事務所来てね。」柴田さんは頷いた。
「柴田さん。できるだけ体調に気をつけてくださいね。」また、彼は頷いた。
「じゃまた。」私と社長はぺこりとお辞儀をした。
しばらくすると、私達の背後から機械音が聞こえた。
「あの…」私達は振り返った。
「あっ…が…ますっ」“ありがとうございます”カスカスでほとんどの部分が声を出せられていなかったけど、柴田さんの声だった。私も驚いたけどもっと驚いていたのは社長だった。
社長は息を吸った。
「宙ーっ!御前ならできるぞっ!」大きな声でいつもの社長とは違う。“親友”という社長。
彼は首いっぱいに頷き、深々とお辞儀をした。このお辞儀は私達が見えなくなるまで続いていた。
事務所に着いた頃にはとっくに定時なんか超えて、時計は7時を指さしていた。
「今日は仕事したね。」社長はコートをかけ、珈琲を飲もうとしていた。
「ですね。二件もですから。」私は帰る気満々で身支度を始めた。
「明日も同じ時間に来ます。」
「うん。お疲れ様。」私も言葉を返し、事務所を出た。
「うーん。疲れた!明日も頑張るぞー!」
私にはいつもどおりの朝がやってくる。 平凡でちょっぴり忙しい幸せな日々が。