「……本当に居るんだね? この先に」
階段の踊場で足を止めた私は、背中越しに確認をとった。
2年の教室が並ぶ廊下は、もう目と鼻の先だ。
いつの間にか降り出した雨が、中庭に面する窓を静かに濡らしていた。
「えぇ。 間違いなく」
マンガ等でよく見る“気を感じる”に近しいものか。 それがどういう感覚なのか、私には生憎と知る術がない。
けれど、彼女のような存在にしか知り得ない何かがあるのは確かだろう。
ともかく、重ねて専門家のお墨付きを得たことで、胸奥の戦慄に拍車が掛かった。
通い慣れた学校、見慣れた廊下に、すっかりと馴染んだ教室の空気。
そんな、学生たちが一日の大半を過ごす場所に現在、得体の知れないものが居座っているという。
改めて現実を突きつけられると、恐怖よりもむしろ驚きというか、“なぜ?”という疑問が大いに湧いてくる始末だった。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね?」
「ちょちょちょ……っ!」
「の? なんですか?」
慌てて肩を掴み止めたところ、当の彼女はいたく不思議そうな面持ちでこちらを見た。
ここは恐らく、私たちの出る幕じゃない。
解ってはいるが、事ここに至って静観を決め込むのはさすがに。
「私も行くよ。 この目で確かめたい」
「そう、ですか……」
わずか、その瞳に陰りが浮かんだような気がした。
それに気付かぬ振りをして、幼なじみ達にさっと目を向ける。
「二人はここで待っててくれる?」
「千妃ちゃん?」
「けどお前……っ」
何か言いたげな二名を押し止めた私は、先を行く背中を追いかけた。
階段を上り、角を曲がる。
見慣れた廊下が、今はとてつもなく恐ろしい場所のように感じられた。
ぽっかりと口を開けた暗闇の先は、紛うことなく化け物の口内だ。
貪婪な食欲を大いに振るい、今まさに私たちを呑み込もうとしている。
そんな気がしてならなかった。
「く……っ!」
情けなく震える脚を元気づけ、先行く背中を追いかける。
彼女の足取りに迷いは無く、これっぽっちの躊躇いもない。
暗闇の奥をまっすぐに見据えたまま、まるで晴れやかな草原を行くように歩を進めている。
その背中は、現状の私にとって灯台に等しいものだった。
彼女がいれば道に迷うことはない。 彼女がいれば、どんな暗がりでも大丈夫。
この先に待つモノが、どれほど危険な存在であろうとも、彼女がいてくれれば。
そんな時だった。
「うぅぅぅぅぅ………」
それは、外の雨音に混じって聞こえてきた。
矢庭に、身体が硬直するのを感じた。
それは、ひどく哀しげな泣き声だった。
「姫さま、姫さまぁ……」
弱々しい女性の声。
聞く側の内心にさえ、雨模様をふくんだ暗雲が俄かに広がっていくような、そんな声だった。
「姫さま……、姫さま………。あぁ、お労しや……。姫さまぁ………」
人間、あまりの事態に見舞われると、悲鳴を上げるのすら忘れてしまう。
いやもしかすると、この場合はこちらの存在を悟られないよう、本能的に身体が選択した防衛策の一環だったのかも知れない。
もちろん、決して暗闇に呑まれない“灯り”の恩恵も大いにあったものと思う。
「…………っ」
煩わしく鳴動する奥歯をキュッと噛み締めた私は、急いで靴をその場に脱ぎ置き、なかば小走りで頼みの背中を追いかけた。
程なく2年2組の教室前であるが、その距離が途方もなく長く感じた。
「ほのっち………」
「なるべく、私の後ろに居てくださいね?」
ようやく追いついたところ、ドアノブに手をかけた彼女は、こちらに真摯な眼差しを向けた。
疑いようもない。声は教室内から聞こえてくる。
顔を見合わせた私たちは、やがて何方からともなく頷き合い、ゆっくりとドアを開けて中の様子を確認した。
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