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アパート前は駐車場になっていて、その奥が建物になっている。タクシーが近づくにつれて、その人影がはっきりと見えてきた。
「あれは……」
驚いている私に清水が訊ねる。
「誰?碧ちゃんの知り合い?」
目を凝らしながら私は頷く。
「たぶん彼だと思います。だけど今夜は出張先に泊まるって言ってたはずなんだけど……。何かあったのかしら」
もしや太田から連絡でも入っていたかと慌てて携帯を取り出した。着信通知が入っていた。
「しまった。お店に入った時にマナーモードにしていて、気づかなかった。バイブにはしてたんだけど……」
「周りが賑やかだったりすると、気づかない時、結構あるよね。仕方ないさ。それで、彼からは連絡入ってた?」
「えぇと。ん……?」
その通知を開いた途端、息を飲む。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです。大丈夫」
私は急いで携帯をバッグの中に戻した。胸の辺りがざわざわしている。彼からの電話とメッセージが何回も、何件も入っていたのだ。
速度を落としたタクシーがすうっと路肩に止まる。
私は清水に頭を下げた。
「送ってもらってありがとうございました」
礼を言って急いで車から降りようとする私を、清水が心配そうな声で引き留める。
「ちょっと待って。俺もいったん降りるよ。エントランスまで一緒に行こう」
「いえ、大丈夫ですよ」
「本当に彼氏だって分かったら、俺はさっさと退散するから。すいませんが、少しだけ待っててもらえますか?」
清水はドライバーに断りを入れ、私に続いて素早くタクシーを降りる。
「本当に大丈夫ですから」
「いや、実は彼に似て見えただけで、実は不審者だったりしたらまずいから。ね?」
「……それなら、すみませんがそこまでお願いします」
結局私は清水の申し出を受け入れて、彼に付き添われながらエントランスへ足を向けた。
人影との距離が狭まった時、その人物が早足で近づいてきた。
「笹本!」
やはり太田だった。私の名を呼ぶ声に、怒りも不機嫌さも感じられない。電話に出なかったのは故意ではなかったが、結果的に彼を無視してしまったことになる。彼が怒っていたらどうしようと緊張していたが、彼の様子にほっとした。
清水が確認を取るように私に訊ねる。
「彼で間違いない?」
「はい、間違いないです。……わざわざここまでありがとうございました」
私は清水に頭を下げた。
私たちの前で足を止めた太田は、いきなり私の手を取って両手で握りしめた。清水がそこにいるというのに、私だけを見つめている。
「心配したんだぜ。何回電話をかけても出ないし、メッセージも既読にならないから」
「ごめんなさい。全然気づかなくて……」
「できれば今度からは、携帯は手元に置いといてほしいな」
「ごめんなさい……」
私の返答に太田の頬がようやく緩み、そこでようやく清水に目を向けた。
「……それで、こちらの方は?」
太田の顔に怪訝な色が浮かんでいる。私は慌てて説明した。
「今日行ったお店の常連さんで、以前から知り合いの方です。遅い時間になったからって、ここまでタクシーで送って頂いたんです」
「……そう」
太田はひどく低い声でつぶやいた。不意に私の腕を取り、自分の傍らへと引き寄せる。
人前での密着を恥ずかしく思い、私はさり気なく離れようとした。しかし太田の手にぐっと力が入り、ますます離れられなくなる。
太田は丁寧すぎる口調で清水に礼を言う。
「ご親切に、彼女を送って下さってありがとうございました。あとはもう、大丈夫ですので」
それに対して清水も穏やかな声で返す。
「それでは、俺はここで失礼しますね。――碧ちゃん、後で梨都子さんにメールでも入れておいてね。無事に帰った、って」
「はい、分かりました。今日はありがとうございました。」
本当はタクシーの傍まで行って清水を見送りたかった。しかし、太田の手がまだ私を離さない。
清水は私たちの様子をちらりと見て、一瞬何か言いたげな顔をしたが、実際に口にしたのは帰り際の挨拶だった。
「おやすみ。またね」
「おやすみなさい」
清水は苦笑が混ざったような笑顔を見せ、待たせていたタクシーに乗って帰って行った。