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実際、春凪はなはもう少し自己本位でもいいのにと常日頃から僕も感じるぐらい周りに気を遣う女性だ。

クソ男に襲われて自身がボロボロになっていた時でさえ、坂本さんゆうじんのことを気にしていたくらいだから。


そんな彼女が、仕事を続けていて妊娠時にありがちな体調不良を訴えたりすることが出来るのか?と問われた僕は、何も言えなくなってしまった。



「それで〝織田おりたの嫁〟って言葉が出たわけか。柴田さん――じゃなくて春凪ちゃ……、っと嫁さん本人はどう言ってんだよ」


目の前の明智あけちが、「柴田さん」呼びを避けて「春凪ちゃん」と呼びそうになったのを、すぐさま睨みつけて制したら「嫁さん」と当たり障りのない呼び方に路線変更した。


僕だって明智が坂本さんと付き合うようになってからは〝ほたるさん〟と呼ぶのをやめたんだ。

そのぐらいの配慮はしてもらわないと困る。



「春凪は最初僕のそばを離れたくないようなことを言ってごねてたんだけど――。うちの両親と話してからは辞める方に傾いてる」


春凪は、僕との子供が欲しいらしい。


『――私、お義父とう様やお義母かあ様に指摘された通り、うまく気持ちを伝えられる自信がありません。だとしたら仕事は諦めた方がいいかなって思うんです』


うちの親たちから『妊娠中は、貴女の判断がお腹の子の命運も分けることになるからね』と諭されたらしい。


ギュッと僕の手を握って、僕が大好きなくっきり二重の大きな目で『私、宗親むねちかさんとの赤ちゃんが欲しいんです』と見つめられたら、心臓を鷲掴わしづかみにされたみたいに苦しくなって、心の底からその願いを叶えてあげたいって思ったんだ。


惚れた女性が自分の子供を産みたいと言ってくれる。人生でこれ以上の幸せがあるだろうか?


そう思っているのは確かなのに――。




「なぁ、織田おりたよ。彼女がそれで良いって言ってんなら何の問題もねぇはずだろ? なのにお前ときたら。――何でそんな浮かねぇ顔してんだよ?」


明智の至極まともな指摘に、僕は小さく吐息を落とした。


そう。何も問題はないはずだよね。


けど――。


「それは……お前が僕の立場になってみりゃー、イヤでも分かるさ」



僕らはまだ新婚だ。

愛しい春凪と二人きりの時間を全然堪能し切れてないとか、仕事中も今まで通り春凪の顔を事あるごとにチラ見したいとか……。

そんな時間をまだまだもう少しばかり長く持ちたいというワガママな男心、少しは分かって欲しい。





「――で、例の男。どうなりそうなんだ?」


苦々しい気持ちでビールを飲んでいたら、不意に明智あけちからそう問いかけられて、僕は小さく吐息を落とした。


「日本の警察は優秀だ。幸いあの男にられた指輪はオーダーメイドの一点ものだったし、すぐに足がついて捕まったよ。ただ――」


事件があった翌日、僕は懇意こんいにしている宝石店オーナーの珠洲谷すずやさんにすぐ電話を掛けて。

発注した婚約指輪の最終デザイン画の複製書類をなるべく早く準備してもらえるように頼んだ。

それを持って即行警察や古物商なんかに根回しして、同じデザインのリングが市場に出回ったらそれを持ち込んだ人間を一網打尽に出来るよう手配したんだ。


春凪はなから途切れ途切れに聞いた話から、あの男が金に困っていたことは分かっていたし、遅かれ早かれ指輪を現金化しようとするだろうことは容易に推察出来たからだ。

だけど、あの男。僕が思っていた以上に相当ひっ迫していたんだろうな。

予想よりかなり早くに動きがあって、捕まるの自体は相当早かった。


奪われた指輪を手元に取り戻すのも比較的早くいけたものの、春凪はなに手渡すまでに時間を要してしまったのは、電話で珠洲谷さんにお願いしていたもう一つの書類――指輪のリメイクに関わるデザイン画が仕上がるのを待っていたからに他ならない。


春凪の性格からして、あんなことがあった指輪を何事もなかったように身に着けることが出来るとは思えなかったから。


僕が春凪の幸せを願って贈った指輪ものが、春凪を悲しい気持ちにさせてしまうアイテムになるのは悲しすぎる。

春凪自身のためにも、あれを別のものに生まれ変わらせることが出来るよと示すことは、春凪に指輪を早急に手渡すことよりも僕にとっては重要なことだったんだ。



「あの男、僕としては八つ裂きにするか……それが無理でもせめて無期懲役くらいにはしてやりたいんだけど……。さすがにそこまでは無理だろうって弁護士から言われた」


弁護士の言うことは最もだと思うし、それが妥当な筋だと分かってはいてもやるせない気持ちはどうしても付きまとう。


あの日、僕は傷ついた春凪を嫌と言うほど見せつけられたのだから仕方がないじゃないか。



それと同時――。


「あの時さ、明智が坂本さんと付き合うことになってくれて本当に良かったって思ってるんだ」


「あ? 何だよいきなり」


急に話の矛先ほこさきを変えたから、何を言い出すんだ?と思ったんだろう。


明智が僕の方を怪訝けげんそうな顔で見つめてきた。



「煮え切らない態度の情けないお前をけし掛けたのは確かに僕だ。けど、明智があのとき僕の忠告通り素直に動いてくれたお陰で春凪が立ち直るきっかけをもらえた。――そのことを僕は本気で感謝してるんだよ」


明智と坂本さんの幸せいっぱいのニュースが、暗く沈んでいた春凪の心を泥の底から引き揚げて笑顔にしてくれたのを、僕はつい先日のことのように覚えている。


「別に礼を言われるようなことはしてねぇけど……。でも、まぁあの子はそういうタイプだもんな。少しでもお前の嫁さんが立ち直るきっかけになれたってんなら良かったよ」


明智が、手にしていたグラスを空にして、「新しいの何にする?」と、先に空っぽになっていた僕のグラスを指さした。


さっき飲むピッチを落とせって言ったくせに、まだ飲ませる気なんだな。


そう思ったら何となくおかしくなって、口の端に微かに笑みが浮かんだ。

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