大和さんの家を出た私は、言葉通り龍也の実家に連れて行かれた。
「本当はお前の実家に先に行くのが筋だろうけど」
タクシーの中で、龍也はそう呟いた。
私はそれを、龍也の両親に反対される可能性があるから、と読み取った。
だから、彼の実家を前に、私の緊張はピークに達していた。
子供が産めない嫁なんて、きっと反対される――。
龍也はひとりっ子だ。
当然、私と結婚することで、龍也の両親は孫を抱けなくなる。
「龍也、やっぱり――っ!」
私の言葉を予想してか、龍也は実家の玄関前で私に口づけた。
「あきらは、俺の隣で笑っていればいいから」
断固とした声色に、私はそれ以上何も言えなかった。
龍也を求めるなら、必死で頭を下げるくらい、当然のことだ。
そう覚悟を決めて、私はインターホンの音を聞いていた。
タクシーの中で、龍也がお母さんに電話をしていたから、在宅なのは確か。
――っていうか、そもそもこんな急に押しかけるとか、非常識過ぎない?!
今更だ。
灰色の扉がゆっくりと開く。
私には、審判の門、のように思えた。
「はーい! いらっしゃい」
穏やかな微笑みで迎えてくれた女性を見て、龍也に似てるな、と思った。
「急に、ごめんな」
「ホントよ、もう! 全然顔を見せてくれないと思ったら、急に――」
僅かに頬を膨らませて、可愛く怒る龍也のお母さんは、私に視線を移して言葉を止めた。
「――いらっしゃい」
「初めまして。急にお邪魔して――」
「――いいのよ。どうせ龍也が無理を言ったんでしょう? さ、入って?」
通されたリビングには、龍也のお父さんがいた。ソファに座って新聞を広げているが、恐らく、たった今開いたようだ。
『一緒に暮らしたことがないから、母親の旦那、としか思えない』と、龍也が言ったことがある。
だから、養子縁組はせず、龍也は自身の記憶にない父親の姓である『谷』のまま。
「やあ、いらっしゃい」
「すみません、急にお邪魔して」と、龍也が他人行儀に頭を下げた。
「いや、そんな、いつでも帰って来てくれていいんだよ」
お父さんもまた、ぎこちなく言った。
「コーヒーでいい?」と、お母さんが割って入る。
お母さんに促されて、ダイニングに場所を移す。
私はコーヒーの湯気を見つめ、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
龍也が背筋を伸ばす。
「父さん、母さん。彼女は桑畠あきらさん」
紹介されて、私は頭を下げた。
「彼女と結婚します」
龍也の言葉が、鼓膜の奥で繰り返される。
嬉しかった。
ただ、嬉しかった。
じわっと目頭が熱くなり、目の前のマグカップが滲んで見える。
「それは、おめでとう!」
お母さんの弾んだ声に、我に返る。
「あの――っ」
「ありがとう」
私が切り出す前に、龍也が言った。
「その上で、二人に知っておいて欲しいことがあるんだ」
龍也の右手が、私の左手を握る。
強く、痛いほど強く。
『大丈夫だよ』と言われているよう。
「あきらは、過去の病気が原因で子供が出来ないんだ」
「え――?」
反応を見るのが怖い。けれど、ここまできて、怯えて俯いていることなんて、出来ない。
私は、龍也と生きることを選んだんだから――!
「だから、二人に孫を抱かせてあげることは出来ないけど――」
「――お二人には、申し訳ないと思っています」
出来るだけ冷静に、けれどハッキリと言った。声が震えていることに、気づかれなければいいと思う。
私は、私の手を握る龍也の手を、握り返した。
強く、強く。
目を見開いて瞬きをするお父さんとお母さんを真っ直ぐに見つめた。
「私は子供を産めないけれど、それでもっ、どうしても龍也さんと結婚したいんです。すみません。お願いします! 龍也さんとの結婚を――」
「――謝るな!」
横から、ビックリして言葉を忘れるほどの声量で飛んできた言葉に、私は思わず呼吸を忘れた。
「あきらは何も悪くない。謝るな」
龍也は険しい表情で私を一瞥してから、正面を向く。
「俺があきらの身体のことを言ったのは、あくまで報告だから。そのことで謝るつもりもないし、許しを貰おうとも思ってない。ただ、知っておいて欲しかっただけです」
「龍也……」
「だけど、きっとあきらとあきらの家族は心配するだろうから――」と言うと、龍也は私の手を離し、ポケットから皺の寄った婚姻届を取り出した。
「これを書いて欲しくて」
お父さんとお母さんに向けて、広げた婚姻届を差し出す。
お母さんは届をじっと見て、何か言いたげに顔を上げた。が、言うことはなかった。
お父さんが、ペンの場所を聞いたから。
お母さんがペンを渡す。
「私が書いてもいいかな」と、お父さんが龍也に聞いた。
「お願いします」と、龍也。
「いいかい?」と、お父さんは、今度はお母さんに聞く。
「お願いします」と、お母さん。
お父さんは承認の欄にペンを走らせた。
私たち三人はそれをじっと見ていた。
「ありがとうございます」
ペンを置いたお父さんに龍也が言った。私も、お礼を言った。
「それで――」と、タイミングを見計らっていたお母さんが言った。
「――あきらさんの病気は、もう治ったの?」
「ああ」と、龍也が答えた。
「子供は産めなくなったけど、完治してる。病院にも通ってない」
「そう」
お母さんは安心したように、息を吐いた。それから、頭を下げる。
「あきらさん、龍也のことをよろしくお願いしますね」
「いえっ、こちらこそ、よろしくお願いします」と、私も頭を下げる。
「小さい頃から物分かりの良い、手のかからない子だったけれど、本当は人一倍寂しがりなの。どうか、末永くそばにいてやってください」
「そんなっ――、私こそ……、こんな私を……――」
私が悪いわけじゃない。
それはそうなのだけれど、それでも、龍也のご両親には謝っても謝りきれないし、感謝してもしきれない。
そう思うと、涙が止まらなかった。
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